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とっておきの "反転した満月" に出会い、想いを馳せる--来年のお月見に照準を合わせ楽しむ という選択

今年の"中秋の名月" は、9月21日なのだとか。

私は、み・カミーノさんのファンだ。
カミーノさんの文章は、美しい。カミーノさんの文章からは、音の響きや手触りを感じさせ、水彩画のような鮮やかな映像が 頭の中で映し出される。「同じ言葉を使っているはずなのに、不思議……」と、カミーノさんの紡ぐ文章に癒されている。

そんな尊敬して病まないカミーノさんの記事で、私は お月見が迫っていることを知った。

のぼりたての月を見て過去に思いをめぐらせたり、未来に思いを馳せたり。空に浮かぶ月を見て遠くの誰かを思ったり、空へ旅立った大切なひとを思い出したり。

月は時空を超え、ひとをどこかに繋げてくれる。月は時空を超え、ひとを誰かと繋げてくれる。月は、心に刻まれた「なにか」に繋げてくれる。

この部分で、私の中で"中秋の名月" は、近くにある和菓子屋さんの旗で知る存在で、家族で楽しくお団子を食べるだけ、という認識である事に気がついた。

一方のカミーノさんは、”お月見とゴスペルを 感謝の思い” で繋ぎ、特別な「なにか」を見出し、楽しまれている。もう、描かれる軌跡が美しく、憧れしかない。

***

私の場合は、お月見を何と繋げられそう?
そんな風に考え過ごしていると 出会えてしまった。

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反転した満月 に。

私は、この"反転した満月" を挟むことで、
「中秋の名月」に「なにか」を見出して 想いを馳せてみようと思う。

実は、まだ未完成な状態。
美しく仕上げきるのは、来年のお月見を目指す。

--今年のお月見は、私だけ が 大切な時間にして楽しむ事になる。
--続く来年には、 最愛の人 と一緒に とっておきの満月を共有できるはず。


これは、満月と幸せを やや強引に結びつけ、最愛の人も巻き込んで、
お月見を特別な行事に変えようと企む記事になります✍️✨


■月を通して、過去の人と繋がってみる

私のお月見は、悲しい程に だ。
お団子を食べて「美味しいね。月もきれいね。」と、感想を述べる位の "今" の現実的な楽しさ にしか焦点が当たっていない。カミーノさんがおっしゃるように、私も月を支点に 時空や場所を越えて誰かと繋がることで、お月見の楽しさに 広がりを持たせたいところ。

月を支点に 時空を超える...となると、
   平安時代に詠まれた 「和歌」 が思い当たる。

▼まず思い浮かぶのは、藤原道長が詠んだ歌。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

政治の実権を握った藤原道長が、
この世は自分の物であるかのように思い通りで、自分の望みの満たされた具合を満月に例えて詠んだ歌、として有名だ。

ーー私は 約1000年前へ遡り、「この和歌を読んでいる瞬間、彼は 幸せで満たされた時間に さぞ浸りきっただろう。」と、気持ちよく陶酔した言葉の並びを通して、彼の気持ちを勝手に想像する。この歌を詠んだ後も、満月を見る度に 美しさで心を満たすだけでなく、良き頃の思い出も重ね、至福なひと時へと変えて、日々の活躍の源にしていたのかもしれない。

▼壬生忠岑(みぶのただみね)も古今和歌集に、月にちなむ歌を残す。

有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

壬生忠岑が思いを寄せる女性が、他の人と結婚してしまった つらさを詠んだ歌。その悲しみに暮れた時に見上げた 夜明けの月が、女性のつれなさとも同期され記憶に残った。時が経っても 月を見る度に、思い出して つらさが込み上げてくるそう。

ーー同じ月でも こちらは大変そう。歌を詠んだ後も、美しい月を見る度に、つらい気持ちが上書きされたことだろう。彼が感じる気持ちを詠むことは、評価される機会に繋がっているので、必要不可欠な経験と捉えることもできる。けれど、つらさが新鮮な状態で続くなんて 想像しただけでも苦しすぎる。生きる時代は違うけれど、壬生忠岑さんの心中をお察しする。


■今の環境から 月を眺めてみる

----色んな月の過ごし方があるなぁ
と、自宅のバルコニーから 欠けた月が浮かぶ、淡い暗さの空を見上げ 思考を進められる余地を探してみる。

私の街は、タワーマンションが立ち並ぶエリアだ。
もれなく我が家も、地上より月まで60m以上は お近づきになった場所で生活を営んでいる。

これほどに 月が近くなった のに、
昔の人より関心がないのは、なぜかしら。

 ーー街が明るくなったから かすみがち?
 ーー月以外にも 楽しむ媒体が増えたせい?
 ーーそもそも私の感性が未熟すぎる?

