初恋、キクマサピン、言葉の分からない本

今年の冬はなんやかんや言って寒さは厳しくないと思う。ここ数日は気温が一桁で雪が溶けていたが、今日の日暮れからまた寒くなってきて、道の脇に積み上げられたみぞれ状の残雪がそのまま凍ってしまい、車を出すたびにガリガリと乗り上げてしまう。ご近所さんはみんな先を読んでやわらかいうちにみぞれをどかしたらしく、家の前がすっきりしている。ごろごろのかたまりがあるのはうちの前だけ。しくじった。

遠くに見えるナイターのゲレンデ

だんなが、娘に初めて付き合っている相手ができたらしい、と言った。

わたしは少し前からその事は知っていた。娘がその子の名前を2度目か3度目に口にしたのを聞いた時、なんだかピンときてしまい「好きなの?」と質問したところ図星だった。パパには言わないで、と頼まれていたので黙っていたが、だんなはだんなでやはり気付いたようで「(娘は)Cのことが好きなんじゃないかな」と言いはじめ、わたしは、へえぇ、そおぉ?なんでぇ?などとしらばっくれておいたが、娘からついに事実が明かされたらしい。まだ15なのに早いんじゃないか、とだんなはぶつぶつ言っていた。

そして先日、初めてその子はわたしたちの前に現れた。娘を迎えに来てドアをノックし、入ってきたのは背の高い優しげな雰囲気の男の子だった。少し緊張してはにかんだような感じでbonjourと言い、娘と顔を見合わせ笑いながらたたずんでいる。そのふたりの様子はいかにも初々しく微笑ましいティーンのカップルだった。

だんなは立ち上がって握手を求め、Cと会話し始めた。けっこう背高いねえ、なんかスポーツやってるの、とかなんとか。いちいち来客にあいさつするタイプの猫であるモチも、興味津々にその様子を真横でかぶりついて見ている。わたしとうさぎはリビングからそれを見ていた。それからふたりは、では…という感じで一緒に出かけていった。

帰ってきた娘は大きめの箱を抱えていて、少し早めにバレンタインのプレゼントをもらったと言う。何もらったの、と聞いたらレゴの胡蝶蘭キットだった。

レゴというチョイスが意外だったし、微笑ましくてかわいいじゃん!とめっちゃ笑ったのだが、18歳以上対象というアダルトまがいの表記と予想外に高額だったのにはおどろいた。値段はかわいくなかった。

あまり母親らしくない言い草になるが、恋愛はどうしようもないものだから、落ちる時は落ちるしかないと思う。わたしは割と遅い方だったが娘は早い方で、どちらが良い悪いもないだろう。関係が続くのが3ヶ月であろうが50年であろうが、好き同士で一緒にいられることの幸せを感じられるのを、親の立場を使って必要以上に禁じて縛りつけることはしたくない。もちろん保護者として気をつけて様子を見守ろうとは思うけど。

ただまあバランスには気をつけてくれ、とは思う。恋愛以外のことが消えてなくなっちゃうわけではないから。あと避妊かな。ぶっちゃけ15にもなると、親としてもその辺りうかうかしていられない。


日本からのおみやげとしてレコード工場の同僚たちにキクマサピンを渡したら喜ばれた。このブリックパックは持ち運びしやすくて見た目も華やかだし、日本にはこんなsakeが売ってんの、とちょっと笑いが取れる。

ジュースと間違えて子供に飲まれないように気をつけてね、と渡す。

同僚は5人とも男性で、それぞれのことを好きだなと思う。初対面からすぐに感じが良くて好感を持てた人もいるし、最初はなんかめんどくさい感じだったのが、一緒に働くうちにだんだん憎めないやつだなとこちらの見方が変わってきた人もいる。ひとりひとりそれぞれにいいところがあり、その相手によって感じる好意の種類が少しずつ違うような気がする。当たり前と言えばそうだが。

今回に限ったことかもしれないが、この職場のいい感じは、全員が既婚ないし事実婚ということが、良い方向にかなり作用しているからだと思う。シンプルな事実として家庭と職場それぞれの分子構造が安定していて、別のものに変質するリスクが低い。好意がずっと好意のままでいる。恋愛対象の性別だからといっていちいちそういう目で見なくてもいいんだし、男女関係なく素敵な人は素敵なんだから好きになればいいし、距離感を間違えなければどうこうなるというわけでもない。

あとはひとりを除いてみんな子どもがおり、家庭の事情で生じるイレギュラーに寛容で優先順位への理解がある。もちろん仕事に穴を開けられると困らないとは言えないんだけど、そういう立場は所帯持ちどうしの場合、ほとんど持ち回りでお互い様なところがあるので、「しょうがないよね」と不可抗力として受け入れる。境遇が同じだと話が早いし遠慮もない。まあこれは本業の職場でもだいたい同じなので、お国柄なのかもしれない。

