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日南町美術館「小早川秋聲」展(2024)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

暦の上では晩夏の過日、鳥取県日野郡日南町の日南町美術館において本年2024年6月21日から7月21日のちょうど一ヶ月間開催されておりました「小早川秋聲展」を拝覧して参りました。

ということで、僭越ながら日南町美術館のウェブサイトにリンクを張らせて頂きます。

さて、小早川秋聲先生といえば、2021年から2022年にかけて、京都文化博物館(京都市)、東京ステーションギャラリー(東京都千代田区)、並びに鳥取県立博物館(鳥取市)に巡回した「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌(レクイエム)」展の記憶が新しいところかと思います。

弊方は、京都展(2021年8月7日-9月26日開催)と、鳥取展(2022年2月11日-3月21日開催)を拝見させて頂いただけでなく、鳥取展と同時期に日南町美術館で開催された(2022年2月18日-3月22日)「小企画展 小早川秋聲展」も拝覧させて頂きました。

弊方、小早川秋聲先生のお名前は、それまでも文献でよくお見かけしていたのですが、作品を拝見したことがなく、弊方にとっては長きにわたって「謎の日本画家?」でした。

詳細は省略いたしますが、2019年8月にたまたま芸術新潮2019年9月号を購入したところ、その第2ページ(表紙1および2を除きます)に、加島美術さまの展覧会「小早川秋聲-無限の広がりと寂けさと-」の広告が掲載されており、これにより、弊方的には、お名前だけ存じ上げていた小早川秋聲先生が、具体的な作品とリンクされて認識されたという感じでした。

ということで、芸術新潮2019年9月号の加島美術広告と同号目次を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

この直後の2019年9月1日に、我らがニワカ美術愛好家御用達の、偉大なるNHK Eテレ「日曜美術館」において、「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」が放映され、日南町美術館に多くの作品が寄託または所蔵されていることが分かり、秋聲先生の作品をぜひ拝覧してみたい!!! と思いまして、当時の日南町美術館のウェブサイトを定期的に確認させて頂くことにしました。

そうすると2020年4月11日から日南町美術館において、収蔵品展として「小早川秋聲の戦争画」展が開催される予定であることが明らかとなったのです! ワォワォ!! (by 間寛平師匠)

しかも、2020年5月10日までが前期展で「佐武コレクション」とクレパス画作品が併催され、5月16日から6月14日までが後期展で、足羽俊夫先生の展覧会が併催されるという、たいへん贅沢なラインナップでした。

「佐武コレクション」とは、正式には「佐武林蔵コレクション」というそうで、日南町のご出身であり、現・株式会社サクラクレパスの前身となる会社を創立され、美術教育の振興に尽力された、佐武林蔵先生、並びに、佐武林蔵先生の志(こころざし)を引き継いだ、旧制の財団法人佐武会による美術作品のコレクションとのことです。

平成8年(1996)に発行された「日南町美術館所蔵作品」パンフレットに掲載される「佐武林蔵コレクション」の紹介ページ(第28ページ)を、テキスト引用に代えて、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真として掲載させて頂きます。

足羽俊夫先生は、日南町ご出身で、フランス・パリ国立高等美術学校(École nationale supérieure des beaux-arts, 通称:Beaux-Arts de Paris(ボザール・ドゥ・パリ))に留学され、パリを拠点に国際的に活躍された洋画家・版画家で、日南町美術館の名誉館長もお務めになられた巨匠でいらっしゃいます。そのご縁で、日南町美術館には足羽先生の作品がコレクションされている模様です。便宜上「足羽作品群」とさせて頂きます。なお、足羽先生は2017年にお亡くなりになられています。

ということで、先ほどの「日南町美術館所蔵作品」パンフレットに掲載される「日南町美術館設立によせて」(第4ページ)および足羽先生のご紹介ページ(第5ページ)を、テキスト引用に代えて、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真として掲載させて頂きます。

ここで、時は2020年です。新型コロナウィルスCOVID-19の感染が猛威を振るう「パンデミック(pandemic)」状態であり、COVID-19感染拡大防止のため、日南町美術館も2020年4月18日から休館となってしまいました。

しかしながら、弊方諦めきれず、その後も日南町美術館のウェブサイトを粘着質的にチェックしておりましたところ、2020年5月12日から同館が開館することになり、展示内容は当初予定から変更になったものの、小早川秋聲展と佐竹コレクション展は開催されることになったということでした。

ここで弊方、日南町美術館にお伺いするか否かたいそう悩みました。

この時期、関西では2020年5月21日に「緊急事態宣言」は解除されたものの、不要不急の外出を自粛することが推奨される情勢は継続しておりました。

また、当時の弊方は、悪質な緑内障のため片目を手術した直後で、しかも予後が思わしくなく再手術も考慮して経過観察をしながら、根性を絞り出して仕事をしている時期でした。

