右往左往、ベタ
先週末から何かを吹っ切ったように夏の陽気になった。太陽の角度のせいか、なんだかもう空の感じがすごくアッパーになってて、ぜんぜん変わったなと思う。とは言え、気温の上がり下がりが激しく、翻弄されている。日によって暑くなったり涼しくなったりするのもあるし、1日の中でさえ気温の差が15℃以上開くこともザラにあるので、朝に服を選ぶ時、何を着ていけばいいのやら分からないことも多い。昨日は午後3時に34℃だったのが急に雷雨がきて午後4時には22℃になった。1時間で12℃下がるのはなかなかサディスティックだ。
午後には25℃を超えて暑くなっても、夜中にはひと桁まで気温が下がる。真夏でも夜には20℃くらいにはなる。家の中の空気はまだ熱いままなので、玄関先のポーチに扇風機を置いて回し、外の冷気を窓から送り込むと、家の中が涼しくなっていく。うちにクーラーはない。クーラーがなくて死ぬ思いをすることは確かにあるけど、そういう日は1年のうちで10日もない。だから扇風機で生きていく。
今はこんなに夏らしくなったが、つい10日ほど前は低温注意報が連日出ていて、実際に霜も3回ほど降りた。そのために、わたしは夜になると庭にあるほぼ全ての鉢植えを家の中に入れ、翌朝は気温が上がるまでしばらく待ってから再度外に出すことを毎日繰り返した。鉢や苗の数は30を超えるのでなかなか大変だし、家の中も風呂場も鉢植えであふれかえる。夜な夜な暗い中、えっさほいさと鉢を運んでいて、気温のために毎晩こうして右往左往することがほとほと嫌になって妙に悲しくなり、くたびれ、途方に暮れながら早く夏になってほしいと心から祈った。まあそれがようやく聞き入れられてこう毎日暑くなっているので文句は言えまい。庭の草木もこの暑さでてきめんにぐいぐいアグレッシブに育っていた。
今日は20℃くらいの爽やかな天気で、これがしばらく続くらしい。また寒い夜が来なければいいのだけど。(追記 : 来ました。しかもまた来る)
花や野菜を育てていて必要になってくるのが切り戻しとか摘心という作業で、要するに枝や茎を切ることなのだけど、花が咲きそうなつぼみや実際に花が咲いてる先端を切り取ってしまい、新しい脇芽を伸ばすことにより、全体のフォルムを整えたり、少し後にさらに多くの花を咲かせる目的で行う。わたしはいまだに花がきれいに咲いているのを切り落とすのに罪悪感を覚えてしまう。
でもやる価値は確かにある。何かをずるずる惰性で続けてもある程度の結果は出るが、ここで一発思い切ってリセットしておくと、しばらくしてからもっといい結果が出せるのだ。でもはさみを入れるポイントをうまく見極めて、その枝のポテンシャルが引き出せるような切り方をしないといけない。まあ今はネットでちょっと調べれば分かる。
店で売られているハンギングバスケットの寄せ植えは温室育ちなので、寒い外気にさらされるといきなり萎えたりする。ゼラニウムにつぼみがついてたのに、こないだの寒さの後でみんな枯れてしまった。環境が変わるとついてゆけずに死んでしまう弱い部分があるのだ。しかたないので脇芽に希望を託して、枯れたつぼみはばちんと切る。切ってから液肥をやって甘やかしてやる。きみは夏をここでわたしと生きるのだ、この新しい環境で咲ける花をまたつけてくれ、夏は短いのだよ、と念じてドーピングする。するとしばらくしてちゃんと新しいつぼみをつけるので、おおでかした、となる。植物の側としては単にロジカルに反応しているだけなんだけど、面倒を見る自分としては応えてもらったように感じてしまうので、さらに愛着が増していく。
いっぺんに全部強めに切り戻すと、この土地の短い夏は次の花が咲く前に終わってしまうリスクがあるので、わたしは自己流のビビリでしけた切り戻しを全体的ではなく50%くらいの枝にちまちまとやって、花がなるべくどこかに少しでも残り続けるようにやる。髪の毛にレイヤーをいれてすいていくみたいな感じで。だから1週間か2週間に一度、どっかしらの枝にはさみを入れないとならないのだけど、この作業は好きだからあまり苦にならない。時間の確保をするのは難しいが。
アクアリウムの掃除もそうだけど、お酒とか飲まないで音楽を聴きながら集中してかつ淡々とやる。いったん始めると2時間くらいあっという間にたってしまう。最近は庭仕事や水槽のメンテをする時に、Mac DeMarcoの9時間近くあるアルバムを聴いている。
明らかに日記がわりに日々作っていた音楽なんだろう、タイトルも日付だし。コロナが始まって世の中がおかしかった時期も含まれている。作業のたびに聴いていたら、なんだかんだで180曲を超えた2022年の11月下旬あたりまできた。かなりの時間を植物または魚とMac DeMarcoに費やしていることになる。
