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「負けるな!」と言った先輩の話。


ぼんやりと社用車でコンビニで買ったおにぎりに齧り付いたいつもの昼下がりにけたたましい社用スマホの着信音が鳴り響き、舌打ちしながらスマホに手を伸ばした。

画面を見ると全く知らない番号で、更に面白くない気持ちになり一呼吸息を吸って、

「お電話ありがとうございます。〇〇株式会社営業の蒼村ですー!」

と電話をとると、

「うわっ、営業やってんなー!」

と笑い声の混じった泣きたいくらいに懐かしい声がした。

先週末は桜が満開で、もう今はすでに葉っぱが混じり始めた。

きっと今週末にはピンクの花は散りさり青々とした葉が茂るだろう。

大阪に来て4回目の桜の季節だが、
今年の桜は見上げていると例年と違う感情が湧いてくる。

「4月にはもう日本にいないと思うわ。じゃあな。」

そう言って冬に目の前から消えていった人と一本の電話について書いていきたいと思う。

3年前。
2020年の6月に私は新入社員として、関西営業所に配属された。

九州の田舎からやってきた私にとって、
怒ってるような激しい大阪弁と関西人の歯に物を着せないものの言い方は衝撃的で、
しかも配属された営業一課はとんでもないパワハラ課長が幅を利かせていて毎年の新人を退職か病院に追いやるという酷いところだった。

ピカピカの新入社員の私の隣で、
青白い顔をした2年目の先輩が荷物を片付けて静かに営業所を去っていったのを見て、
私は早々に自分が今置かれている状態についてかなりまずいということを認識した。

そこからは毎日課長から無視と放置と暴言で、
私も10月には口も聞けないほどに精神が壊れていってしまった。

そんなある日のこと。
課長が商談で使うためのサンプルを倉庫から取ってくるように言われて取りに行ったところ、
たった一つしかなかったサンプルをどこまでも鈍臭い私は階段で躓いて派手に転んだ拍子に落として破損させてしまった。

強く打ちつけた足も痛かったけど、
目の前に破損したサンプルの箱が転がってるのを見て、サーっと血の気が引いていった。

「あのさ?物をとってくることもできないの?」
「サンプルってお金やで。物を大切にする精神が足りてないんちゃう?」
「これどうするの?え?俺どうにもできないから君どうにかしてや」

これから言われるであろう言葉が頭の中を駆け抜ける。

怖い怖い怖い。

これ一つしかサンプルはなかったのに。

なんで私はこんなにも鈍臭いのか。

課長の元に戻る勇気もなく、倉庫にへたり込んで壊れたサンプルを持って呆然としていると、

背後から
「何してるん?」
と声がした。

びくりと振り返ると、そこには別の課の先輩が立っていた。
3年目の先輩で、私と1番歳が近い年次の先輩だった。

「あっ…。いえ。別に」

この人が課長に言いつけたらどうしよう。

疑心暗鬼の私をよそに先輩は自分が使うものを棚から出すと、さっさと自席へ戻っていった。

私はまだ踏ん切りがつかずにうだうだと倉庫にへたり込んでいた。
やっぱり怒られるしかないよね。破損させたのは私が悪いし。もう覚悟決めて怒られよう。

と、頭の中で堂々巡りをしていると、

「やっぱりなんかあったやろ?」

とさっきの先輩が倉庫に入ってきた。

「え…っと。あの。これ…課長から取ってきてって言われたのに私こけて、壊しちゃって…」

派手に箱が潰れたサンプルを先輩の方へ差し出すと、先輩は

「なんやそんなことか!」

とニヤリと笑った。

先輩は私の手から壊れたサンプルをさっと取り上げると、
「なんとかなるから、ほら行くで」
と言ってスタスタ歩き始めた。

そして、真っ直ぐ恐怖の課長なところに向かい、

「すみませーん!さっき蒼村とぶつかっちゃって、サンプル派手に壊しちゃいましたわー」

と豪快に課長に言い放った。

え?!

びっくりして先輩の方を見ると、先輩は課長に見えないように私の足を小さく蹴った。

なんとかなるってこういうこと??

