ハッピーバースデー
著書「グッバイ公務員」にも書いてなかった話。1982年11月25日、木曜日、奈良県にある大和高田市立病院でぼくは生まれました。
ぼくが幼稚園児の頃、兄は11歳年上なので高校生。リーゼント・長ランというビーバップ世代のイカツイ兄でしたが父のことをとても怖がっていたのを覚えています。
というのも父は、渡哲也似でかなりの影響を受けていました。あとミナミの帝王などの極道・アングラ系のドラマが大好きで強面。厳しい父でした。怒らせるととても怖いイメージはありました。
しかし、幼稚園年長の頃のぼくはお父さん子。
父はぼくにはかなり甘かったです。
父が出かける時は助手席に乗り込み、「ローソン行きたい、からあげクン食べたい」と言うと父は、
父「よっしゃ、行こか」
とよく連れていってもらいました。
また父方の祖母も厳しい頑固な人でしたが、ぼくには甘く、
祖母「こんな可愛らしい子を産んでくれてありがとうな」
と祖母は母に言っていました。
祖母の家は、ぼくの家から自転車で15分のところでよく遊びに行っては中華そばかカレーを作ってくれました。
そんな環境の中でぼくは小学3年生になりました。
夏のある日。
14時頃に学校が終わり、急いで帰宅。
友達のAくんの家でゲームをするために遊びに行く準備をします。
そしてバタバタと階段を下りてリビングにいた母に次のように話しかけました。
ハル「Aくんの家に遊びに行ってからおばあちゃんところ行ってくるわ!」
母「またおばあちゃんのところに行くんか!?好きやなぁ!自転車飛ばし過ぎたらあかんで!危ないんやから!!!!」
と心配性の母はそう言いました。
ハル「だっておばあちゃん優しいもん!」
母「んー・・・お前が生まれる前はそんなん違うかったで」
ハル「どういうこと?」
そう聞くと次のように話し始めてきました。
母「お前を産むのを反対されたんや。言うてなかったけど、お前には1つ上にお兄ちゃんがいてな。生まれてすぐに亡くなったんや。命ってな当たり前にもらえるもんちゃうねんで。お母さんすごいショックやった。だからな、すぐに次の子を作りたいと思ったんや」
ハル「え!?そうやったん!知らんかったわ!」
母「すぐに次の子を作りたいっていうたらな、高齢出産やからもうやめとき!!!って親戚みんなに言われたんや。お父さんも乗り気じゃなかったしな。おばあちゃんもそうやった。みんなが反対したんや。でもな、お母さんはどうしても取り返したかったんや、お前を。それでお父さんと話して一発でお腹大きくなってな。それでお前を産んだんや。もし、お前の1つ上のお兄ちゃんがいてたらお前はおらんかったかもしれへん。でも、お前が生まれた時すごく嬉しかったんや。昨日のことのように覚えてるで」
ハル「今お父さんもおばあちゃんも親戚のみんなも優しいけど、みんな反対してたんやんな?ぼくが生まれてから変わったん?」
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