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真綿。

シルク製品が好き、というと、ビーガンなみなさまに怒られるだろう。わたしは革製品を使うこともNGにしていないので、肉や魚を食べはしないけど、VEGANではないなあとしみじみ思うのだ。

Image by GILBERTO MELLO from Pixabay

ビーガンのライフスタイルは、かなりわたしの生活に近いので(そんなに卵や乳製品を取るわけではないので、食事の面からみるとかなりビーガンに近い)、仲良くできそうなものなのだけれども、思想的な面でかなり違う。

ただでさえ人数が少ない菜食界隈、仲良くやればいいのだろうけれども、やっぱりいろいろ大事にしていることが違うので、ちょこっとメモを残しておきたい。

ベジでなくても、自然派傾向にある人は、肌が弱かったりなにかしらアレルギーがある人も多いように思う。そして、低たんぱくな食生活をしていると、化繊を身に着けるのが嫌になってくる。静電気が煩わしいのだ。

そして、湿度管理に結構シビアになる。筋肉もりもりだと、湿度に対しては筋肉ではっきりと結界をつくる感じで対処できるのだけど、筋肉に頼らない体質だと、浸透圧ベース。となってきたときに、湿度が高い時期は調子が悪くなりやすい。

そういうときに、調湿作用が非常に高い、シルクという素材は強い味方なんだ。綿は梅雨の時期には湿度を吸い込んで重たくなるので、あまり着たいと思えなくなる人も多いのではないだろうか。山登りでも、汗で湿って冷えるので、綿の靴下はNGとされたりするくらいなのだ。

いちばん贅沢なシルクの使い方は、布団だと思っている。

綿や化繊の布団は定期的に乾燥機にかけるか、外に干さないといけないのだけど、真綿の布団はその必要がほぼない。軽くて柔らかく、涼しくあたたかい。
布団屋のおばちゃまが言っていたが、胃がんの人が真綿布団を使っていたら、胃のあたりだけ綿が真っ黒になったそうな(そしてがんは治ったらしい)。

そのほか、肌着やペチコート、和装なら長襦袢に仕立てる人も多いけど、布ナプの中身の綿を真綿でやるとものすごく身体に良いだろうと思う(裏を返せば、ケミナプの成分をどれだけ肌吸収しているのか問題)。

で、いつかは真綿の布団が欲しいと思っていたのだけれども、お店でみかけて、そのお値段に目玉が飛び出そうになった。
これならパッチワークキルトの要領で、自分でつくれるんじゃないか、なんて思ったのが間違いだった、、

虫に恨まれそうなくらい(すでに500匹くらいは茹でた)の大量の繭を茹でて、下処理して、綿にする、というところまでやったのだけど、手間がかかるし、においはきついし、とっても大変でした。そりゃ売っているものは高価だわな、と納得でした。

たくさんの虫の死骸を取り除きながら、虫を犠牲にしてまで手に入れる心地よさについていろいろ考えていた。

わたしは「感謝して戴く」系の話があまり好きではない。だってそれがもし自分だったら「ありがとうって言ったよね」って殺されて納得するか?という話だ。どう考えても、これはただの自己満足的な言い訳にすぎないと思ってしまう。

じゃあ、虫を大量に殺したり、卵を食べることについてどう思ってるの?と聞かれたとき、わたしの答えは「自分で殺したりつかまえたりできるかがリミット」ということになる。

鶏小屋に入って卵を取ってくることはできる。蚕を茹でて繭から取り出すこともできる。でも、鳥の首を絞めて羽をむしって血を抜いて、みたいなことはできないし、魚は生臭いので調理したくない。
あとは、食べた時にむかむかしたり、あとで寝込んだりして無理かどうか、というあたりになってくる。

感謝していただく、という話に、かなり似ているけれど違う感覚。それは、陰陽どちらもひきうける、というところにあると思っている。

よく「物事に善悪はない」と言われるけれども、それはそのひとが、物語のはじめからおわりまできちんと味わうなら、という但し書きがあるように思うのだ。

世の中の行き過ぎた悪、というものは、たいていその周囲に、行き過ぎた果実、がちらつく。果実が多すぎたり甘ったるすぎることについてまゆをひそめる人は少ないが、行き過ぎた悪、というのは、この果実とバランスを取るように、セットになって切り離すことができない。

だから、甘ったるいものが好きだよ、果実大好き!というのはいいけれど、そしたら、そういう人ほど嫌がる、とっても苦い何か、も取り入れなきゃいけなくなる。それでセット、、

苦いものは嫌だ、というなら、甘ったるすぎるものも減らす、、
マクロビオティックのもともとの発想というのは、この「中庸」を大事にする、というところにあるわけで。

しかしこの令和に生きていると、ひとりで物語の全貌を引き受け、中庸をみつけてバランスをとっていく、ということがとてもやり辛い時代。
自分のペースもすべて組織やシステムに明け渡し、果実を貪る方が、楽だ。
だけど、楽ほどおそろしいものはない、、

わたしが大事にしているのは、こんな感じの、些細だけれどちょっとずれると大きく違ってくる、このあたりの領域。
正しさというより、基本的には自分の気持ち良さベースなのは間違いない。







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