「大丈夫ですか?サンプル俺壊しちゃったんで代わりあります?なければ俺別部署からもらってきますけど…」

先輩は心底申し訳なさそうな声を出すと、

「いや、ええねん。机にもう一個あるし」

と言って課長は机から私が壊したのと全く同じサンプルをとりだした。

おい!てめえ!机の中にあったのかよ!
じゃあなんで取りに行かせたんだよ!

と怒りたくなったがそんなことよりもこの場を免れたことにホッとした。

「ほな。ごめんな、蒼子ちゃん。」

そう言ってさっさ自席に戻った先輩と何が起こったのかいまだにわかってない私。

昼休みに夢中で先輩を捕まえて、
「ありがとうございました!」
と頭を下げた私に、「ええって。」と先輩はヘラヘラ笑った。

そのまま先輩は少し考えて、
「まーでも、そこまで感謝してくれるなら昼飯くらい奢ってや」

と言ってきたので私はコクコクと頷いた。

会社に入って初めて私に優しくしてくれたこの人ともっと話してみたかったのだ。

会社の近くの定食屋について、私はカツ丼。
先輩は焼き魚定食を頼んだ。

この店は先輩の行きつけらしく、手慣れた様子で店の厨房までズカズカと入っていきお茶がたっぷり入ったやかんを持ってきてくれた。

「先輩はすごいですよ」

私は先輩にやかんのお茶を注ぎながら向かって素直にそう言った。

「なんで?」

「だって、あんな簡単に課長を捌けるなんて。
私がサンプル壊したって言ってたら絶対今ごろまだ怒られてたと思います」

そういうと、先輩はニヤリと笑って

「なんでかわかるか?」

と、問いかけた。

「キャラクターですかね…。」

皆目わからずに搾り出すような無難なことを言う私に、先輩は少し間を置いて堰を切ったように自分の過去を語り出した。

先輩は社会人3年生。
新入社員の頃同期の中でも群を抜いて優秀だった先輩は将来を嘱望され一年目なのに異例の内勤の花形部署に配属になった。

「その時は猛烈に働いた。どんなミッションにも応えよう思ってたで。
やけど、頑張って、頑張って頑張って、壊れた」

内勤部門で激烈なパワハラに遭った先輩は、
次第に精神を蝕まれていき、最後は休職を余儀なくされた。

そして、休職期間が終わった後、関西営業所に拾われたのだ。

「この会社はデカくてホワイト企業やから。
パワハラの罪は重いやろ。やから、部下を休職させたり、病ませたら上司もそれなりのペナルティがあるんや。

一回休職まで行った俺はリスクの塊みたいな存在ってことやな。

分かるやろ蒼村。
俺が誰からも怒られたり厳しいこと言われんのは、俺が負けたからや。」

先輩は自嘲気味に笑い、タバコに火をつけた。

何を言っていいかわからなかった私は、

「先輩、うちの会社は社員全員禁煙を掲げる会社ですよ」

と死ぬほどつまらないことを言うと、

「うるせー」

と先輩は深く息を吸った。

「蒼村は中国語できるんやろ。
日中ビジネスがしたくてこの会社に入ってきたって言ってたな。入社式のスピーチ聞いてたで。

こんなクソみたいな営業所で潰れるなよ。
やりたいことやれよ。」

私は少し泣きそうになって目を伏せた。

「ほな、地獄の営業所へ帰ろっか?」

と言って先輩は席をたった。

私は慌ただしく財布を出してレジへ向かうと先輩ひそんな私を置いてひらりと暖簾をめくって外に出る。

「会計終わってる。帰るでー」

奢って、と言ったくせに厨房にヤカンをとりに行った時お金を払ってしまっていたようだ。

完璧な善意を投げつけられて私は呆然と午後を過ごした。

それから先輩はちょこちょこ私に話しかけてくれたり、飲みに連れていってくれるようになった。

パワハラは相変わらず続いていたし、
辛いことに変わりはなかったけれど、

いつも先輩は私に決まって「負けるな」と言った。

居酒屋で最初の一杯で乾杯する時も。
食堂でご飯を食べてる時も。
駅まで一緒に歩く時も。

先輩はいつも「負けるな」と繰り返した。

社会に出て一年目。
