見出し画像

私の髪と体 振り返り

件の卒業式コーンロウ事件がきっかけで、ふと自分の髪の歴史を思い出してみようと考えた。

まず、私の歴史は大きく2つに分けられる。

「縮毛矯正以前」と「縮毛矯正以後」である。

このサラサラヘアーを手に入れてから長らく経つので、時々自分でも忘れてしまうが私はもともとアフリカ仕込みの超カーリーヘアーなのだ。

まぁ、この写真は大人になってから撮影用に巻いてもらった時の写真なので、幼少期の再現のようなものなのだけれど、実際の髪もこんな感じだった。

小学生か中学生の頃、教科書に縮毛は優勢遺伝だと書いてあったので、ストレートヘアの母とカーリーヘアの父の間に生まれた私の髪がカーリーなのは必然なのであった。

周りの大人たちにはかわいいねぇ〜、と言われていたけれど、私自身はこのちぢれ毛のことは全く気に入ってはいなかった。みんなと同じようなヘアスタイルはできないし、櫛は何の役にも立たない。虫が迷い込んでそのまま死ぬ。

それに、毎朝母がしてくれた編み込みの痛みは強烈だった。朝食を食べている私の髪を、後ろに立っている母が力任せに引っ張りながら編み込むものだから、私は食パンをくわえながら涙を流して耐えていた。

そのおかげなのか、着物の帯を思いっきり締め上げられても、ピンヒールで足を踏まれても、文句ひとつ言わないくらい私は痛みに強くなった。「大丈夫です!私、痛覚ないんで〜ははは」とか言うと「魚かよ」とツッコまれる。

そういうわけで、中学校に上がった瞬間、縮毛矯正をした。一大事件だったはずなのに、はじめて自分の髪が真っ直ぐになったときの感想とか、正直よく憶えていない。太陽を見つめても眩しすぎてその形が見えないかのように、私の中でそのときの記憶はぼんやりとしたものになっている。

ただ、自分の頭の形をはじめて目視して、卵みたいだな、と思ったことは憶えている。

夢にまで見た憧れのサラサラヘアー!だったけど、理想とはちょっと違っていたかもしれない。

当時の美容師さんには嬉しいです、ありがとうございますなんて言った気がするけど、いや、美容師さんの技術はたしかに完璧だったんだけど(この人はのちにニューヨークで活躍する美容師さんになった。なので本当に上手だったと思う。)

なんと言うか、本当にすごくサラサラで、今まで毛玉に覆われて誤魔化されていた自分の幸薄な顔と痩せっぽっちな体が丸出しになってしまったような感じがして、私はこれまでとは違う、また新しい虚しさを知った。

ひねくれていない言い方をすれば、最大の悩みが消えたかと思えば、それまで気に留めていなかった些細なところが気になってしまった。ということなのだろう。

髪がストレートになればみんなと同じように制服が似合うかわいい女の子になれると思っていた。でもそうじゃなかった。

脚と腕は棒切れみたいに細くて、蚊に刺されの跡が色素沈着していて節々は黒ずみ、胸は真っ平。目が大きいせいでクマが目立って、カサカサのたらこ唇が顔の半分を占めているような存在感を放っていた。

髪を伸ばしたくらいじゃ、周りの女の子みたいな、生命力のある多少の肉付きや、汗ばんだバラ色の頬は手に入らなかった。

母は悩んでいた私にピンク色のチークを買ってきてくれた。塗ってみると顔色が一気に明るくなって、嬉しくなった私は翌日顔中にチークを塗りたくって登校した。同級生に「亜和!顔が真っ赤だよ!!」と言われたのは言うまでもない。

合唱団に所属していたとき、練習場には大きな鏡があって、その前にみんなで立って歌っていたのだけど、ある日、鏡に写る貧相な自分を見ていたらとてつもなく悲しくなって、歌いながらポロポロ泣いてしまったことがあったっけ。

先生が近づいてきてもっと大きく口を開けるように言ってきたけど、先生はあのとき私が泣いてたのに気づいてたんだろうか。今でも時々その光景を思い出す。

1年ほど経って、髪をロングからボブにカットした。母がカールアイロンで髪を巻いてくれて、顎のラインに沿って丸まった毛先が私の無機質な造形に女の子らしい丸みを与えてくれた。

ロングヘアのときには似合わなかった紫のドーリーなワンピースがとても良く似合うようになって、私はこのときになってはじめて「私も女の子になれるかもしれない」と思った。

それから今まで、髪をカーリーヘアに戻そうと思ったことはない。大学生になるまで、母は3ヶ月にいちど、2万円ほどかかる縮毛矯正のお金を出してくれた。

ストレートの髪は私の陰気な性格に合っていて、前髪をぱっつんにしてからは「やっと本当の自分を取り戻した」ような感覚にさえなった。性適合手術を受けた人もこんな気分なんだろうか。こんな瑣末なことと一緒にしちゃいけないんだろうけど。

美容師さんの反対を無視して、お風呂場で当時の彼氏にブリーチ剤を塗ってもらって、真っ赤な髪にしたこともあった。赤が飽きたら紫にもした。それでもボロボロにはならなかった。無理させてごめんなさい。ありがとう美容師さんと私の髪…

縮毛矯正っていつまでできるんだろう。やっぱりおばあちゃんになったらやめなきゃいけないのかな。でもその頃にはきっと遺伝子ごと組み換える薬とかできてるんじゃないかな。でもその前にカーリーに戻したくなったりして。

どちらにせよ、必ずしもありのままが理想だなんて思えない。魂の容れ物が、生まれながらにそれに適しているとは限らない。

優勢遺伝だから、私の子供もカーリーなんだろうな。その子はどっちにするんだろう。

少なくとも、その子が学校に行く頃には、コーンロウで卒業式に出られる世の中にしたいよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?