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大阪OLが東京に行ってみて思ったこと


東京。

その言葉を聞くと胸をちくりと刺されるような心持ちになる。

私が初めて東京に行ったのは高校の修学旅行。
修学旅行では東大と早稲田大学を見に行かされた。

学生という身分では最高峰に位置する早稲田大学や東大の学生はすごくカッコよくて都会の風を切って歩いていた。
彼らの姿を通して私はこれまでにない劣等感と憧れを抱いた。

どうしても自分には手が届かないものと感じた自信と洗練された空気感が眩しかった。

それから2年後。
浪人生の私は東京の大学を受験するために2度目の東京へ。
東京の大学生になれば、あの修学旅行の時目にした彼らのように自信に満ちた姿で風を切って歩けると信じて疑わなかった。

だが、結果は惨敗。
私は大学受験をものの見事にしくじり京都の大学に行くことになった。

私は明確にはっきりと東京に拒絶されたのだ。

そしてその時から東京というものから目をひたすら背けて人生をひた走って来た。

就活もとにかく徹底的に西日本に絞って戦った。

もう、東京に行こうという気概を持つこともできなかったし、
あんなキラキラした場所に自分は似合わないわけだから無理だと決めつけていた。

しかし、よく要項も見ないでエントリーシートを出した企業にとんとん拍子に選考が進み、
東京での最終選考。

それが人生3回目の東京だった。

その企業のオフィスは、東京の一等地にあり、
目に映るビルには一つ一つ私が名前を知ってる有名企業の名前やロゴが刻まれていた。

大企業の社員バッジをつけて、
上等なコートを着て社用スマホで電話をかけながら風を切って歩くサラリーマンやキャリアウーマンは、高校生のとき目にした東京の有名大学の大学生よりさらにグレードアップして、ギラギラと輝き私を魅了した。

その日の選考は出来が良くなくて、
私はもう二度とこのオフィスに来ることはないだろうと思った。

帰り道、なんとなしにぐるりと周りと見回すと、東京タワーがキラキラとオレンジ色のこちらを誘うような暖かな光を放っていた。

もしも、私がもう少し頭が良くて東京の大学に入れれば?
もしも、私が九州の田舎なんかじゃなくて東京、せめて関東に生まれてれば?

そんな嫉妬と悔しさに囚われるほどの魅力と、強烈な未練を自覚した途端に、

こんなに憧れてるのに手に入らないものがあるのか。

と、私は東京タワーを見ながらボロボロ泣いた。

こんな思いは嫌だ。
ほしいものを欲しいと分かっていながら諦める人生なんて。

こんな卑屈で、「でもこれはこれでオッケー」なんで自分を無理やり納得させる人生はもう嫌だ。

私、絶対東京に行くわ。

そう東京の空に誓って乗り込んだ帰りの新幹線で私は内定通知を受け取った。

それから、私は東京に行くのかと思いきや大阪の本社に配属された。

毎日訳のわからん環状線や意味不明な細い路地を路駐をかわしながらなにわナンバーの社用車で駆け抜けて、いつのまにか関西弁が感染し、
週末は動楽亭に足を運び、難波に家を構え、すっかり大阪ミナミに染まった頃。

上司に呼び出されて、
三日間の東京出張が決定した。

東京。

その2文字だけで、大学入試に失敗して東京に拒絶されたこと。
東京タワーの光においおい泣いたことが頭の中を駆け抜けた。

それでも、
それから二週間後私は新大阪から会社のカードで買った東京行きの新幹線に乗り込んでいた。

京都、名古屋、東京に近づけば近づくほどドキドキして。

あの頃感じた劣等感や疎外感が体の中を駆け巡り冷や汗が止まらなかった。

それでも、
東京駅について降り立った私に何も感動はなかった。

驚くほどに何も感じなかった。

7年前。
大学受験のためにここで降りた私は。
3年前。
就活のためにここで降りた私は。

ここに降りた途端に強烈な違和感や都会の空気に酔っ払ってしまい胸がビリビリしてたのに、
私は驚くほどに落ち着いていた。

渋谷、銀座、丸の内、六本木

知ってる地名の駅で片っ端から降りて歩いてみても何も思わなかった。

丸の内を風を切って歩いて見えていたサラリーマンやキャリアウーマンは、普段会社の中で目にしてる人たちと何ら変わらなかった。

山手線に初めて乗ったとき感動したビル群も、
大阪環状線から見えるビル群とそこまで変わらなかった。

あの時、私はなぜ東京に焦がれて、
劣等感を抱き、東京を求めたのか皆目見当がつかなくなってしまっていた。

お昼休みオフィス街を散歩していたら大阪の取引先から電話がかかって来て、
そのまま電話をとりながら歩いていると、
視線の端にいたまだ新しいリクルートスーツに身を包んだ就活生の男の子の姿が見えた。

パチリと目があった。

大きなスーツケースを引いて彼も3年前の私と同じようにして東京にきたのだろううか。

彼の目にも私の姿はこの街の風景の一つに映るのだろうか。

私は3年前、泣きながらボロボロになりながらこの街の風景になりたくがむしゃらにやっていた。


それなのに。

誰もが知ってる企業の社員証をつけて、
社用スマホを手に入れて、
自分の給料で買ったコートを着て東京を歩けば、

東京はなんと退屈で普通の街に見えたのだ。

私は別に東京に特別なものや活気を感じることはなかった。

それは、3年前までは痛々しいほどに鮮烈に強烈に私を突き刺したものだったのに。

必死になって手に入れた今の立場も仕事も。
手に入れてみれば大したことはなかったけど、
手に入れて大したことがなかったと分かったことが今の私には一番嬉しかった。

今の私は香港や北京や深圳で働く人、稼ぐ人が
すごくキラキラして見える。

そして。多分数年後私は
「来てみたけど大したことなかったわ」
と言うのだろう。

そういうふうにして一段一段この人生の階段をどこまでもどこまでも高みへ登っていきたい。

欲しいものは全て手に入れて、
みたことないものなんてひとつもない。

そんなふうにこの先も生きていきたい。

これからも東京には何回も来るだろうけど。

さよなら東京。
やっぱり君大したことなかったよ。

と、生意気にも東京を振ってやったんだ。

3年前、自分に何もなくて自信がなかった私は東京に来れば自分もこの風景の一部になれるだろう。

そんな可能性に期待してたけど。

私が私を何者かにして、自信を手にするために東京は必要なかったのだ。

帰りの新幹線は長く感じた。

新大阪で降りて、東京と同じ雑踏の中に関西弁が次々と聞こえて来た時どこまでも幸せな気持ちになった。

もっともっとこの街で、手に入れたいものを
この国をさるその日まで探し続けていきたいと思った。

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