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一生で一度のお願い。ボクが家業を継ぐまでのハナシ。

天才家業経営者のあわずです。
(天才は半分冗談です。)
Twitterを始めてはや1年と3ヶ月。。。
5,000フォロワーを超えてやっとnoteを書く決心がつきました。

今まで逃げに逃げ続けていた文章と向き合うことにしましたので、長文になってしまってもお付き合いいただけると幸いです。

この固定ツイートに込められた想いを今日はnoteにまとめていきます。

正直、明るい話でもないですし
ポジティブなあわずだけ知っていたい方はTwitterだけ見ててください。

それでも…ほんの少しでもあわずをもっと知りたい方はぜひ読んでみてください。

子供の頃から死ぬのが怖い

あわずは今から31年前、1988年3月1日に粟津家の長男として生まれました。

祖父の代から続く建設会社(有)粟津工務店の
3代目としてスクスクと育つが…

ボクはとにかく昔から「死」に対して恐怖しかない。
できることなら不死身になりたいくらいだ。

小学生くらいからずっとこんな感じで生きてきて
30過ぎのおっさんになった。

たぶんなんだかんだで恵まれた人生なんだと思う。
やり直したい過去もないし、「粟津佑介」という人生が好きでずっと続けていたいんだろう。


小さい頃からおじいちゃんが大好きで小学生までは、よくお風呂に一緒に入っていた。

ふとこんな質問をしたのを覚えてる。
「おじいちゃんって死ぬのは怖くないの?」

すると祖父はこう答えた。
「おじいちゃんはもう怖くないよ。もう充分に生きたからね。あとはたまにゴルフができて佑介が大きくなるのを見ていられたらそれでいいんだ。」

自分もいつかそんな風に思えたらいいな…と心底思った。


おじいちゃんが亡くなった朝

祖父が亡くなったのは、ボクが大学4年生の22歳の時。
ちょうど就活を終えて実家に戻ってきた時だった。 

この頃には祖父はだいぶ体がやつれていて、
トイレに行くのも一苦労の状態だった。
ボクはまだ身近な人の死を体験したことがなくて、いつかおじいちゃんがいなくなるのではないかと怖くて仕方なかった。

そんな痩せ細った祖父を見ているのが辛く、
どこか距離を置く日々が続いた。

2月の寒い朝、実家の1階で祖父と一緒に寝ていた祖母が慌ただしく階段を駆け上がってこう言った。

「大変!おじいちゃんが息をしてない!!」

その後、救急車が来る頃には真っ青に冷たくなっていたおじいちゃん。
ボクはこの時初めて人が死んでしまう瞬間に直面した。

今思うと何で距離をとっていたのか…何でもっと
寄り添ってあげられなかったのか後悔しかない。

そんな後悔は2度としたくないと誓った。


ベンチャー企業に転職したのも束の間…親父が末期ガンになる

無事に大手インテリアメーカーに就職し
営業として6年間奮闘するも…なにか違う。

やはり自営業の家に生まれた性なのか、商売人としての血筋なのか…「起業願望」にあふれていた。

その後スタートアップでボクを入れても社員が3名しかいないベンチャー企業に転職し
「3年後には起業するんだ!」と意気込み
働き始めたのも束の間、 

転職からたった半年後にまさかの便りが届く…

母からの電話だった。
「お父さん末期ガンで長くないらしいの…
悪いんだけど実家に帰ってきてくれる?」


親父が初めて息子に頭を下げた日

親父はとにかく頑固で仕事のことは全く家庭に持ち込まない人だった。
当時、母や祖母ですら会社が儲かっているのか、仕事が上手くいっていたのか知らなかったくらいだ。

そんな堅物な親父だが、なによりも家族の時間を大切にしてくれる優しい父親だった。

ボクはそれまでやりたいことを反対されたことはないし、この日が来るまでは一度たりとも家業を継ぐことを強要されたこともなかった。


社会人になってからは実家に帰ることも
少なく、親父との久しぶりの対面は病室となった。

「よう。元気か?」
元気じゃない病人の親父に言われてもな…といった感じだ。

そこから神妙な面持ちで親父がこう続けて話した。

「佑介。悪いんだが、もうお前しかいないんだ…ごめんな。俺が元気なうちにいろいろと教えたいから工務店の仕事を継いでくれないか。」

親父がボクに頭を下げたのは、これが最初で最後だった。


親父にも同じ質問をしてみた

ボクは絶対にこの頼みだけは無下(むげ)にしちゃいけないと思った。
二つ返事で「いいよ。」と答えていた。

それから病室で親子水入らずの会話となり、
あの日祖父にした質問を親父にも投げてみた。

「親父は死ぬのが怖くないの?」

すると親父は少し笑いながらこう答えた。

「全然怖くないな。死んだらたぶん無になるんだと俺は思ってるんだ。だから、痛いも苦しいもないから大丈夫だろう。」

今思うと、祖父も親父も本当は怖いのを隠していたのかもしれない。

ただ孫や息子の前でいい格好をしたかっただけかとしれない。

でも、ボクもいつか死ぬのは怖くないって誰かに伝えて死ぬのがカッコいいと考えるようになった。


借金が1億円!?…でも、ボクは継ぐよ

それから余命1年と言われていた親父は、
ボクが実家に戻った2ヶ月後には呆気なく天国に
行ってしまった。

まともな引き継ぎも受けることができず、
担当の税理士さんから借金が1億円もあることを
知らされたのも親父が亡くなってからだ。

いろんな人に相談もしたが、誰もが家業を継ぐのは辞めておけと口を揃えた。

もちろん相続放棄すれば実家や家業を失うことにはなるが、ボク自身が借金を負う必要はなくなる。逃げ道は確かに残されていた。

それでもボクは忘れられなかった。
病室で親父が涙ながらに訴えてきたことを。

一生で一度のお願いをたった1人の息子である
ボクに使ってくれたことを。

ボクは家業を継いだ。

ここで約束を果たせなかったら一生後悔すると
思ったからだ。 

祖父や親父のようにカッコよく生きられないと
思ったからだ。

今でもあの時に親父とした約束を果たす為に
毎日一生懸命に家業へ打ち込んでいます。

最後に…

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

たった140字にこれだけの想いが詰まっていることを少しでも表現できていれば幸いです。

Twitterではこんな辛気臭い話は一切してないので、もしこのnoteを読んであわずに興味を持っていただきましたら、ぜひフォローをよろしくお願いします!

今後はボク自身が持っている経営哲学や会社をどう大きくしていくか、事業承継問題をどうやって解決していくかなどをnoteにまとめていこうかと考えています。

これからはTwitterでは語り切れないあわずを
noteで表現していきますのでよろしくお願いいたします。

あわず@天才家業経営者 (@awazoo301) 

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