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解放と調和

ルーフトップでのヨガを終えて、日記を書こうと一段下のバルコニーに降りたら、海とは逆側、低い山の背が連なっているような影の向こうからちょうどオレンジ色の光の端が現れようとしていた。

バルコニーに面した寝室の窓をコツコツと叩き、太陽が出てきているというジェスチャーをしてみる。ヘンテコな動きがどう伝わったかは分からないが、まだベッドの中で目をつぶっていた彼がのそのそと起き出し、バルコニーにやってきた。

椅子に腰掛け、ぼーっと山から登ってくるオレンジ色の円を眺める。

今こうしてついさっきのことを振り返りながら、あれは5分くらいの時間だっただろうか、それとも10分くらいだったのだろうかという考えが頭をよぎっている。

時間というのは人間が都合よく社会を回していくために作ったもので、自然との関係性において、少なくとも時計の針が時を刻むような時間というのは存在しないのだ。

今年の春にオンラインで参加した井庭崇さんの創造についての講義で「Egoless Creation」という話が出てきたことを思い出す。

昇る太陽、そして変わっていく空の色をぼーっと眺めていたとき、わたしは空に溶けていて、見る・見られるの関係でないものがそこにはあったのだと、そんなことを思う。

昨日、一昨日説明会に参加をした成人発達理論のマスターコースの講義を聞き始めた。その中に「解放」という言葉が出てきた。学びというのは人を制限から自由にしていくという側面もあるという。(一方で使い方が違えば不自由にしていくという側面もある)


解放と調和、それが今取り組んでいてさらに取り組みを深めたいと思っているawai Labの取り組みが目指すところなのだと思った。

解放の先にはきっと、他者や自然とともに未来をつくることができる視点や在り方が立ち現れてくるのだろうと思うけれど、慣習からの捉われの中にいると、ともすれば解放が自分勝手で不調和を生むものに見えるだろう。

自分自身を解放していくとともに、朝日や夕日を眺めたり、風を感じたり、人間が自然を感じる時間をもう少しだけでも持つことができたら、「自分」は「自分」でないものとの間で常に何かを伝え合い、循環していて、曖昧な存在だということに気づくだろうか。

すっかり日は登ったが空は白い。今日はどんな出会いがあるだろう。2021.10.10 Sun 8:13 Morocco Essaouira

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