しかし地味な生活の作業にここまですんなり馴染んでくれる音楽もなかなか他にないなと思った。頭をからっぽにし、落ち着いた気持ちで黙々と手を動かしていると、瞑想状態まではいかないまでも、ある種のごく軽い没頭のような乖離のような、自分を忘れる感じになるのだけど、そこに本当に自然に合う。すごくいかにもMac DeMarcoだなという音なのに、逆にエゴみたいなものはまったく感じなくて、機嫌がよくて力が抜けている。ほとんどの曲はのんびりとして似たようなあの調子で、まあわたしの毎日も似たようなこの調子なので、言うまでもなく最適解なんだろうなと思う。たまーに目先を変えた曲が入っていて、おっ、と思わされるのも楽しい。
非常にアナログなタイプのアーティストっていう感じのする彼が、199曲入りの8時間43分のアルバムを出すっていうのが、デジタルのフォーマットでしかできないような方法でリリースしているのと、デジタル音源の存在感の軽さというか薄さみたいなものを逆手にとっているみたいでおもしろい。アルバムとして膨れ上がるほど何かが希薄になるような感じがするんだけど、むしろそれは好都合で音の脱力加減にもぴったりだなあと思う。一曲ずつきちっと向き合う必要がなくて、がんばらずにつるつるっと暮らしの中で聴き流せることのありがたさ。源泉掛け流しみたいな。アンビエントものもリモート勤務の自宅での仕事中にかけることはあるけど、このアルバムはアンビエントと違って仕事のBGMには向いてないかも。のらりくらりしている音だから、難しいことはどうでもよくなってきて、労働意欲が削がれてしまう気がする。わたしにとってはあくまで余暇の音楽という感じ。
水槽は立ち上げてから2年半になる。若干の変動はありつつも落ち着いてはいて、4月にエビが1匹だけになってしまったので、5匹仲間を新しく導入して、そのうち4匹はうまく定着して2ヶ月がたった。なるべくメスとオスが半分ずつになるようにしているけど、以前のように抱卵することはなくなってしまった。繁殖に向いていない環境だとエビたちは知っているのだろう。実際、以前産まれた小エビはアカヒレに全部食べられてしまって生き残らなかった。特に対策もしてあげてなかったからかわいそうなことをした。だから期待はしていないのだけど、それでも満月や新月には抱卵しやすいらしいので、なんとなく気になって見てしまう。
アカヒレはエビよりもずっとしぶとい。立ち上げからいる初代でまだ生き残っている子もいるし、この水槽で生まれた第二世代もすっかり大きくなった。ずっと小さいままだった子をナノさんと呼んで見守っていたが、今はもう育ってしまって他の子たちと見分けがつかない。現時点ではノーマルカラーが6匹、ゴールデンが3匹いる。特長があって目立つ何匹かは名前がついているけど、他の子は判別が難しいので全員に名前をつけるのはもうやめてしまった。
ちょうど一年前にソイル+砂利の二層だった水底を砂利だけにしてみたが、結局そこまでメリットがあったような感じはあまりしない。苔対策のつもりでやったけど、未だに苔は出てくるし、水草の育ちは明らかに悪くなった。アナカリスのヒゲ根が目障りなので切っていたら今ひとつ元気がなくなってしまい、株自体も2年以上たって古くなってきているのかもしれないから、そろそろ新しいのを買おうと思っていつものペットショップに行った。
水草を選んで包んでもらっている間、店内をふらふら見ているとベタを売っている所に着いた。ベタは1匹ずつ小さい透明のふた付きカップに入れられていて、エアレーションもフィルターもなく、個体の色を見せるために照明の当て方も他の売り場と違う。この一角だけ生きた魚を売っているのに不気味なほどいつも静かだ。ベタは昔は全然興味なかったのだけど、色や顔つきによってはたまにかわいいなと思えるようになってきて、それぞれ1匹ずつほんとに違うよな、と見ていると店員さんに話しかけられた。何を話したのかは忘れてしまったが、わたしが見ていたコーナーはヒレの大きい種類で1匹24$、反対側は12$です、と言われたので何がそんなに違うのか反対側を見に行ってみた。
そこにはもう少しスレンダーな感じで鮮やかな赤や青の単色の個体が多くいて、さっき見ていた種類のフリフリのヒレと毒々しい色の混ざり加減がむしろ好きではなかったから、半額の方がぜんぜんいいじゃんと思っていると、店員さんはもう少しゆっくりご覧になりますか?と言ってわたしの所から立ち去ろうとした。あ、いいです、これにします。この赤い子。
自分でも何を言っているのかよく分からなかったが、わたしはその赤いベタを家に連れて帰ると決めたようだった。ベタはカップから持ち帰り用のビニール袋に入れられて、わたしはそれを水草と一緒に受け取った。生きものに関しては衝動買いなんて言語道断だと思っているのに、何してんの自分、と半ば信じられない気分で店を後にする。
売られているベタの中には死にかけているのかぼんやりとした動かない個体も多くいて、そのどよんとした感じがわたしがベタをあまり好きではなかった理由なのだけど、その赤いベタは鮮やかだけど深い色をしていて、出会った時、まるでこちらがしっかり見えているようにくいくいくいっと体をすばやく左右に揺らしながら寄ってきて、それにすっかりやられてしまったのだと思う。その子は何か他のベタと違う感じがしたのだ。まんがで言えば集中線がターッとそこにきているような。
