成長したくないお年頃?
「私は自分のこと好きだけど、自信は全くない。」
と、ある程度親しくなった人に打ち明けると大体が驚かれる。
そんなに自信に溢れて見えるのか、とちょっとびっくりしながらも、別にそれは謙遜していってるわけではなくて紛れもない本音である。
人より不器用で、
人より集中力がなくて、要領が悪い。
簡単な言葉で言うなら、
「うまいことやれない。」
って言った方がしっくりくるかもしれない。
人より何倍もつまづくし、人より何倍も手間取ってしまって、情けない自分を隠したい気持ちでいっぱいだけど、
如何にもこうにも、私という人間は昔っから人の視線を集めてしまう厄介な運命を抱えており、
私の失敗や手こずってる醜い姿は多くの人の眼を集め、盛大に見守られることになる。
その間恥ずかしいやらやるせないやらで、自己肯定感をすり減らしながらも、注目を集めてしまった以上はやり通さなければならないと自分なりにやりきってみる。
みんながゴールテープを切ってる時に私はやっと軌道に乗せられるようになるし。
みんながゴールテープを切って次のステージに行った頃に私はようやくゴールテープを切る。
そしてまた誰かの背中を周回遅れで追いかける。
そんなことを幾度となく繰り返したきた人生だった。
いつも周りと比べて上手くできないから、何かに追い立てられるように生きてきた。
人より記憶に時間がかかるから勉強時間は人の何倍も必要で、必死こいて勉強した割に学歴が大したことがなくても、それは私が死ぬ気で勝ち取ったものだった。
そして、死ぬ気で頑張ってもそんなものしか手に入れられない自分のことは嫌いだった。
大学に入っても、常にしくじる自分が怖くて転ばぬ先の杖、とばかりに中国語に手を出した。
私が中国語をやった理由に高尚な理念や、情熱なんてなくて最初はただただ就活が怖くて、何か武器が欲しくて手を出したのが始まりだった。
中国語に手を出したらまたそれもそれで大変で、今度は中国語に追い回されるようになった。
毎日毎日飲み会や、ちょっとしたおしゃべりの時間を諦めて机に向かったり中国語教室に通った。
検定を受けて、積み重ねて、HSKの点数を追いかけ回した。
社会人になってからも、太りやすい体をなんとかするべくジムに行ったり、
もちろん中国語の勉強は続いて。
とにかく何かに追い立てられてるように、過ごしてきた。
勉強しなかったり、何も努力できなかった日には罪悪感で押しつぶされそうになった。
そして、新卒から四年が経って私は念願叶って中国関連の部門に移動になった。
今度は自分の中国語が全く通じず、聞き取れずまたしても追い回されることになったけれど、ここで私は最近立ち止まってしまった。
思い出すことは、浪人が終わり大学進学が決まったある春の日に、参考書をゴミに出すために紐で括り付けていた柔らかな日差しと開放感だった。
辛い辛い大学受験が終わって、
それでも第一志望には合格できなくて。
就職率が悪い文学部日本文学科への進学が決定していて。
これからの人生がどうなるかは不安だったけど、参考書を捨てながら、
「もう勉強に追い回されなくていいんだ。
家に帰ったら好きな映画や本をたらふく読んでもそれはもう悪いことじゃなくなるんだ。
もう、頑張らない自分を責めなくていい生活が始まるんだ」
その一つの事実だけで、心がふわりと軽くなり、
その時の私は幸せではなかったけどほっとして涙がいつまでもいつまでも止まらなかった。
でも、結局中国語に手を出したばっかりに私はまたしても努力をしなければいけない状態に自分を追いやってしまった。
あの日、全部から解放されたと思っていたのに。
でもあの日から10年近く時間は経つのに、私はまだ何も解放されていない。
成長しつづけなければいけない。
ここの席に座り続け、
大好きな中国と関わり続けるためには。
中国語だけでなく貪欲に同僚や上司に教えを乞い、成長しなければ。
でも今日、仕事が終わって家に帰ってきてCCTVの言葉を必死に耳に入れようとしながら単語を調べていたら涙がボロボロと溢れ出てきて止まらなかった。
もう頑張る気力が湧いてこない。
今までやってきたように仕事終わりに机に向かったり、単語を覚えたりそういうことが死ぬほど嫌になった。
成長なんて、しなくていいって。
頑張んなくてもいいってそう心から思えるようになれたら終われるのにな。
そう思ってしまった。
仕事が終わって家に帰ったら、
コップに焼酎でハイボールを作って飲みながら、
大好きな映画やドキュメンタリー番組を見て、
本を読んだり、たまには映画館にだっていきたい。
今全部投げ出して、ここから逃げ出したい。
でも、「ここで逃げたら怠けたら、二度とこんなチャンスは巡ってこないよ?」
という脅迫めいたもう一つよ心の声が私にのしかかってくる。
私が憧れ追い求めてきた日中ビジネスや、中国人と対等にビジネスができる人材になる夢。
そういうものを、ここで手放したら自分に何にもなくなることを、誰よりも私自身が恐れているのだ。
ここでやめたら。
ここで休んだら、
自分が自分でいられなくなる気がする。
あっという間に今まで積み上げてきたものが崩壊して、奈落の底に落ちてしまう気がする。
私のこの状況は、結局夢を追う過程なのかもしれないし、
勝手に自分に苦役を課してるだけの愚かな人間の成れの果てなのかもしれないし、
考えすぎなのかもしれない。
でも、その全てを剥ぎ取って今言いたいことは。
休みたい。
成長放棄したい。
ここまで亀の歩みでも必死にちょっとずつ休まずこつこつと自分なりに必死に歩いてきたけど、
「いつかこんなふうに何かに追い回されて、絶えず成長しなければならない日々は終わる」
というぼんやりとした思い込みだけを心の支えにして歩き続けてきた私は、最近になって
「この日々が終わることはない。」
という残酷な現実を突きつけられている。
成長すればするほど成長は求められるし、
成長すれば見える景色やできることは確実に増えることは確かだ。
そしてそれは私の人生を間違いなくより良いものにしてくれることもわかってる。
だけど、それでも今は叫びたい。
成長なんてしなくていい。だらだら暮らしたい。
って。
怠惰な自分と、その自分にお似合いの人生を受け入れる度量が今の私にはまだない。
まだ夢を諦める勇気もなければ、
この夢に向かっていく気概も気力ももはや尽きかけてる。
それでも。
それでも。
言葉にできない何かが、今にも全て捨てて逃げ出しそうな私のことを「しっかりしろ。」と殴りつけてくる。
11月中国語検定の準一級を受ける。
頑張りたいという気持ちも、
まだ熱意も情熱も残ってて、
今はちょっと疲れてるだけ。
学びたいし、知りたいし、唯一無二のキャリアを手に入れるためにも私にはもうこれしかないってわかってる。
だから、ここでだけは言わせてほしい。
今だけは叫びたい。
成長やめたい。
頑張りたくない。
ダメな私をダメなままに受け入れてくれ。
そんな都合のいい泣き言を並べ立てないと、
どうにも崩壊しそうな自分を抱きしめて明日も、体当たりしていこうね。
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