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母親の認知症発症から13年、国内最大の支援組織の支部代表を務めた私が伝えたいこと

まず、私は何者なのか。



2011年の冬、遠方で一人暮らしする母親に認知症の初期症状が現れました。さいわい同じ市内に嫁いだ姉のおかげで日常のサポートは任せることができましたが、私が何もしないわけにはいかない。そこで、認知症について徹底的に勉強を始めました。
兵庫医科大学のN教授に教えを乞い、論文や専門書を読みあさり、徹底的に勉強しました。医学面で得た知識をまとめて、大阪とその周辺で無料の認知症講演会を開催し続けましたが、ある日の講演の参加者から「私の夫が認知症になってしまった。毎日が辛くしんどいです。どうしたらいいですか」と言われた時に、その女性に返す言葉を持たなかった私は、こんなこと(医学面の勉強)だけを続けていてもダメだと気づいたのです。
医学的なアプローチから介護する人に寄り添うアプローチに軸足を移した私は、その道の先輩たちの書いたものを読みあさり、ある人にたどりつきました。西川勝氏、当時大阪大学コミュニケーションデザインセンター特任教授という肩書きを持つ精神科の元看護師で、公益社団法人認知症の人と家族の会大阪府支部の顧問として、毎月開かれる介護家族のつどいに来られているらしいことを知りました。さっそく大阪府支部に電話をかけ、つどいへの参加を申し込んだのは2015年の1月のことでした。
「つくしの会」という名のつどいは毎月開催されていて、介護真っ最中の方から介護を卒業された方、医療、介護の専門職の方など毎回さまざまな参加者がおられます。日々の介護で心身共にクタクタになっている方が、自分ひとりの時間を作り、この集まりを楽しみにしているのが伝わって来ます。こんなことがあった、あんな言葉を投げつけてしまった、と自責の言葉を絞り出し涙する新しい参加者に「私もそうだったよ」と先輩介護者が寄り添うように語ります。舅、姑、夫の介護を延べ25年間続けてきた女性は壮絶な介護の歴史を笑いを交えながら語ってくれました。この方に比べれば、今の自分の介護状況は大したことはないと、参加者の多くが思ったことでしょう。

約2時間のつどいの中で進行役の西川氏が精神病院の現場での経験、老人介護の現場での経験、大阪大学の学生とのエピソードなどを交えて、集まった人々にヒントを投げてくれます。毎月一度のこの2時間が私の心に明かりを灯すような大切な時間になっていました。この場に出会えてよかった、と心から思いました。
他人に容易に語れない家族介護の苦しさが胸にいっぱい詰まり、吐き出さないと自分が壊れてしまう、そんな思いでやってくる参加者は恐るおそる語り始めます。頷きながら、目頭を押さえて聞く人たち、参加者は順に語りながら聴き、穏やかな表情を取り戻して来るのです。介護のヒントを求め、こんな時どうしたらいいのかを知りたい参加者は居られますが、本当は語りたくて聴いて欲しくて来られるのだと気づきました。更に他の介護者の話を聴き、翌月にはその後どうなったのかが気になって仕方がない「自分も大変だけど、先月お話を聴いたあの方は今どうしているのだろう」と他者を気づかう関係性が生まれて来るのです。
助けを求めてやって来た方が、他の誰かの支えになる。たまたま隣り合って座った人同士に交友が生まれる。不思議な、面白い、否これが人のつながりが生まれる自然な姿なのだろうと、私はずいぶん時間を経て思うようになりました。

2016年4月から1年間、西川氏ともうひとりの参加者U氏と3人で読書会のようなつどい「認知症カフェ@あべのハルカス」を開催しました。私が勝手に師匠と慕う西川氏との時間は常に刺激に満ちています。西川氏の専門は臨床哲学、彼の師匠は鷲田清一氏(哲学者、評論家、大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授)です。目の前のことや言葉を容易にわかったふうにとらえず緻密に考え続ける西川氏の姿勢は、それまでの私の生き方とは程遠く、とても真似できるものではありません。それでも認知症とケアに関するものと、その周辺にある事柄の書籍の読書量は飛躍的に増えました。障害者福祉、発達障害、重度知的障害、子育て、ヤングケアラーなど認知症介護とは異なる分野の知識の取得は関係ないどころか貴重な示唆に富むものです。読書だけではなくそれぞれの支援団体との交流と意見交換は更に有意義な体験になっています。

2019年春に公益社団法人認知症の人と家族の会大阪府支部代表に就任した西川氏に請われ副代表に就任し、支部運営の実務を本格的に担い、翌年2020年9月から2年間支部代表を務めました。時代は新型コロナ感染症に振り回された3年間です。集まるな、しゃべるな、出かけるな、と言われ続けたこの期間に「認知症移動支援ボランティア育成講座」を3年続けて実施しました。この事業の計画、調整、実施、資金調達のほとんど全てを担った私はやはり、認知症の中核課題とともに周縁課題にも目を向けて講師選びを進めました。とても大変でしたが、それ以上に楽しい時間を過ごすことができました。
そして、時を同じくして「ヤングケアラー」の課題を耳にしたのです。若年性認知症の人の子供たちがヤングケアラーだと聞いた時に「10代の若者へのチャネルを持たない我々に何ができるのか」と困惑し、手をこまねいていたのですが気になって仕方がない。大阪府支部代表を退任した2022年秋にヤングケアラー課題に着手しようと決意したのです。

2023年4月旧知のNPOの協力を得て大阪府の助成金を獲得し、ヤングケアラーの居場所事業を開始しました。場所は大阪市天王寺区の市立味原小学校正門前の好立地にある大きな一軒家です。認知症の人と家族の会時代の経験から、固定した常設の拠点でないと居場所として成立しない(人が集まらない)ことはわかっていましたから、拠点確保は最優先事項でした。
ヤングケアラーの居場所を一年間運営してわかったことが3つあります。ひとつは、ヤングケアラーは自覚がないので自らやって来ない。もうひとつは、子どもは見知らぬ大人にいきなり相談したりしない。そしてあとひとつが、「ヤングケアラーの居場所」と看板を掲げたところに「自分の子供を行かせたくない」という母親の内心です。
これらの事から2024年4月からは、全世代(子どもから老人まで)を対象にした「みんなの居場所」として、学習支援(無料塾、自習室)と生活支援(自炊塾)を誰でも参加可能とします。あわせて「認知症の人のつどい」と「介護家族のつどい」と「介護家族のオンライン相談室」を開催することにしました。

さあ、これからの1年はどうなるでしょうか。

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