現代でも月は、魅力的な存在。
アクセサリーや文具などで よくモチーフとなる。
今を活躍する歌手も 月をテーマに歌うし、
子どもの絵本も 月を題材に描かれた物は多い。


こんなにも身の回りに溢れているのだから、
月に 「なにか」を見つけ出すことができたら、とっても素敵。

そのためには、
月を想起させる体験。
お月見とは 別に 必要となるのだろう

と、"戦略" を練ってみる。

お月見を より深く楽しむためには、
---カミーノさんのように 月と意味的な繋がりを持つ
---道長さんのような 満月を連想させる幸せな時間
を 体感しておく 必要があるのかもしれない。
そして、
---壬生忠岑さんのように 体感した瞬間に月が身近にある
という環境があれば、より 体感と月 の結び付きが強固になる?


■"反転した満月" との出会い

ふんわりと願望を抱き、毎日の生活を送っていた。

すると、
出会えてしまった。

「中秋の名月」に繋がる、ピッタリな形に。

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まるで反転した満月

気がついた瞬間、
ハッ と息を飲み込んだ。
運命」という言葉が、ぽっかり 頭に浮かんだ。


ーーー何の写真か お分かりになるかしら?
先週末に、私たち家族は キャンプに出かけた。
これは その時に見つけたもの。
ーーー皆さんには 満月に見えているだろうか?
そこも、ちょっと心配。
もはや私には 満月にしか見えないのだけども.....


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この "反転した満月" は、
タープに映し出されたランタンの影

キャンプの就寝前に、家族で ゆったりとボードゲームを楽しんでいた時の風景だ。
我が家は、キャンプデビューしたての初心者キャンパーで、キャンプというと "必死"や "大変" などの言葉と共にある状態が多い。


余裕のない私達の 希少なゆったりタイム
その真上に 
満月がのぼっているのだ


みんなは ゲームに集中し下ばかり向いている。
満月の存在に気がついたのは 私だけ。
上を見上げながら、ふふっと 顎の付け根が緩んだ。

---まさに、とっておきの満月。
と頭の中に 文字を並べ、じんわりと広がる心地よさを味わう。

今思い返しても、可笑しくて楽しい。


■収穫の感謝 と 最愛の人への感謝 を重ねる

この "反転した満月" を見つけた時に、家族と分かち合いたい衝動に駆られた。

けれど、
黙っていようと決めた。

少し立ち止れば、簡単に予想できる。
みんなの意識は ボードゲームにある。私のように「中秋の名月」について考えた時間も持たない。このタイミングで 気づきを共有しても「わぁー、本当だ」で簡単に終わられてしまう。もしかすると、満月とすら 繋げて貰えないかもしれない。こんな素敵な発見を、薄い形で終わらせるなんて 勿体ない。


家族にも 私と一緒に、
---「中秋の名月」と 「反転した満月」 を繋げ、
その先に、
---家族でゆったりと過ごした 幸せな時間を想起 して貰いたい。そのためには、

もっと満月らしく『演出』した方が良いのでは?