しかしながら、たまたまお伺いした京都市学校歴史博物館において秋聲先生の作品が展示されていたことを、ナゾのご縁であるという口実にして、ナゾの有給休暇を唐突に取得して、会期終わり近くに日南町美術館に強引にお伺いいたしました。

よく知られた代表作「國之楯(国之楯)」(見出し画像をご参照ください。)を含む「戦争画」の作品群は、日南町美術館2階の第3展示室において、なんと壁に掛けられた「露出」状態で展示されておりました。

もちろん作品保護のため一定の距離は確保されておりましたが、ガラス越しでなく直接作品を拝見できるという、すさまじく贅沢で幸福で激萌えな時間だったと言わざるを得ない状況でした。

しかもこのとき、日南町美術館の主任学芸員(当時)でいらした浅田裕子先生からお声がけ頂き、少しお話をさせて頂くという栄誉にも預かりましたので、激萌え状況はさらに倍増いたしました。ちなみに浅田先生は、弊方によるインターネットの安直な検索の結果、本年令和6年4月1日付の人事異動で、日南町美術館の館長に就任されたとのことです。

ご参考までに、日南町美術館の2020年度展覧会スケジュールを記載したリーフレットを、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。右上に「小早川秋聲の戦争画」展が記載されています。

かつての日南町美術館のウェブサイトは、20世紀末期ころから21世紀初期ころを彷彿とさせる、古き良き「ホームページ」という感じで、さらに、鳥取県、島根県および岡山県を対象とした地域密着型のブログポータル「じげ風呂」を利用されたブログも開設されていました。このブログでは、かなり以前の企画展情報なども確認できましたので、弊方的には「アーカイブ」として重宝させて頂いておりました。

しかしながら、2022年3月末ころにウェブサイトがリニューアルされて現在の形式になり、ブログも閉鎖され「アーカイブ」も確認できなくなりました。「じげ風呂」さんは2023年3月にブログサービスを終了されたそうなので、その関係もあるのかもしれません。

弊方が記憶している限りでは、日南町美術館では、毎年、佐武コレクション、足羽作品群、小早川秋聲作品群、並びに、サクラクレパスのご縁によると思われるクレパス画作品群の展覧会が、さまざまな形式で開催されていた模様でした。この点は、2020年度のリーフレットの写真からも裏付けられるかと思います。

ところが、昨年2023年度は秋聲先生の展覧会の開催はありませんでした。その理由は不明ですが、「旅する画家の鎮魂歌」展の影響ではないか、と妄想しております。

そして今年2024年、秋聲先生の展覧会が2年ぶりに開催されるということが明らかとなり、しかも、本展開催中の毎週日曜日には、13時30分頃から約30分程度のギャラリートークが開催されることも明らかになりました。

弊方、これまでギャラリートークを目的とすることはなかったのですが、今年に入って、和歌山市立博物館の「花鳥風月-めぐる四季と花鳥-」展(2024年3月16日-5月12日開催)に、笹川遊泉先生(初代・二代)と笹川遊原先生の作品を目当てにお伺いした日が、偶然にもギャラリートークの日で、学芸員の先生の解説にたいへん感銘を受けましたので、それ以来、なるべくギャラリートークを狙いたい、という感じになりました。

なお、ご参考までに「花鳥風月」展に関する投稿済の記事のリンクを張らせて頂きます。

また、比較的最近、ギャラリートークを狙ってお伺いした展覧会が、投稿済の彦根城博物館の「青根九江展」でした。同記事に僭越ながらリンクを張らせて頂きます。こちらもたいへん素晴らしい展覧会であり、素晴らしくステキなギャラリートークでした。

ということで、本展「小早川秋聲展」においても、ぜひギャラリートークをお聞きしたい! もしかすると「旅する画家の鎮魂歌」展の後に明らかになった情報などをゲットできるかも?! ということで、人生で最も悲しい出来事が起きた影響もあるものの、何とか日程を検討して、最終日曜日に何とかお伺いすることができました。ちなみにフラグが立っております。

日南町美術館の公共交通の最寄り駅はJR伯備線の生山駅です。関西からであれば、新幹線で岡山駅、岡山駅から特急やくもにて生山駅、そこからは徒歩で約30~35分くらいです。

生山駅から日南町美術館までバスがあるにはあるのですが、平日のみで土日は運行されていない模様です。そもそも弊方バスを利用したことがありません。

ということで、今年の春にデビューした新型の特急やくもを、弊方の微妙なガラケー的なガラホで生山駅にて撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

久しぶりの生山駅でしたが、いきなり下車した2番3番線ホームの床面にチョークでステキなメッセージが描かれておりました。こちらも弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

跨線橋を渡って1番線ホームにある改札の回収箱に切符を投入して駅舎内に入ると、日南町を代表するキャラクター、オッサンショウオさんにお出迎え頂きました。弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