運悪くパワハラ上司に引っかかった私に取って先輩の存在は地獄の中の天使、唯一の救いだった。

もうダメかも、と痛めつけられて限界が目にチラついた時は決まって先輩は駆けつけてきてくれた。

新社会人としての1年目の終わりに私は担当変更に伴いパワハラ上司から別の上司のチームに移動になった。

同じ関西営業所内で私のことを陰ながら心配していてくれた人は多かったらしく、
たくさんの優しい先輩方が1から仕事を教え直してくれた。

私は元気と自信を徐々に取り戻し、3ヶ月も経てばすっかり本来の自分を取り戻した。

でもその代わりに先輩と関わることはめっきり減ってしまった。

先輩はぱったり飲みに誘ってくれなくなったし、
お昼もあの定食屋に一緒に行くことは無くなってしまった。

代わりに同じチームの先輩たちが私のことを存分に可愛がってくれた。

パワハラで萎縮してまともなキャリアがつけれていなかった私にとって社会人の2年目は2年分の成長を味わった本当に激動の一年だった。

そして、大阪に来て3回目の桜が咲いて、
先輩は突然関西営業所で1番大きな取引先の担当窓口に抜擢された。

それまで小さな小さな企業の窓口をのんびりとしていた先輩。

まさかの大抜擢に誰もが驚いていたけれど私は無茶苦茶嬉しかったのだ!

先輩はチャンスを掴んだんだ。
もう先輩はリスクなんかじゃなくなるんだ!
第一線に戻ってくるんだ!

走って先輩を探しに行って
「おめでとうございます!」

と伝えると、先輩はいつものヘラヘラした笑い方じゃなくて、本当に嬉しそうに朗らかに笑って
「まあ頑張るわ!」と言った。

その日久しぶりに先輩とあの定食屋でご飯を食べた。

先輩はタバコを吸わなかった。

何もかもが良くなる予感がしていた3年目の桜。

しかし梅雨が始まったころ不穏な声を聞くようになった。

「あいつ、メンタル弱すぎるねん」

いつもの昼下がり。

先輩と一緒に仕事をしているおじさん社員が吐き捨てるようにそう言った。

このおじさん社員は親切で、人間としても良くできた、簡単な言葉でまとめると「仕事が早く質もいいできるサラリーマンでありながら三児のパパであるところから私や先輩のようなペーペーな下の人間にも優しい」という欠点のない人なのだ。

この人がこんな口調で言うなんて。

他の人からも先輩の噂をいくつも聞いた。

先輩は有休取得数が急激に増え、頻度も上がっていった。

じんわりと、嫌な予感がした。

先輩はいつも私の前では飄々としていて、
何も変わらないようで。

でも先輩は、すでに仕事ができてなくておじさん社員が頑張って尻拭いをしていてなんとか成り立っている状態だということも耳に入ってきていた。

そして、ある日外勤から戻ってくると私はとんでもない知らせをお見舞いされる。

「ただいま戻りましたあ!」

といつものように会社に戻ると、
先輩の周りに人だかりができていた。

「いつ行くの?」
「お金は貯めてたの?」
「昔からの夢」
「英語」
「ワーキングホリデー」
「オーストラリア」

たくさんの単語が私の目の前を横切っていく。

先輩は12月のクリスマス直前に最終出社となり、退職することが決まったのだ。

かねてからの夢だった留学と海外生活を叶えるために先輩は仕事を辞める。

みんなに対してそう語る先輩は笑っていたけど、

私と目も合わせてくれなかった。

本当はみんなわかってた。

先輩は掴んだチャンスを活かせなかった。

また精神が壊れて逃げ出すことを営業所の誰もがわかっていた。

大きな花束を抱えて先輩は会社を去った。

その夜。
社用スマホに1通のメールが入っていた。

「蒼村 最後までちゃんと説明できなくてごめん。
俺はここから逃げ出すけど、蒼村は自分のやりたいことをやりとげてほしい。
俺の応援なんてなんの役にも立たないけど応援してる。
逃げなかった人とか耐え抜いた人にはそれなりの結末が待ってると思うから、お前は負けるな」