とりあえず家にあった2Lくらい入るガラス瓶にカルキ抜きした水を入れ、袋のまま20分くらい温度合わせをしてから中に放した。よく考えたら水合わせもしてあげなくてひどいことをした。でも翌日には泡も出し始めてうまく適応してくれたようだった。2日後からエサを少しあげてみると、小さい口をぱくぱくさせてのんびりと食べている。その様子は、普段見慣れたアカヒレの集団がぐわーっと競い合ってエサに突進してくるのに比べると、気ままというかおっとりしていて新鮮だった。
ベタのイメージはけんかをする攻撃的な魚というものだったけれど、実際こうやって攻撃性を刺激しない環境に置いてみると、よっぽどアカヒレよりもおとなしい。単体で飼っているせいもあるだろうけれど、その個体の性格や味みたいなものがよく分かる。アカヒレはとにかく食欲に支配されていて常に食べることを中心に行動しているけど、ベタはもう少しこちら側に対する関心があるように見える。単にオラオラしているだけなのかもしれないけど、ヒレをぴよぴよさせながらいそいそとこちらに近づいてきてアイコンタクトをしてくる(ように見える)のがとてもかわいい。ケンカしたいのかと思って人差し指を向けると、むっ…という感じであとずさりする。それもかわいい。
それから連日ネットでベタに関する情報を探しまくり、正しいとされる飼い方の中で自分が継続できるであろう方法をいくつか選び、それに基づいて新しく半月型の1ガロン(4L弱)の水槽を購入した。アカヒレとエビの水槽も同じ半月型のサイズ違いなので、ふたつを合わせて置いたらやはりなかなかよい感じになった。
セットアップを完了すると、何とも言えない達成感があっていい気分になる。でも大事なのは、むしろこれから続いていく日々そのものなので、この環境を維持または修正しながら、健康に生きていけるように面倒を見ていかなくては。ベタだけでなくアカヒレも花も野菜もうさぎも家族も自分もそうだから、生きているものと一緒に生きるのはそれなりに大変だけれど、なんだかんだ言って楽しいからやめないのだと思う。
最近聴いた音楽の覚え書き。こういうの書いておくと、後で読み返した自分が一番楽しいんだと気がついたので…
日本の音楽、全部聴くなんてとても無理だけど聴ける範囲で聴いた中で、日本語で歌われていても違和感がないのはD.A.N.とceroだと思っていて、このアルバムもよかった。昔みたいにやたらとサビに変な英語入れるの、もうしなくなったよね。
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2007年だから16年前なのか、でもそういうの関係なくかっこいい。前回ちらっと書いたTelekom Electronic Beats TVのBlind Testの2000年代のダブステップの回で「Cut End」を初めて耳にした時うおおっとなった。日本のアーティストであることを後で知って、そういや琴っぽいような音が入ってるようにも聴こえるなと思うけど、一番最初に聴いた時のまっさらな状態のインパクトがとにかく全てだし、とか言いながらもそういう事実はこの上なく楽しい後付けというかもちろんプラス材料にしかならない。EPとしてすごくすごく強くて濃ゆい感じ、個人的にBurial & Four Tetの「Nova / Moth」と同じくらいの強さ/濃さ。
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これは週1のバイト先のプレス工場で知ったモントリオールのフランコラップのユニット。デビューして5年くらいになるらしいがまったく知らなかった。わたしはラップそのものはあんまり好きじゃなくて、しかもフランス語独特の音声的ななよなよしさがラップには邪魔になるようにも感じていたのだけど、この人たちはその「なよい」感じと、ラッパーの声音とトラックのエレクトロニックな質感が合っていてすごくいいと思った。ラップと歌の混ざり方もよい感じ。せっかく地元なんだから近くに来たら見に行ってみたい。娘でも誘ってみるか。
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評判どおりよかった。Warpは懐が深いなあとつくづく思う。このアルバムを音楽的にいろいろ分析しているものはあちこちにあるから、読んでいるとためになるしふむふむって感じだけど、わたしにとってこのアルバムは朝の出勤時に聴いて絶妙にちょうどよかったのが軽い驚きだった。いまだに朝がつら気味でモチベーションが上がらない時、能天気でテンションアゲアゲな曲を聴いてもなんだか音楽だけ空回りしてぴったりこないし、かといって鬱々としたものを聞いて仕事に行くのは救われないし、という時にこのアルバムは何故だかばっちりだった。渋滞にハマって焦る気持ちを不思議に鎮めてくれて、しかもダウナーにはならずなんとなくシャキッとした気分になるという予想外で説明不能の効能があった。
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