なお、オッサン・ショウ・ウオ、ではなく、オッサン・ショウオです。弊方も最初間違えておりました。ご参考までに、日南町ウェブサイトのオッサンショウオさんの公式ページにリンクを張らせて頂きます。

このオッサンショウオさん、オッサンなのかサンショウウオなのかそれ以外のナニかなのかわからないステキな存在ですが、日南町ではたいへん愛されていらっしゃる模様で、いたるところにいてはります。

ちなみに、生山駅は開業百周年だそうで、駅舎内でお祝いされておりました。こちらも弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

生山駅から日南町美術館までの経路は非常にわかりやすいです。

駅舎を出て、お店などがあるロータリーに沿って郵便局前の生山駅前交差点を向かって右に曲がって、お店が並ぶ県道223号に沿って駐在所前の日南町生山交差点をまた右に曲がって、日野川に沿った県道8号線をそのまま道なりに進むと、日南町美術館です。

途中、伯備線をくぐり、右手の山の斜面にある生山墓地の横を、お地蔵さまとか馬頭観音さまとかに挨拶させて頂きながら通らせて頂き、高速道路みたいな国道183号をくぐり、日野川に沿ってぐにゃっと曲がる道路をそのまま進み、道の駅(にちなん日野川の郷)、コンビニエンスストア(ローソン)、ホームセンター(コメリ)の横を通り、さらに霞交差点を渡って、向かって左手にスーパーマーケット(まるごう日南店)が見えてきて、さらに向かって左側にある、JAグリーンにちなんの面する側道を進んで右に曲がると、日南町美術館がある「日南町総合文化センター」が見えてきます。読み飛ばして頂ければ幸いです。

「日南町総合文化センター」を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

日南町総合文化センターに入って右手側に日南町美術館の入口につながる廊下があります。こちらも僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

この廊下の右側には、井上靖記念室と松本清張記念室があり、その奥に美術館の入口があります。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

おぉ! ここにもオッサンショウオさんがおられる!! オッサンショウオさん、めっちゃ愛されキャラですね。

さて本展「小早川秋聲」展です。

1階手前側の第1展示室では、画業初期の作品や歴史人物画の作品が中心に展示され(弊方私見)、1階奥側の第2展示室では、「旅する画家」としての作品等が展示されておりました(弊方私見)。

第2展示室に展示されていた作品群には、六曲一雙の大作の屏風作品「薫風」が含まれておりました。

この「薫風」は、右隻に、座された「寿仙」と大木の梅が描かれ、左隻に、左向きの鶴さん(偉大なる故鶴ひろみ先生ではありません。)とその横にも梅の木が描かれております。

本作は「旅する画家の鎮魂歌」展図録では、第68-69ページに作品番号43として掲載される個人蔵の作品ですが、同ページには、参考図版として、もう一つの「薫風」が展示されておりました。鳥取県立博物館の所蔵とのことです。

弊方、本作を京都展で拝見したのですが、もう一つの「薫風」も鳥取展で拝見しております。こちらは鳥取展のみの展示で「作品番号t-7」となっておりました。

これら二つの「薫風」は、構図はほぼ同じであるものの表現には大きく違いがあります。そのため、片方の作品を見ただけでは区別できないように思いますが、京都展で拝見した個人蔵の「薫風」では、右隻の大木の梅の左側の枝にミノムシさんがちょこんといらっしゃる点で区別が可能でした。

本展第2展示室にて展示の「薫風」は、ミノムシさんが確認できましたので、まちがいなく京都展展示の作品だと思います。

さて、秋聲先生の作品について、弊方個人的な「推しポイント」を挙げさせて頂くと、まず、最初の師でいらした谷口香嶠先生の影響を受けたと妄想される、考証バッチリ系の歴史人物画が思い浮かぶところです。

それに加えて、谷口香嶠先生歿後に山元春挙先生に師事された後だと妄想される、太く濃淡のある輪郭線による人物や動物等の描写も「推しポイント」とさせて頂きたいと思います。

この太い輪郭線は、線内に垂らし込みを伴うように見え、弊方的には、まことに魅惑的に感じております。

かの偉大なるアニメーション監督・高畑勲先生は、「國之楯(国之楯)」に強い関心をお持ちだったそうで、その関係でNHK BSにおいて『極上美の饗宴 「闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲“國之楯”」』(2011年08月1日 PM8:00-8:57放送)という番組が制作されたそうです。

弊方、この番組の再放送を拝見しましたが、今は黒く塗りつぶされているように見える「國之楯(国之楯)」の背景は、実は単純な塗りつぶしではなく、垂らし込み的手法を用いて「着彩」されたという見解が示されていたと記憶しております(弊方は実見してもよくわかりませんでした)。

