夏至の朝、煙い空、彼らのこと

もう世の中が7月になっている。なんだか愕然としてしまうな。すっかり遅れをとりつつ、なんとか書き始めたやつを書き終わりたい。


夏至をすぎるといつも切ない。あとはもう毎日ただただ日が短くなっていくだけというのが悲しい。実際に肌で感じる気温や目に見える夏らしさは、まだここから上り調子で増していくのは知ってるけど、でもある種のピークはもう過ぎてて、後はただ終わりに向かってくだけなんだぜ、と思うと解せない。

まあそんな無意味な感傷をきわめて意識的に無視しながら、夏至の朝は早起きしてジムに行った。いつもの道を車で走る。夏らしく天気のいい朝で、木々には緑の葉がもっさりたっぷりと茂り、あちこちの庭でいろんな色のぼたんの花が重たげにあふれて咲いているのを見ながら、静かな住宅街の中をゆっくりと抜けていく。

ジムまであと3分というあたりで、行く手を遮る車両があるのに気づいた。パトカーが何台も道を塞ぐように止まり、赤と青のパトランプが無音でくるくる回っていて、侵入禁止のテープも貼られている。救急車もいたが事故車などはないので、どこかの家でむしろ事件寄りの何かが起こっているらしい。進める所まで進んだが、パトカーから警官の冷たい一瞥を浴びつつ左折する。少し遠回りをしてジムに着いた。

ジムではいつも通りクロストレーナーをこぐ。ずいぶん前からもうそろそろ筋トレ系もやんなきゃ、と思いながらぜんぜんトライしてない。Youtubeで動画を見ながらせっせとこぐ。分数が3の倍数の時に1分スプリントして、そのあと2分は普通にこぎ、また3の倍数で1分スプリント、というのを繰り返して30分程度続ける。最近は気が向いたら最後の5分は後ろ歩きみたいにこぐこともある。使う筋肉を変える目的で。5分くらいでは気分的な程度のものだろうが。

30分たってジムを出て、さっきの場所がまだ封鎖されているのを横目にしながら、ふだんは避けている少し大きめの道を通って帰る。2ブロック離れただけで、もうここはいつも通りの朝だ。ちょうど出勤や登校の時間で、歩く人が多い。たいていの学校は今日で年度が終わり、明日から夏休みに入る。信号のない横断歩道のところで交通整理のおばちゃんに笑顔で遮られ、小学生の女の子3人が通りすぎるのをゆっくりと待つ。それを見ながら、さっきの封鎖されていた場所を思い返す。何かの現場になっているのであろうその家は黒い墨の一滴で、そこから遠ざかれば遠ざかるほど、その黒さはいつもの透明な日常に薄められて見えない。でも、あそこには確かに深く黒い墨の跡があるのだ。ただ、この3人の女の子はそこから離れたいつもの透明な夏の朝の中で、墨の黒さのことはたぶん知らずに今年最後の登校日をこうやって歩いているし、それでいいのだ、みたいなことを数秒の間考える。そしてゆっくりと車を発進させて、わたしも墨の黒さが及ばない所へ向かう。でもいつどこにでもあの一滴が落ちることはありえると知っている。

ジムと家の間に、おもむろに建物が少なくなり野原っぽくなる一帯があって、そこに建つ数少ない家のひとつが馬を2匹飼っている。茶色いのと白いの。その白い馬が、ばったりと地面に倒れていた。
これ、以前も見た事あって、めっちゃ焦ったんよな、死んでるのかと思って。娘が助手席に乗ってる時だったから、ねえあれ見て、白い馬倒れてる、まさか死んでんの?ってふたりで色めき立ったんだけど、娘を送り届けた帰り道にもう一度そこを通ったら、なんでもなかったようで普通にもしゃもしゃと草を食っていた。
だからたぶんこの馬は、朝に地面に寝そべるのが単に好きなんだと思う。おまんじゅうのように白くて丸いお腹を夏至の太陽にさらして、目をつぶっていた。そうと分かってさえいれば、気持ちよさそうに見える。


今年はかつてない規模で山火事が多発している。夏の山火事そのものは残念ながら毎年のようにあることなのだが、5月から6月にかけての初夏に、300件もの数が同時進行しているのはあきらかな異常事態だった。影響のある地域の住民は数回にわたって避難を余儀なくされ、1ヶ月の間ろくに仕事もできない状態だとニュースで話していた。こういう自然災害の話は本当にひどい、気の毒で言葉が出ない。
わたしの家からは500kmほどの距離があるが、煙が南下して空を覆い、雲は出ていないのに燻されたようなベージュに全体が染まっていて、太陽はくぐもった不自然なみかんのような色でぼわんと浮かんでいた。空気の匂いもはっきりと煙たい。

