なくしたものの歌

人は日々を暮らす中で、満ち足りた幸せを味わったり、誰かや何かをなくしたり(無/失/亡)しながら、それぞれ生きている。そこには湧き上がって織り重ねられる感情があるけれど、わたしにはおそらくそこから何かを生み出すことはできなくて、いずれにしてもそれらの感情は時間とともにやがて去っていってしまう。そのことに失望もするし、救われもする。でも何かをなくした時に傷が残ることはあって、それを抱えながらその後も生き続ける。

アーティストも同じようにいろいろな人生の瞬間を生きている人間で、彼らは自分の感情から音や言葉を紡ぎ出して歌う。幸福であることよりもなくしたものについて歌う人は少なくない。わたしにはぐるぐると渦を巻いていたり激しく吹き荒れているのを黙ってやり過ごすしかできないような思いや痛みを、彼らは見逃したり避けたりしないで向き合って見つめる。表面を撫で輪郭をなぞり、中から何か結晶のようなものを取り出そうとし、時間とともに薄れていかないように音楽にして刻みつける。

そうやって彼らによって作られたものを聴くと、去っていったはずの感情がふっとよみがえってきて、自分の中を満たしていく。不思議なことに、音楽になったつらさや悲しみを迎え入れることで、むしろ傷はゆっくりと癒えていくように感じる。なぜか音楽にはそういうことができる。


Hannah Georgas 「All That Emotion」

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彼女の初期の作品はバンドサウンドのいわゆるインディーポップで、特に2ndの「Hannah Georgas」の楽曲はセンチメンタルでキャッチーなメロディに彼女のどこか知的な詞が乗っているところがすごく魅力だった。今聴くと初期の2枚はとても若々しくて、切なさに満ちていながらどこかきらっとしたものがある。
4年をあけて出された3rdアルバムから彼女の作風にぐっと深みが出た。身近な人の死を経験したつらさや悲しみが深く影を落としたその3枚目「For Evelyn」からさらに4年後の2020年、彼女は4thアルバム「All That Emotion」をリリースした。この作品ではおもにパートナーとの別離が歌われている。

そんなに簡単なことだったの?
去っていった恋人との別れのあっけなさに傷つく心を歌う彼女の声は、淡々としていながらもどこか生々しい体温が伝わってくるようで、響きの中に暗さや深さだけでなくかすかに絹のような光沢も感じる。このアルバムはThe NationalのAaron Dessnerがプロデュースしていて、さすがのサウンドプロダクションだと思う。メランコリックで浮遊感のあるトラックは音数が抑えられていて、それによってこそ立ち上がってくる空間のようなものがあって、彼女の翳りがありつつも落ち着いた芯の強いボーカルがそこにくっきりと浮かぶ。
このアルバムには失恋だけでなく家族への複雑な思いを歌ったものもあって、全体的に喪失感をまとっている。その中でたった一曲だけ「Dream」にははっきりとした希望を感じとることができる。

And if the world comes down
I wanna hold your hand
And if I lose you now
I've gotta tell you, baby
I only thought I could find you
In dreams I've had

世界が終わるなら あなたの手をにぎっていたい
今あなたを失ってしまうなら 伝えなければ
あなたのことは いつかの夢の中でしか手に入らないと思っていたと

なくしたものの歌たちの中で唯一この歌だけがまっすぐに相手を求めていて、アルバムの中でそのコントラストがいっそう際立ち、切実さが高まる。

もう5年も前になるが、彼女のライブを見に行ったことがある。素晴らしいパフォーマンスだった。なによりまず歌がいいのはもちろんだったが、音に合わせてぐらぐらと波のように体を揺らすのが、エキセントリックなのにとても自然で魅力的で、体じゅうで音を発しているようで、最初から最後までほんとうに釘づけになってしまった。これだけ聴き手の心を引き寄せたり震わせたりする何かを持っているアーティストでもあるし、特にこの4thアルバムはシンプルで凝縮されたサウンドに彼女の持ち味が惜しみなく引き出されているので、もっと多くの人に聴かれてほしいと思う。


Patrick Watson 「Wave」

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Patrick Watsonが2019年にリリースした「Wave」は、彼が経験したいくつかの別れの後に制作されたという。家族の死、パートナーとの離別、バンドメンバーの脱退というプライベートとプロフェッショナルの両面でのつらい経験は身を切るようなものだっただろうけれど、このアルバムではそれを美しい楽曲に昇華させている。

「Broken」はこのアルバムの核になっているいくつかの曲のひとつで、いちばん直接的に別れの瞬間にこみあげてくる感情を歌っている。

Pack your bags with all the lives you've been before
And leave behind what you don't want no more
Memories come and then they go
You just learned how to let go
Sometimes you wanna go back
But it don't work like that

これまでの人生をつめこんで荷物をまとめる
いらなくなったものを残して
思い出が押しよせては去っていく
ただ手放すということを学んでいかなくてはいけない
昔に戻りたいと思っても そうはいかないんだ

このアルバムで核になっているいくつかの曲では、別れにまつわる悲しみや、生きてゆく限りはそれをくぐり抜けていかなければならないどうしようもなさが歌われている。その曲たちはさすがにドラマチックに奏でられていて、感情に身を任せるというか飲み込まれているようでいながら、音楽的にもとても完成されていて、精巧によく練られた作品であるのが分かる。それに加えて、シリアスでテンションの高い核の楽曲を取り巻く他の歌が、ほどよく力が抜けていてスタイルも様々なところがいい。あくまでアルバム全体のセンチメンタルな流れに沿いながら、ちょっとラテンフォークのようなギターや、アブストラクトなシンセの音やローファイっぽいリズムのドラムが聞こえてくる。アルバム=お弁当論者のわたしにとって、このいろいろなバラエティは本当に好ましく、最初から最後までアルバムを通して聴いていて飽きないし楽しい。歌ひとつひとつのあり方が愛らしくて耳が喜んでしまう。

アルバムの最後をしめくくる「Here Comes the River」は、オーケストラと彼のピアノをバックに、氾濫する川とそこに住む人の描写が歌われる胸を打つ名曲だと思う。

ここでは不幸が天災というかたちをとって人びとの日常を奪っていく様子が歌われているけれど、どのような不幸であれ、それがやって来て何かを破壊していく間、人はただじっと耐えるしかない時があるのだということを、彼はあきらめと優しさをもって歌いあげている。それは同情とか被害者意識のような甘ったるい陶酔からではないと思う。同じようにひとりの人としてきついステージを経験してきた上で、その経験から得たものをアーティストとしてここまで美しく音楽として磨き上げるにはとても厳しさを要求されるし、その音から感じられるのはとても大きくて静かな包容力のようなものだ。

余談だけれど、このMVはモントリオールのあちこちで撮影されていて、彼のこの街に対する愛情と、アーティストとしての気前のよさというか惜しみなさがよく現れていると思う。人びとに分け隔てなく自分の音楽を気軽に差し出して、つながりを持とうとしている感じ。


この2人はまぎれもないカナダ人で、どこかしらいかにもカナダっぽい感じがするのだけど、それが何なのかはうまく説明ができない。ただの気のせいかもしれなくもない。でも、この2枚のアルバムはいわゆるunderratedなのではないかと個人的には感じていて、もっと国外の人に知られてもいいように思うし、普遍的なところを気負いなく音楽化していて、時間が経っても変わらない種類の光りかたをしていると信じている。

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