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渋谷、泣き上戸

渋谷のロクシタンの前、私はひと足先に着いていた友人を見つけ、スクランブル交差点のほうへ流れていく人の群れをを大げさに避けながら彼女に近づいた。

やっと辿り着いた私に、彼女は言う。

「全然避けれてなかったよ。避けってたっていうより、避けられてたよね。変な動きで」

彼女の名前はこころという。彼女と初めて会ったのは高校生のときだった。

当時、Twitterで知り合った男に渋谷駅の改札で「恋人になってください」と言われ、初めて異性から受ける告白に動揺してしまった私は、断り方もわからないまま曖昧にはい、と返事をし、めでたく交際に至ってしまったことがあった。

かなり年上だったし、当時の私は性的な経験も一切なかった。女として愛情を受けるということが未知の恐怖で、ムーディーな雰囲気を敏感に察知しては相手からのキスやボディタッチを抜群の反射神経でかわし続けた。

結局2ヶ月ほどで逃げるように関係を解消してしまったのだが、その男が私にフられるや否や次に交際を申し込んだのが、こころだったのである。

これを言うと「竿姉妹ってこと?」と聞かれるけれども、私もこころも指一本触れさせないまま彼をフっている。お互い、風変わりな人への好奇心による若気の至り、ということで結論がついた。

今思えば、女子高生と立て続けに付き合おうとする大人なんてどうかしているので、なにもさせなかったのは正解とも言える。

そんなこんなで遊ぶようになって、一時期は同じアルバイトをしたりして、もう10年ほどの付き合いになる。

「あれ、どうだったの、彼氏の実家」

1軒目の居酒屋に入って枝豆、ゴーヤの漬物、ビールを頼む。2軒目の予約時間までここで待つことにした。

「もう、すっごかったよ。黒船来航〜!って感じだった。ひれ伏されたね」

「え、どこだっけ」

「山梨」

「山梨でもそんな感じかぁ」

こころはイギリスのハーフである。背は168センチの私より7センチほども高く、知り合った当初から存在感抜群の美女だった。ああでもないこうでもないというような私とは正反対で、気に入らないものは気に入らないとハッキリ言い、料理が上手でお酒をよく飲みよく遊ぶ、私が知る限りいちばんのいい女だった。私の観測できた範囲だけでも、彼女に狂った男は数知れない。

私たちが並んで歩くとやはり目立つので、繁華街では通り過ぎざまに冷やかしを受けることがある。そんなとき、こころは居合の達人かと思うほどのスピードで言い返してくれる。歌舞伎町を歩いていたとき「スゲー」と遠くから言われたのに対し、即座に「オメェが大したことねぇんだよ」と言い返したのを聞いたとき、こんなふうになれたらなぁと、私は1つ歳下の彼女にうっとりしてしまったのだった。

彼女と一緒にいると、私はどうしても甘えた性格になってしまう。2、3杯ほど飲んでから1軒目を出て、それから予約していた2軒目の中華料理屋で蒸し野菜やら酢豚やら食べながらデキャンタでワインを飲む。連日締め切りに追われているせいか、もともと酒が弱い私はすぐに酔っ払ってしまった。

「なんで評価してもらえるかが自分自身わからない」「自分なんて大したことない」など、「そんなことないよ」待ちであろう弱音を吐き始める。自分でも吐き気がするほど面倒臭い性格なのはわかっているのに、こういう部分が、彼女の前だと抑えられなくなってしまう。

こころは慣れた様子で「なに言ってんだ」「うるせーなほんと」「性根叩き直してやるよ」と返してくれる。

こうなったら私はもう帰るべきなのだが、この日はそういうわけにもいかなかった。

料理をあらかた食べ終わった頃、こころのスマホに連絡が入った。

「ドンキの前にいるってさ」

店を出て細い坂道を下ってドンキへ向かう。ココがアメリカから2年ぶりに日本に帰ってきていることを、私はこの2日ほど前に知った。

ココは、こころと私の共通の友人である。もともとはこころの友人だったのだが、3人で遊ぶようになって、ココもまた同じ場所でアルバイトするようになった。私とココが一緒に過ごした時間はそれほど多くはなかったけど、彼女の私よりも濃い褐色の肌と、ふくらはぎの辺りに掘られた車輪のタトゥー、なにより底抜けに明るい性格が印象に残っていた。