トロントやニューヨークまでこんなでしたね

山火事が起こっているのはカナダ全体でも北の地域で、春に小雨だったのはどこも同じだったのにどうして北に被害が集中しているのかといえば、生えている木の種類によるものだと聞いた。北方地域の森林は針葉樹が中心のタイガで、乾燥してしまうと非常に燃えやすいのに対して、南に下るにつれて広葉樹の割合が大きくなり、これらの木には針葉樹よりも含まれる水分が多いために延焼しにくく、そのために北と南では同じように大気が乾いていたとしても、山火事としては同じ結果にならないらしい。

ブリティッシュコロンビア州では2年前の夏、ひとつの集落が焼き尽くされるというひどい山火事があったのだけど、そこの住民でさえまだ家の再建にも至っていないらしい。それでこの今年の火事でさらに被害を受けた人が国じゅうにたくさんいるのだから、一体この先どうなってしまうのだろう。家を失った状態で3年あまりをすごすという状況は想像できない。ストレスや苦しみはいかばかりだろうか。自分の家の花や野菜のために天気がよけりゃいいとは到底思えなくなる。


とはいえ夏なので、勤務先では夏の勤務時間というやつが6月から始まった。これは毎年夏になると2ヶ月半の間、実働32時間で35時間の給与が支払われるというもので、具体的には金曜の午後は有休という制度になる。そしてわたしはすっかり忘れていたというか、正確に言えば知らなかったのだが、これが始まるとわたしが12月からやっている週4日勤務のhoraire compresséは終了になってしまうのだった。げっ、まじか、とあわてて申請書を確認すると、確かに6月の第1週までと書かれてあった。ということは、わたしの毎週月曜のオフはなくなってしまい、週一のアナログプレス工場のパートに行けなくなってしまうことになる。とても残念だった。伝えにくいが早く知らせなくてはと思い、出勤した際にオーナーのPを呼び出して状況を説明した。

わたしとしてはこの半年間やってきて、オーナー兄弟のPとD、彼らのご両親や他の同僚ともいい関係を築いてきた確信はあったし、週一の出勤だから重要事項は扱っていないものの、自分がやっている作業に関してはきちんと進めて責任を持ってやっていて、そこは買ってもらっているという感触はあった。ただ、夏の間は金曜の午後しか来られないし、自分も夏休みをとる8月からhoraire compresséを再開できる9月の中旬まで、1ヶ月以上まったく出勤できない期間があることも伝えた。Pはふんふんとわたしの話を聞いて、最後に「分かったよ、大丈夫。お前と仕事すんの楽しいから、来れる時に来いよ」と言ってくれた。

お前と仕事すんの楽しいから、来れる時に来いよ。このひと言に、思いがけず心を打たれてしまった。この年齢で、仕事の場において、こういうまっすぐなことを言われるというのが。わたし箱詰めしかやってこなかったけど、そんなこと言ってくれんのね。あたしもあんたと仕事すんの楽しいから、来れる時ぜったい来るよ。

Pは長男だがいい意味であまり長男ぽくなく、のんびりしていてすごくイージーゴーイングな人だ。それでいて適当ではない。大丈夫なところまでゆるめながらも物事を確実に進められる能力があって、不思議と何をやらせても上手いという天才肌。取材ではよく写真に撮られることが多くて、それは本人が出たがりだからなのではなくて、むしろ周りが何も言わずに彼を自然に取り囲んで真ん中にそっと押していくような、そういう不思議な魅力を持っている。すごくかっこいいという感じのルックスではなく、のび太を極めて感じよくB-BOY風にしたような、人に好かれやすい気さくないい奴タイプだ。彼にとって仕事は楽しくやるもので、わたしもそこに楽しく混ざらせてもらっていること、本当にありがたいなと思う。

弟のDはもう少し頭脳派な感じで、実際MBAも持っているし、会社としての業務計画とかそういうきっちりしたところなんかを担当して進めている。彼もとても温厚で話しやすい人だ。ふつうの世間話をしているとそのへんのマイホームパパとしか思えないが、André Perryというこちらでは著名な往年のプロデューサーと面識があったり、利益率の高いアメリカからのジャズもののオーダーは彼が請け負っているし、こないだはオーストラリアに2週間出張して、新しく買い付けたプレスマシンの研修にみっちり参加していた。取材でのインタビューを聞いてると、Pの言ったことに説得力のあるデータをつけ加えていたりしていて、うまいねえと思わされる。

