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ファンクに抱かれて

私は黒人とのハーフだ。それで、黒人好きの男が嫌いだ。

とはいっても、人の好みに善悪をつけるつもりはない。私だって、色白の優しい目の男が好きだ。人にはそれぞれ、恋愛的に好きになる相手の傾向、俗にいう「タイプ」というものがある。もちろん、エキゾティックな顔が好みという人もいるだろう。私はそれを聞いて不快になったりもしないし、美人が好きだと言われても、物静かな子が好きだと言われても「そうなんだ」程度の感想しかない。それぞれの好みのタイプというものを面白がったり「ありえな~い」とか言いながら楽しいおしゃべりに終始し、まあ、人それぞれだよねぇと締めくくり、次の日にはほとんど忘れている。

それなのに「黒人が好き」とか「ガイジンが好き」と言われたときの、この誤魔化しようのない不快感はなんなのだろうか。そう言われたとたん、私の視点は見つめ合う人間同士から、一方的に品定めされるショーケースの中の動物と人間に切り替わってしまう。この人と私は同じ人間として話すことはできないのだと、盛り上がっていた気持ちが一気に落下して「あぁ、エロい目でしか見てないんだ」と真顔になってしまう。

きっと、巨乳が好きとか、デカい尻が好きとか、そんなことを言われる人も同じ気持ちなのだろう。初対面で「巨乳が好きで」と言い出す馬鹿はそういないが「黒人が好き」と言うやつはいるのが不思議だ。なにより不思議なのは、性的な体の好みと、「美人が好き」と同列の趣味嗜好であるはずの「黒人が好き」という表明を“性的だ”と感じている私自身の思考である。これでは、黒人の存在そのものが“性的”ということになってしまう。そう考えると、単に私が自意識過剰なだけのような気もするが、これはもはやアレルギーのようなものでどうしようもなく、相手の口からこれが出たら、私の中では一発退場である。

どうやら人は、自分がコンプレックスに思う部分を褒められても、そうそう嬉しくはならないらしい。結局、ほんの少しでも「これも自分の価値ある部分だ」と認められる部分しか、人は他人に評価されたくないのだろう。私は自分の肌の色も、丸く突き出たおでこも嫌いだった。私にとって“黒人”はコンプレックスだった。そして、黒人のステレオタイプなイメージから遠ざかろうとする自分のセンスも気に入っていた。だから、軽率に黒人が好きだと言われると、自分のセンスを否定されたような気分になる。

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「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

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