と、考えが舞い降りた。

その演出は、
---お団子を周到に準備する
ことかもしれないし、
---ランタンの取っ手を外し、より完璧な満月にする
ことかもしれないし、
---うさぎの形も浮かび上がらせる
なんて、お茶目な工夫かもしれない。

考えを巡らせていると、

"反転した満月" を「中秋の名月」に重ね楽しむ時は
\\\  夫  ///
と共有したいな。

そう、強く感じた。

***

夫は、好奇心旺盛で活動的な人。

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平日は会社員として仕事をこなし、不定期で土日も 別の職域の仕事に励む。さらに、今年の初めから、仕事後に オンラインで大学院にも通う生活となり、忙殺的な毎日を過ごす。なのに、最近は 電子工作にも興味が出て 時間を見つけると技術習得にご執心だ。

夫は、常にありったけの優しさを私に見せる。
仕事では 鬼のような切れ味を見せ、子どもたちには 厳しい一面を持つ。
けれど、子どもが「ママだけ特別扱いをする!」と気がつき指摘をした時期を経て、「そういうものなんだ」という認識が定着し切ってしまう程に、私に菩薩の如き眼差しで接し続ける。

何を隠そう、
私は そんな夫をこよなく愛している。



そんな夫は、
私の楽観的に暴走しがちな思考回路を 面白がる。
私が 結果を力技でポジティブな形に押さえ込もうと画策する姿を、概ねとても気に入っている。(....と思う)


***

そうだ!!

「中秋の名月」に見出す「なにか」、夫に捧げよう
ーー"夫への感謝"  と  "秋の収穫の感謝" を繋ごう

戦略を練る先の照準が 明確に定まった。

すると、カタパタパタパタパタ.....
満月を中心として 縦横自在に、ドミノが倒れて線を作り出すように 軌跡が繋がっていくのを感じる。

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ここからは、
視点を高く保ち、腕を組みつつ首を傾げ眺める。
キーワードは、"自分好みで夫好み" 、だ。
どの繋がりを選択することが "私達好み" の軌跡を作るのか、を吟味していく。


■私の 「中秋の名月」 を通して繋がっていく軌跡

初めに持った仮説も思い出す。
お月見をより深く楽しむための "戦略" のことを。

✔️カミーノさんのように 月と意味的な繋がり
 ---収穫の感謝 と 最愛の夫への感謝 を繋げる
✔️道長さんのような 満月を連想させる幸せ時間
   ---夫婦で挑戦中のキャンプでの、ゆったりとした家族の幸せで満たされた時間 を満月に重ねる
✔️壬生忠岑さんのように 体感した瞬間に月が身近にある
 ---見上げた "反転した満月" を通し、上の記憶を満月まで強く繋げていく

これらの 経由地点 を通る軌跡である事を確認しながら、もっと沢山繋がりを作れない?もっと美しい軌跡はない?と時間をかけて選び取りたい。

その為には、今年のお月見までには 間に合わないなぁ...と少しシュンと気持ちが萎む。

でも、気を取り直して考える。
--私と夫は、来年のお月見も 変わらず一緒に過ごしていることだろう。
1年かけて 暖めた計画で、夫に日頃の感謝を伝え 一緒に楽しむ。それは 想像しただけでワクワクしてしまうじゃない♪


来年の「中秋の名月」に、
細めの目を持つ夫が、さらに目を細めて、
「らしいねぇ」と ほっこり喜ぶ姿

そこに、照準を合わせ 繋がりを美しく組み上げる。
何ともロマンティックな作業。
夫の期待を遥かに越えてしまおう!なんて 野心も出てくる。笑



今年の「中秋の名月」は、
例年通り、家族で賑やかに 団子の甘みを楽しむ時間を過ごす。
---ただ、私だけが 「満月の中に "夫への感謝" へ繋げる軌跡をどんな風に描こうか」、と想いを馳せ 広がりある楽しみを持つだろう。

その過程で、
今の時代だから繋がれた カミーノさんや、月を通して繋がった 過去のお方達の気配を感じ、さらに深く幸せに浸れそうだ。そこに"反転した満月" を見つけた私の感動も加算できる。私にとって お月見 が、広く深い空間を持つ楽しみに変化する予感だ。

今年から「中秋の名月」は、
私にとって 特別な存在 に変貌する

満月は
私から 放射線状に
場所や時空を超え、様々な人に繋げる

そして

私と 最愛の人 を
美しい軌跡で しっかり繋いでくれるだろう

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「中秋の名月」にあたる9月21日、
    くっきり存在する満月を 心から拝みたい。

どうか 晴れますように!!



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こちらの記事は、お月見コンテストへの参加記事です。
どうぞよろしくお願いいたします☺️




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