酒で目が回ってウジウジと歩きながらも、久しぶりにココと会えるのが嬉しかった。

横断歩道の反対側に見えたドンキの前にココを見つけた。カーリーヘアを一括りにして素肌にそのままトップスを着ている。1箇所だったタトゥーは色々なところに増えていて、私たちを見つけるなり「ヘーイ!!」と明るい声を出した。

すごい。すっかりアメリカって感じだ。いや、もともとこうだった気もするけど。おっぱい丸出しじゃないか。私は少し戸惑いながらハグに応じた。

ココは同じくブラックハーフの友人を連れてきていたので、私たちは4人で彼女が言ったことがあるというバーに向かうことにした。

薄暗いバーの中ではDJが爆音で音楽を流していて、バーというよりクラブのような雰囲気だった。それぞれ酒を注文して奥にある半個室のような席に座る。ココと私はこころを挟んで曲線状に並ぶ形になった。

ココはアメリカでどう過ごしているのかなど、近況を楽しそうに話した。最初のうちはみんな日本語で話していたけど、ココとその友人は話が盛り上がっててくると大きくリアクションを取りながら英語でコミニュケーションをとった。

私とこころは英語が話せない。だけどこころは私よりは多くを聞き取れているようで、2人のリアクションに合わせて笑いながらジェスチャーを返していた。私も最初は身をかがめて一生懸命聞き取って、なるべく同じリアクションを取るように努めだが、8割が英語を占めるようになってからは、もはやみんながなにについて話しているのかもわからず、ひとり縮こまってタバコを吸うことにした。

あぁ、やっぱりできない。最近の私はヒップホップを聴いたり、ネットフリックスでアメリカのバラエティを見たり、おへそが出た大胆な服を着たりして、昔とはすっかり別人の、ホットな女に近づけたのだとばかり思っていたのに。これでは話が違うではないか。いなくなったと思っていた学生時代の、3人以上になると途端に影を潜める卑屈な私に、こうも簡単に戻ってしまうなんて。悔しい。ここにいるのが恥ずかしい。

こころに「アワはもう作家先生なんだよ〜!」と紹介されて私はさらに縮こまった。みんなが「wow!すご〜い!」「なに書いてるの?」と興味を示してくれているのに、私は自分の落書きが貼り出されて恥ずかしくなった子供のように、小さく「先生なんかじゃないよ」「変な文章、ちょっと書いてるだけだよ」と繰り返した。私は日本語が好きで、人より少し作文が得意かもしれないけど、今ここじゃそんなこと、なんの役にも立たないじゃないか。恥ずかしい。恥ずかしい。店に響く音楽で私の小さな声はことごとくかき消され、最後はパニックでほとんど気絶するように眠ってしまった。

店を出て、こころに手を引かれて駅に続く地下への入り口までたどり着いて、みんなに心配されている申し訳なさと情けなさとで私の涙腺はついに決壊した。こうやって、それっぽく心情を文章にしてみても、要は、自分が楽しくないから泣いているだけである。最悪だ。私はなんて最悪な人間なんだ。

改札の前までティッシュを持ってついてきてくれたこころに、ほとんど泣き喚くように「友達がなに言ってるかも分からないのに、日本語で本書いたって、なんの意味もない」とかなんとか言ったと思う。あと、「こんなところで泣いてたらTwitterに書かれちゃう」とも言ったと思う。こころは「そしたら私がそれ以上にでかい声出して暴れてやんよ!!なめんなよ!!声がでっけぇ奴がいちばん強ぇんだ!!!」と言ってくれた。泣いている酔っ払いを強い酔っ払いが慰めている。側からみれば救いようのない光景に違いなかった。

改札の前に着いて、なおも「みんなに馴染めなくてごめん」と言いながら泣く私に、こころは私の目をティッシュで拭きながら「アワはこうやって傷つきながら書いていくのが使命なんだよ。私がいるから大丈夫。私は人より愛がでっかいんだから。」と言った。それから私の頬に長いキスをしてくれた。

目の前の友達のことも解ってあげられないのに、顔も知らない人に私が書けることってなんだろうか。上手に話せない私は、こころの言う通り、この国以外ではなんの役にも立たないこの言葉で書いていくしかないのかもしれない。寂しい。眠い。泣き上戸、やめたい。

東横線に乗って横浜に帰る、座れてよかった。本を書いたらきっと、いちばんに読んでね。友達でいてくれてありがとう。






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「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

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