したがって、秋聲先生は、垂らし込みという技法に強い思いをお持ちだったのだろうかと勝手に妄想しております。

その後、2階第3展示室の戦争画を拝見したのですが、いつも通り? 展示ケース内ではない「露出」状態で展示されておりましたので、ガラス越しでなく直接作品をガッツリ拝見することができました。ちなみに1階の第1展示室および第2展示室でも「露出」状態で展示される作品群が多々ありました。

「國之楯(国之楯)」(本展作品番号32)もそうなのですが、「護国」(本展作品番号27)や「日本刀」(本展作品番号29)、「出陣の前」(本展作品番号31)といった作品は、特に第2展示室に展示されていた作品等とは異なり、かなり写実性が強い印象を持っております。第1展示室に展示の歴史人物画に近い印象でしょうか。もちろん画題が異なるので、考証を重視された秋聲先生ならではということもあるのかもしれません。

ちなみに「護国」ですが、「旅する画家の鎮魂歌」展では「御旗」(作品番号69)という作品名になっておりました。ちなみに2000年発行の『小早川秋聲 画集 秋聲の譜』では「護国(御旗)」となっておりました(『秋聲の譜』第62ページ)。

また、本展では「護国」の裏に貼られていた、秋聲先生による「裏書」が分離されて別途額装されて、すぐ下に展示されておりました。こちらも『秋聲の譜』で確認できます。

こういった感じで事前に秋聲先生の作品をひととおりガッツリ拝見したくらいで13時30分近くになり、ギャラリートークを拝聴すべく1階第1展示室前のエントランスに移動いたしました。すでに数人の方々が集まっておられました。

ギャラリートークをご担当された学芸員の先生は、今年2024年4月から赴任されたとのことでした。

時間的な関係で、いくつかの作品がピックアップされてギャラリートークが進んでいったのですが、たいへんわかりやすいだけでなく、オーディエンスに話しかけられるような感じのフレンドリーな解説でした。

また、最後の解説作品となった、第3展示室における「國之楯(国之楯)」では「対話型鑑賞」がご提案されました。

「対話型鑑賞」については、インターネットの安直な検索でも簡単に調べることができますので、もうすでに本記事がたいがい長くなっているので、インターネットをご参照頂ければと思います。なお、先ほどの美術館入口の雑な写真でも、左上の掲示板に「対話型鑑賞」が確認できるかと思います。

弊方は「対話型鑑賞」についてよく存じ上げなかったのですが、日南町美術館では、これまでも「対話型鑑賞」が行われてきたそうです。弊方はこれといって発言をしなかったのですが、オーディエンスのうち何人かの方のご発言があり、たいへん面白かったです。

他にも、第2展示室に展示の「語られぬ悩み」(本展作品番号16,「旅する画家の鎮魂歌」展では作品番号21(図録第55ページ))が、日南町美術館初開催の秋聲先生の展覧会において、来館者の方の情報提供により現館長の浅田先生が調査されたところ、日南町のお隣の日野町の個人の方の所蔵であることが判明し、寄託を受けられたというお話は、たいへん興味深いものでした。

ご参考までに、「語られぬ悩み」が採用された「旅する画家の鎮魂歌」展の鳥取展のチラシ(フライヤー)を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

また、鳥取県内では、日野町だけでなく安来市にも秋聲先生の作品があるようで、現在も調査中とのことでした。

さらに、秋聲先生の実弟である日本画家、小早川好古先生の作品についても、現在調査を進めているそうでした。

そして、先ほど立てたフラグの回収なのですが、日南町美術館では、来年以降、秋聲先生の「戦争画」をこれまで通り拝見できなくなるらしい、という、弊方的にはあまり好ましくない情報がゲットされてしまいました。

未だ不確定な部分もあるそうですが、弊方としては、2000年に開催の特別展「文人画家 小早川秋聲展」以来、日南町美術館による秋聲先生の調査研究と再評価の功績を考えると、なんだか残念やなぁ、という感じがしております。

そうはいっても、日南町美術館には「戦争画」以外の秋聲先生の作品群が収蔵されておりますし、先ほどの通り、秋聲先生の作品群以外のコレクションも充実しており、企画力も素晴らしいと思いますので、弊方が日南町美術館にお伺いするモチベーションがなくなることはまず無いと思います。

例えば、2021年9月11日から10月10日にかけて開催された「木下翠雨の里帰りと同時代を生きた郷土の日本画家たち」を弊方拝覧させて頂いておりますし、冒頭で触れさせて頂いた「小企画展 小早川秋聲展」は「戦争画」以外の秋聲先生の作品を期待してお伺いした展覧会でした。

そういうことで、新たな学芸員の先生も加わったこともあり、これからの日南町美術館に対する弊方の期待はムダに大きくなっているような気がしております。

相変わらず長くなってしまいました。最後まで閲覧頂きありがとうございました。

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