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言葉

はじめて名刺を持つにあたって、肩書きはどうしようかと考えなければならなかった。

作家、と名乗るのはおこがましい。エッセイストというのも、今後エッセイ以外も書くかもしれないし、コラムニストというと、自分の中ではなんだか明快にズバズバと明言をしていくようなイメージがあって、グズグズした私の文章はそれではないと思った。

今のところ、起きたことを文字にして残していっているのだから、記録係というのはどうだろう?いや、斜に構えすぎか。書記、書き手、洒落臭いな。

シャワーで頭を洗いながら考えて、髪を乾かし終わる頃、文筆家、とすることにした。私としてはなかなかそつがない肩書きに落ち着いたと満足していたのだが、いざ名刺を配りはじめてみると、受け取った何人かが「文筆家」を「文豪家」と読み違えて、私は自称文豪の思い上がりも甚だしい女になってしまったのだった。

「ハーフが極端な『日本らしさ』に執着してしまうのはそう珍しいことではない」という話を聞いたのはごく最近のことである。

それを聞いた私は、自分の重要なアイデンティティの一部が雷に打たれて崩れ落ちるような感覚を覚えた。そんな風変わりな人間は、この世界に私だけだろう、と思っていたからだ。

両親から2つのルーツを授かるということは、そのどちらも自分だと認めるということで、私が会ってきた私以外のハーフは、なんの疑いもなくそれができているように見えた。モデルの世界を端から眺めているととくにそう感じる。

特性を愛して、最大限に生かす。それが「人より多くを与えられた者」の正しい姿であると、彼女たちはインスタグラムの華やかなパーティーの写真の向こうから私に訴えかける。私は自分が半分外国人であることを、小さい頃から頑なに拒絶していた。多くを持って特別な存在になるよりも、なんの変哲もない人間として好かれることが望みだった。

そのために「日本人らしい」丁寧な所作だの、話し方だのと、自分で作った足場を一生懸命積み上げて背の高さを揃えようと努めた。もったいないと言われても大きなお世話だと思いながら、こんな偏屈なことをしているのは私だけだろうと、どこか誇らしい気持ちで生きてきた。

しかし、そうではなかったのだ。あるハーフは子ども時代にガイジンといじめられた末、心を守るために自らも「ガイジン嫌い」を演じるようになり、またある者は右翼団体に感化され、そして私は、そのありがちな捻くれのひとつとして日本語にしがみついたに過ぎないようだった。

それでも、私は日本語が好きだった。椎名林檎の歌が好きで、谷川俊太郎の「信じる」が好きで、男の人がふと漏らす「あら」の響きが好きだった。日本語は美しいと、感じることができる自分が好きだった。


あるとき、新宿で終電を逃して、当時の上司からタクシー代をもらって横浜まで帰った。酔っていた私は運転手に住所を伝えたあと、高速から見える暗い海を眺めているうちにそのまま眠ってしまった。

声をかけられて目を覚ますと、そこは家の近くの公園だった。そのまま走れば5分と経たずに到着するのだが、山の中の入り組んだ道が複雑で迷ってしまったようだ。



「こっからどうしますかね」

「この先を左に曲がって、そうすると坂があるので、そちらを下っていっていただけますか」

呂律が回らないなりに、丁寧に伝えたと思う。

「え?ごめんわからない」

「この先真っ直ぐいくと突き当たりがあるので、曲がってください。そこからまたお伝えするので」

「は?聞こえない」

「だから」

「なに言ってるかわかんねぇんだよ、ガイジンだから」







言われた。ついに言われてしまった。

私の言い方が悪かったのだろうか。なにか気に障ってしまったのだろうか。お酒でぼーっとした頭の血が、一気に引いていくのがわかった。心臓がシンバルのように激しく鳴る。声の震えを抑えようとしたせいで喉が開いて、泣きそうな低い声でやっとひとこと、絞り出した。



「私の言ってること、わかりますか」


丁寧に話そうとしすぎるのは私の悪い癖だ。友達同士のおしゃべりでも、私が言葉を選びきれないままモタモタと喋るせいで、それまで温まっていた空気が少し冷えてしまう。私はときどき、いたたまれない気持ちになったが、誰にだって私がそのとき感じていることを桐箱の蓋のように、ぴったりと知ってほしかった。

今だって、ただ「真っ直ぐ進んで」とだけ言えば、少々感じは悪くてもはっきり通じたのかもしれない。私が小さい声でまどろっこしく話したのが、きっとこの人の癪に触ってしまったのだ。

丁寧な人間だと思われたい。日本語が下手だと思われたくない。この国の仲間だと認めてほしい。そんな、他人から見ればあまりに瑣末なプライドは人を苛立たせ、結局は自分の急所に思いきり突き刺さった。

こんなことなら、言葉の真意なんて知ろうとしなければよかったのだろうか。好きにならなければよかったのか。

惨めったらしく縋りついて、最後に脚で蹴飛ばされた気分だった。なんだよ。結局余所者かよ。

返せよ、お前に使った時間。全部。




言葉はただのツールのはずだ。それなのに、どうしてこんなにも美しいのだろう。

私の言ってること、わかりますか。

今、どれだけの人が私の言葉を抱き止めてくれるだろう。この世界が真っ暗闇になって、お互いの姿形がわからなくなったとしても、私が選んで口に出した言葉で私だって気づいてくれる人が、一体どれだけいるのだろう。

言葉たちへの恋心に混じってしまった数滴の薄暗い疎ましさ。血は今日も心臓を巡り続けて、私は言葉を書いている。もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるのか。

この体には美しい言葉たちが巻きついて、私はもう、どこへだって逃げられないのだ。













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「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

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