音楽の趣味が近いBは、わたしが日本に行く前に買ってきてほしい本があるんだけど…と頼んできた。日本語が読めないのに本なの?と思ったが、頼まれたのは嶋護の「ジャズの秘境」という本。BはChee Shimizuの「オブスキュア・サウンド(改訂版)」と門脇綱生の「ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド」を持っていて、文章は分からなくてもジャケ写とタイトルとアーティスト名で知識を得るために読むのだという。貸してもらって読んでみたけど、「オブスキュア・サウンド(改訂版)」はほんとにディガー向きの本で、だんだん読んでいくうちに…ンー…という気分にはなった。巻頭の清水靖晃とのインタビューはとてもよかったが、マイナーなやや古めの音源の羅列を面白いと感じるかどうかは個人差あるだろうな。ディグだけあって地下鉱脈みが相当ある。ひとりの専門家がこれだけの途方もない量の情報を一冊にまとめたのはすごいが、こんな手に入るか分かんないようなやつ、実際んとこどうやって聴くの?とBに聴いたら、若干SpotifyにあるらしいがだいたいYoutubeで聴くことが多いという。

なんかしら近いものがあると思ったので、Bにはfond/soundを教えてあげた。こっちは英語だし、比較的とっつきやすいと思う。

個人的にはもう少しアクセシブルな音楽の方がいい。というか、探して掘り当てるという行為に音楽そのもの以上の価値を持たせたくないような…今はいろんな時間軸や地理的な要素を軽く超えて音楽と巡り会えるいい時代だけど、過去や希少性にフォーカスしすぎるよりも、今現在リリースされるものにもいいものはあるし、生きてる人が作ってる音を応援したいじゃん、と思う。

しかし、なんでもネットで探せる今の世の中で、本から、しかも理解もできない外国語で書かれたものから情報を得ようとするBの姿勢は、稀有というか特異だなと思う。変わった人だ。貸してくれた本は丁寧にビニールに包まれていたし…モノを所有するのが好きなコレクター気質なのかもしれないが。

コレクター気質といえば、工場のオーナー兄弟のうち、特に兄のPはまさにそうで、先日は隣町に行き、ずいぶん昔に閉鎖されたラジオ局から段ボール箱いっぱいのアナログレコードや壊れたラジカセを安く譲り受けていた。Pは手先が器用なので、ラジカセは見事に分解・修理して使えるようにしていた。電源を入れてラジオが聞こえてきた時のドヤ顔といったら。古いレコードに関してはいいものを自分用に選り分けた後、残りはDiscogsに上げて売っているらしい。時折り、盤質のチェックをかねて作業中にかけてくれるのだが、昔のヒット曲ないしそのフランス語カバーの他に、70年代のイヌイットの歌手がイヌクティトゥット(彼らの言語)で歌うこてこてのカントリーとか、80年代のモントリオールのリッツカールトンの高級レストランの企画モノで、タイトルに料理の名前のついたぶっ飛んでるフュージョンなど、かなり珍妙な音源があった。ここに書くのも憚られるような、今では信じられないようなえげつないpolitically incorrectなものもあり、悪い意味でおおらかな時代があったのだなあと思わされる。自分が普段耳にする音楽の他にもいろんなものがあり歴史が残されていて、そういうものに買い手がついて300$とかで売れるものもあるというからたまげる。そしてそこにそういう風にお金を使う人が世の中に一定数いるんだなと、遠い目をしてしまう。

工場はジャズのビッグネームを再発するアメリカのレーベルからいくつかでかいオーダーが入り(レコードストアデイ需要と思われる)、そういうロットの大きい企画は、作業としては延々と同じ盤を扱うので少し退屈なのだけど、ウェス・モンゴメリとかビル・エヴァンスとかの盤を生産してるというのは、全然ジャズのファンじゃないくせになんとなく気分がいい。そのくらい自分は単純で軽薄だなと自覚する。こないだはジャコ・パストリアスのライブ盤をジャケットに入れる作業で何百回もジャケを開いたが、微笑むジャコがいつもそこにいて思わずほっこりした。

三白眼で下唇のぽってりしたかわいいジャコパス

フットワークの軽い歌うようなベース、チャーミングなたたずまいのこの人が、乱闘のケガから植物状態になって35歳で亡くなるって本当に悲しいと思う。

自分の年齢になれば、今のこの職場のいい状態がずっと続くことはたぶんないだろうと分かってはいる。来月には工場もさらに広いところへ移転するし、たぶんこれからメンバーが入れ替わったりすることもあるだろう。でも、まだ今のところは続けていたいなと思う。本業が学校で受ける授業なら、副業は部活っぽい感じ。自分ひとりでコツコツ好きな音楽を見つける孤独な作業とはまた全然別のやり方で、自分のパターンから外れたところにある音楽と関わり、いろんな発見があることがおもしろい。


