ひるねはきもちいい、と書いた日記
大人の自分と、子どものときの自分。
どっちが自分らしいんだろう。
今のわたしは、色んなことに過敏で、聴こえ過ぎたり、気になり過ぎるのだけれど、実は小学校の頃はかなりぼんやりした子だった。
片方靴下が下がっていても全然気にもしないような感じだった。
喘息持ちで発作のため、かなり学校を休んでいたから、授業にもついて行けずなかなか大変なことも多かった。
けれども、1年生の冬休みに書いた日記から読み取れるのは、自由さだ。
先生は赤ペンの綺麗な字で、毎日コメントを書いてくれている。
これを書いたのが12月30日だったのに、どうして暇だったのか。大そうじもすんで、と書いてくださっているが、本当に大そうじをしたのか(多分やってない)、それは日記には書いていない。
なにより、こんなぶっちゃけたことを、学校の先生に見せる日記に書くとは、どういうことか。そして、始まりは謎の3マス空けをしている。1マス空けた後行は2マス空けている。この日記は冬休みが明けてから出すので、全部このスタイル。先生にも「あけない」と指摘されている。
そして次の日。
最もなご意見だと思う。
しかしここでも、なぜ大晦日に友達とシルバニアをしたのかよくわからないし、「あそんだとさ」なんてふざけたことを、よく書いたな、と思う。
そして年が明け、元旦の日記。
先生のコメントが優しくて泣けてくる。きっと、その時のわたしはすごく気になったんだと思う。他の日記には使われない「!」がタイトルに入っているのだから。
そして短い冬休みは終わる。
その日記の中に、先生のコメントでこんなのがある。
そう、わたしは体育もよく休んでいた。
喘息だったし、体も弱かった。
わたしは小学校から大学にかけて、なによりも体育が苦手だった。運動神経がよくないのだ。跳び箱も跳べないし、逆上がりも出来ない。三点倒立とか器械体操は絶望的で、どうしてこんなことをやるのか分からなかった。走るのも遅いし、そもそも走ると喘息が出るものだから、よく校庭のはしっこに体育座りして見学していた。
「なわとび」
体育の授業の
なわとびがきらいだった
みんなでいっせいに始めて
ひっかかったら、その場に座る
わたしはいつも
一番に座った
そしてみんなが
ひょんひょん跳んでいるのを
見ていた
飛んでいるみつばちを見る
羽根のないみつばちみたい
どんなかたちかわからないけれど
みつばちですらなかったけれど
わたしにも羽根がついていると
わかったのは
もっとあとのおはなし
小学校のわたしと今のわたし。
だいぶ違うけれど、どっちもわたしらしいと自分では思う。
「ひるねはきもちいい」と先生に出す日記に書けるわたしが、すこしうらやましいような気はするけれど。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?