ふたりとも穏やかで人望があるというか、それでいてまったく気取りがなく、野心的なのにギラギラしていない。こないだは夏休みに入ったPの中学生の息子ふたりがお手伝いに来て、3世代でレコードのスリーブとジャケットの作業をしていた。業績は好調で、工場の拡大移転も具体的になってきている。仮にこれがアナログレコードでなくパン工場とかネジ工場であっても、この2人と働くのは絶対楽しいだろうなと思う。まあでもやっぱり音楽に関わる現場にいられるおもしろさはあって、最近テストプレスをしていたCollationという地元のバンドのアルバムがよかった。

Collationはおやつっていう意味で、音としてはBeach FossilsとかReal Estateみたいなインディーロック。歌詞はフランス語。こういうセンチメンタルでさわやかな感じは夏にはぴったりだなと思う。出身がRivière-du-Loupというのもなんかいい…日本で例えたらどこだろう、新潟県村上市みたいな感じだろうか。

数ヶ月ほど前にこの職場に入ってきたBという男の子がいる。彼はフランス出身で、彼女と一緒にワークビザでやって来てこちらに滞在している。年齢は確か30になったばかり。この職場で音楽の好みが一番近いのはこの人だと思う。彼はフルタイムでレコードのプレスをやっているので、普段はあまり一緒に作業をする機会はないのだけど、初対面の日は坂本龍一が亡くなった翌々日でその話になったり、一度だけBが梱包の手伝いをしにきた時にAnimal Collectiveの話をしたら、彼は「Feels」にものすごく衝撃を受けたと言っていたり、わたしが恥ずかしげもなく着ていたWarpのTシャツから親近感を持ってくれているようだ。オーナーのPやDとはこの半年でも「個人的に好きな音楽」の話をすることが驚くほど少ないのだけど(食べ物の話をすることの方がずっと多い)、Bとはほんの数ヶ月のうちに短いながらもツボを押さえた音楽の話を何度かできている印象がある。

夕方4時から5時は、たまにふたりだけになることがあるのだけど、わたしが自分の携帯でChocolate Hills & The Orbの「Yarns from the Chocolate Triangle」を聴きながらスリーブ作業をしていたら、「アンビエントとか聴くの?今度モントリオールに冥丁が来るんだよ、行かない?」と聞かれた。残念ながら特にヘビーなアンビエントリスナーでも冥丁のファンでもないので、市内なら行きたいけどモントリオールまで遠征はしないと言ったが、彼としては音楽の好みが似ている人とライブに行きたいという願望があるのだろうなと思った。その気持ちは分かる。彼は冥丁のライブには彼女と行くようなのだが、彼女はこういう音楽は聴かないのだと言っていた。うーん分かるよ、わたしもライブにだんな連れていくけど、パートナーだから誘うという理由は最強に正当でありながら、本心ではなんか違うなーって思ってしまうところがあるので。合わないライブって苦痛だから、それをパートナーに経験させるのって悪いし。対象に同じくらいの思い入れがある人と行けるのが本来は一番いいのだ。昨年彼はBadbadnotgoodのライブにひとりで行ったらしいが、わたしは同じライブにだんなと行って、むしろひとりで行くべきだったかも、と思った話などをした。いつかBとは近場で行けそうなライブがあれば一緒に行ってみてもいいのかもしれない。いろいろ配慮した上で、向こうは彼女連れて来たいならそれでもいいし。

Bは音楽の趣味はいいのだけど「地球の温暖化はウソだ」と訴えるベジタリアンで、妙に星座に詳しかったりするので、かなり変わった面もあるなと思っている。それはそれとして、先日向こうが作業を早めに終わったからと言ってわたしの持ち場に来て、一緒にたらたらしゃべりつつてきぱき作業していたら、お互いの夏休みの話になり、次に会うのは2ヶ月以上先になることが分かった。彼は来週から夏休みで里帰りし、戻ってきたらわたしが夏休みで、そのまま9月半ばまで来られないから。それを知ったときのBの顔が本当に素で「えーっ…」という感じだったのがかわいかった。9月にまた会おうね、よい夏を過ごしてね、とお互いに言って別れた。

Bはなんか弟みたいな気がする。こういう感じの人に会ったのは久しぶりかもしれない。三白眼のBは黙っているとすごくクールにみえるけど、話をするといい奴だし。これまでの経験上、男女の友情ってわたしはありうると考えているので、まあちょうどいい感じになればいいなと思う。だんなにも女の友だちが多く、たまに一対一で食事をする相手もいて、わたしはそれはあまり気にならない。既婚であることを異性との友人関係を今後一切成立させない理由にしてしまうよりは、逆手に取ってある種のセーフティネットみたいに使いながらうまく線引きした上で交流できればいいんだけど、都合のいい考えなのだろうか。男女を意識しなきゃいけないのって、ほんとにめんどくさいな。わたしはただ人間でいたいんだけどな。

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