先日兄からLINEで、意外な人が歌ってたよ、と宮本浩次の「Woman Wの悲劇より」を教えられた。薬師丸ひろ子の原曲は確かに素晴らしい名曲で、それを彼がカバーするのは確かに意外だったが、かなりよい。少し違う感じがするのはエレカシではなくソロだからか。わたしにとってエレカシはずいぶん長いこと「ライブで歓声をあげると「黙れ!」と怒られる」という印象が付き纏っていた(たぶんわたしが小学生の頃に実際にあった話)けど、たまたま彼らが紅白に出た2017年と2023年は2回とも里帰りしていたので、うれしそうに全力のすごいテンションで歌う宮本浩次をテレビで見て、ずいぶん丸くなったんだなと思った。こんだけ時間が経っているのだから当然ではあるが。ソロのカバーアルバムの「Romance」もよかったけれど、エレカシ名義でかなり前にカバーした「翳りゆく部屋」が一番好きかもしれない。

荒井由美が歌っている原曲のえもいわれぬ怨念みたいなものが、宮本浩次のカバーにはむしろなくて、歌の情景と凄みだけがクリアに出ている気がする。しかしこの人は本当に変わらないのに驚く。同世代のいろんな人がいなくなったけど、これからも元気に歌っていてほしい。

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オーストラリアのレーベルAnalogue AtticからのSean La'BrooyとAlex Albrechtのそれぞれのリリースがいいなと思っていたら、もともとデュオでやっていたふたりだと知った。

3曲目の「Minak Reserve」は南国っぽいパーカッションと涼しげなピアノがいい取り合わせで、しかもウグイスがめっちゃホーホケキョを連発している。アルバムの最初から最後までかけっぱなしで聴けてとてもよい。こういうバレアリックと呼ばれる音楽を聴くと、頭の中に海辺とか星空みたいな風景、というかもっと曖昧なブルーのグラデーションの霧みたいな色合いがふわーと立ち上がる。そして天気予報のBGMに合う感じがする。バレアリックをかけ続けるお天気チャンネルがほんとにあったら、きっと何時間でも見てられるだろうな。

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バレアリックが海辺を喚起する音楽なら、一方であきらかに森林をイメージさせる音楽もあって、最近聴いていた中ではLau Nauの昨年リリースの2枚がそういう感じでとてもよかった。

生楽器の音色で描かれるおとぎ話みたいな世界と、バリバリのシンセサウンドのスケール感が、同じアーティストが連続でリリースしているという振れ幅に驚くけれど、立ち上がる風景はどちらも静かな針葉樹林という感じがする。体感温度的にはわたしの住む場所によく似ているので、秋や冬の森の情景が強く喚起される。Aphrilisは明るい日差しの午後、5 x 4は怖いくらい澄み切った夜の星空ないしオーロラが見えてくるような感じ。やはり作り手が暮らしている環境というのは作品に自然に現れるものなのだろうな。

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普段インストの音楽を聴くことが圧倒的に多いけど、人の歌声に瞳孔がくわっと開き全身の毛が逆立つことは、年に数回くらいある。いちばん最近そういうチャクラが開いちゃうような感覚を覚えたのは、ラジオからKadjha Bonet の「One of a kind love affaire」が聞こえてきた時だった。

スローで音数を抑えたシンプルなソウルバラードにのせられたこの人の声には、シルクのような艶感とえもいわれぬ透明感が絶妙に同居していて、降り注ぐ光のようなおだやかなまっすぐさもある。この人はミニー・リパートンの生まれかわりなのでは、と思わせるような凛とした愛くるしさ。歌の上手い人ってたくさんいるけど、自分を虜にする声っていうのはそんなになくて、出会うとほんとに雷に打たれるような衝撃を覚える。

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はあ、2月の月報をやっと書き終えた。これでなんとか毎月の更新をつなげられた。エレカシのくだりを書いているあたりで猫が脱走してしまい、数日間音楽を聴ける状態ではなかったのだ。現実の逼迫した心配事の前では、常日頃はこんなに大切に思って心を傾けているものなのに「はっきり言って音楽どころではない」というのが正直なところだった。猫が見つかり、心の平穏が戻ってきてやっと音楽が耳に入るようになった。頭の中が空っぽでないと、音楽は美しく響かないのかもしれない。

目下ちょっと気になっているのは、娘のボーイフレンドが明日の夜うちに晩ご飯を食べに来ることになっていて、何作りゃいいのかまだ決まってない。どうしようね。

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