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りんごを解けば②

日本人にとって、キリスト教というものは、一部のカルトにそまった人々の信じている異教である、という感覚がとても強いように思う。

私はたまたま、親がキリスト色が強かったこと及び、3歳から22歳までびっちりクラシック界でピアノをやっていたこと、中高がカトリック系の女子高であったこともあり、この世界観については、西洋人と近い肌感覚を、半分は持っている。

母は、キリスト教とゆかりの深い長崎の島原、原城の近くの出身である。あのエリアの人々は、島原の乱でみんな死んでしまっているので、その後に住んでいる人々は全員外からの移民なわけで、母の系統も遡ればどうやら、四国、徳島の阿波エリアからの移住民らしい。そういった古文書が残っていた、というようなニュースを、わりと近年地方のニュース記事で知った。

そして、父も四国の徳島、阿波エリアの超ど田舎、剣山に近い山奥の出身である。昨今、忌部系統の文化が古いユダヤの文化だ、と脚光を浴びているようだけれど、どうやらうちの系列はあのカルチャーとほぼ関係がなさそうである。だが、叔母がたくさんの手記を残しており、その内容を理解したのは、叔母が亡くなった後で、最早確かめようもないのだが、そこにはいろいろと不思議なエピソードがたくさんある。

yano@mama.akari.ne.j…, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E5%89%A3%E5%B1%B1%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E6%9E%97%E9%81%93_-_Mt.Tsurugi_super_forest_road_-_panoramio_(12).jpg



また、わたしが執拗にこのエリアについて掘り下げるきっかけになった不思議な、因縁めいた出来事は、このルーツをたどるということとどうやら切っても切れないらしい。
叔母は、霊的にいろいろ見えたり、夢枕に祖先の誰かがでてきたり、そういったことが頻繁にあったようだ。私の父は、親ではなく、年の離れた姉である彼女に名付けられ、とても目をかけられていた。
だが、私は叔母に会ったことはおそらくない。赤ちゃんの頃に会っているかもしれないが記憶すらない。私の家は母方も父方も、遠方であったこともあり、親戚づきあいはほぼ皆無で、お年玉をもらったり、親戚で盆や正月に集まったり、といったことはなく、親戚のひとたちの顔すら思い出せない。
ただ、父のところには叔母から定期的に、唐突に電話がかかってきて、一方的に話を聞かされていたことは覚えている。そして、父はその内容なんて一切理解もしていなければ、覚えてもいないのだ。


なので、私は、幼い頃から成人するまで味わった、どちらかというと違和感と威圧感でしかなかった、異教カルチャーについて、もう一度捉えなおすことになった。

今わたしが住んでいるところも、若い頃叔母が住んでいたエリアにほど近く、そんなことは知らずに、別の理由でここを、ほとんどいやおうなしに選んで住んだということも、因縁めいている。

わたしは霊能者のような具体性を持って何かを感じることはないが、こういった、わけのわからない体験は、折に触れて結構起こる。この謎を解き明かさないと、ここからどうやら出られないらしい。

そういうことなので、私なりに理解したことを、まとめていくしかない、というところに向き合う羽目になった。

私にとって、キリスト教の世界観というものは、よその異質なカルチャーではなく、もっと個人的にドメスティックなものであった。
だから、多くの日本人が無自覚になりがちな、依って立つ土台がいかに、気づいてはいないもののキリスト教的な世界観が色濃いのか、ということへの理解が、わりとしやすいという面がある。

学生時代を共にした子たちは、今思えばほんとうにいいところのお嬢さんばかりで、今はそれなりの、いわゆる上級国民、みたいな世界で生きている人ばかりだろうと思う。

しかし私は、彼らとまったく違う生き方を選んでしまった。

私は彼らのように、無邪気に、あの閉塞的な世界に守られ、疑うこともなく生きていくことができなかった。

なぜ、あの外に出てしまったのか?

中にいて、外に出たからこそ、見えている景色が私にはある。
その風景を分かち合いたくて、こうやって書いているところがある。

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