負けるな。


幾度となく先輩が私にかけてくれた優しい呪いのような言葉は、先輩が先輩自身に唱え続けた言葉であった。


ずーっと気にしてないふりをしていた先輩が、
本当は社会人一年目に負けた自分のことを誰よりも恥じていたこと。

腫れ物扱いされることを気にしていたこと。

必死に第一線に戻ろうてしていたこと。

本当はずっとずっとわかっていた。

誰よりも後悔してたから、私に対して何回でも「負けるな」と言ってくれた。

ボロボロと涙が止まらなかった。

私は何も返せなかった。

先輩がいなくなった後、
スーパーマンみたいな社員がやってきて呆気なく先輩の穴を埋めた。

会社も世界も誰かがいなくなったからと言って止まることはない。

日常は続いていく。

そして、4回目の桜が咲いた時、私に朗報が飛び込んだ。


就活生の時から憧れていた中国ビジネスチームへ日本人として初めてアシスタントとして抜擢されることが決まったのである。

「ネイティブ以外は獲らない」

と言っていた中国チームが私を取ってくれた理由は、私の打たれ強さだったらしい。

すっかり仲良くなった営業所の人たちはみんなこの結果と配属を祝福してくれた。

突然の環境の変化に、戸惑いながらぼんやりと社用車をコンビニに停めていつものおにぎりを買って口を広げた時スマホが鳴った。

知らない番号に首を傾げて、通話ボタンを押すと

懐かしい声がした。

「俺の同期から聞いたで。おめでとう」

先輩だった。

「ありがとうございます…」

誰のおめでとうよりも嬉しかった。

「蒼村、負けへんかったな。
蒼村はすごい。羨ましいとすら思ってる。」

負けへんかったな。

ずしりと重い言葉だった。

「先輩が負けるなって言ったから。」

「あはは、今にして思えば誰がゆうてんねん!って話やけどな。
あのな、蒼村。
人間一回負けてもやり直せるって言葉はこの世に溢れてるけど、俺はそれは嘘やと思うねん。

一回負けた人間は、負けることが怖く無くなるから、負け癖がついてしまうと思うんや。

俺がそうやろ?

蒼村が無理して、無理して無理して、
頑張って頑張って負けないことを続けた結果がこれや。

これからも大変なこと多いと思うし、
中国チームは大変って聞くけど、
蒼村ならいけると思うわ。

蒼村、やりたいこと思いっきりやれよ。
ほんで、やっぱり。負けるなよ」

いつもの言葉で締める先輩に涙が止まらなかった。

「先輩、また会えないんですか?会えますよね?」

思わずそう言うと、先輩は

「しばらく無理やと思う。今月末には俺もここを出ていくから。でも、また会えるやろ。
それまでお互い頑張ろうな」

電話は切れた。

その後人伝いに先輩がオーストラリアに渡航したと聞いた。

負けるな。

負けるな。

負けるな。

いつも私にそう言ってくれていた先輩はいなくなってしまったから、
私は代わりに自分にその言葉を繰り返す。

先輩にとって負ける、の意味ってなんだったんだろう。

それはきっと、いろんな言葉がギュギュっと詰まった悲しいこと。

自分の尊厳を手放すこと。
限界を決めつけてしまうこと。
立ち向かわない数々の瞬間のこと。
チャンスを目の前に怖気付いてしまうこと。

きっと他にもたくさんの意味が詰まってる私と先輩の合言葉。

負けてもいい。
逃げてもいい。
そのままのあなたでいい。

そんな優しい言葉が溢れてる世の中で、
私にずっと「負けるな」と言い続けてくれた先輩。

そしてその言葉に支えられて、繰り返される地獄に耐え抜いた私には、あまりに色鮮やかな私だけの結末が待っていた。

私はこれからも負けない。

私なりの毎日を続けていく。

先輩にまた会えた時、褒めて欲しいから。

「負けるな」

の言葉をこれからも抱きしめて、
夢に向かって疾走して行く。

そうしている限りどこかでまた先輩に会える気がするのだ。

おしまい。



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