June

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すごく好きなラジオのDJがいて、かれこれ4年ほどその人の番組を聴いている。3時間の時差があって寝る時間を削らないと聴けないんだけど、局のサイトでアーカイブを聴くのよりも、やっぱりリアルタイムで聴くのが好きだ。リクエストをメールで送ると、簡単な返信といっしょにその曲をかけてくれる。絶対かけてくれるわけじゃないけど、打率でいえばほぼ8割はいくかなあという感じ。毎回、本当にうれしくありがたい。

リクエストがかかってもかからなくても、その人のプレイを聴くと自分の深い部分にすうっと入ってくるものを感じる。そういう音が鳴る時間と空間があるのだということに、とてもとても救われている。その人がずっとこの仕事を続けてくれるといいなあと思っているし、友だちでもないし実際に会うこともおそらくないだろうけど、どうか健康で幸せでいておくれ、と勝手にしんみりと願っている。

先日はレイハラカミの「June」をリクエストしてかけてもらった。2週間ほど少し体調がよくなかったのでしばらくリアルタイムで聴けずにいて、久しぶりに送ったリクエストだった。タイトルも6月だしタイムリーで、なによりとても美しい曲だね、とオンエアで言ってくれた。

多少の地域差はあるかもしれないけど、多くの日本人にとっての6月はやっぱり雨のイメージを抜きにしてはありえないと思う。この曲も、木の葉をつたう透き通った雨だれが見えるみたいだ。あの梅雨どき特有の、いつまでも続くような終わりのない静かな降り方の雨。それに対して抱く淡い情緒みたいなものが、美しい音で織り上げられている。

日本の6月を知らないあの人は、この曲を聴きながらどういう映像を思い浮かべたんだろう。さわやかな初夏の風景かもしれない。北半球では、天気さえよければ夏至に向かう白い光があふれる月だったりもする。暑さもほどほどの明るい6月。それも不思議にこの曲になじむかもしれない。

レイハラカミの音は、なにか丸いものが無邪気にはずんでいるみたいだったり、キラキラしたものがこぼれるようだったりするのが印象的だけど、何回も繰り返して聴くとブリブリしたベースやビートの刻み方が、熟練したジャズのプレイヤーのようにタイトで絶妙の加減なのがかっこよく、唸ってしまう。ぱっとひらめいた天才的なインスピレーションを、とことんまで的確に再現してみせるけどあくまで飄々としている。車の運転をしながらサラッと聴き流しても気持ちいい音だし、顕微鏡をのぞくみたいにどっかの音にフォーカスしてもすごく楽しい。

音を聴くという行為はまさにその人それぞれのもので、好きなものが同じだとしてもどこまで同じように感じているかは本当に分からない。そのことに対してうっすら不安になったり、変な期待をしないように努めて冷めたフリをしてしまうこともある。でもやっぱり共有できることのよろこびってあるよなあと思う。自分がリクエストした曲がどんな風に前の曲から流れてきて、次の曲に繋がっていくか、毎回とても興味深い。そこには言葉にもならないやりとりがやっぱりあるような気がするし、自分と相手の違いをどこかで楽しめているようにさえ感じる。自分が好きな曲は自分のやり方で愛でることに慣れてしまっているので、違う人がそれを他の曲に混ぜてプレイすると、え、こういう曲につながるんだ、ああでも確かにすごくいい、みたいな新鮮な驚きと発見があって、それがなにより面白くてうれしい。いつも、自分が送ったものが何倍にもなって返ってくるように思う。番組が終わる夜明けに、どうか相手が同じように楽しんでくれていることを祈りつつ、つかの間の眠りをもう一度探しに目を閉じる。




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