278 雨の朝、庭の主の帰宅
278. 雨の朝、庭の主の帰宅
夢の向こう側でずっと雨の音が聞こえていたように思う。起きて、リビングに行くと随分と気温が下がっている感じがした。今は17度、今日は20度までしか気温が上がらないようだ。風が吹いて階下の屋根の上に広がった水たまりの表面が揺らいだ。
相変わらず空に指を伸ばす葡萄の蔓の間にピンクの花のようなものが一つ、顔を出しているのが見える。葡萄の花は小さな黄色っぽい花のようなので、あの花は庭に咲いている別の花が伸びてきたものなのだろう。昨晩、玄関の扉が開く音とともに口笛が聞こえてきた。イタリアにバカンスに行っていたオーナーのヤンさんが帰ってきたようだ。ヤンさんがいない間、庭の木々や植物たちは伸び放題になっていた。お互いに居場所を分け合い、それぞれが光を浴びられるようにいられたのは普段ヤンさんが庭の手入れをしていたからだということに気づく。主人を失った庭で植物たちは、はじめは勢いよく伸びていくように見えるが、スペースを奪い合って、やがては荒れていくことになるだろう。
昨晩は書棚の中にこれまでひっそりと佇んでいたレオ・レオーニの『平行植物』を読み始めた。まだ第1章の導入部分を読んだだけだが、その深遠な世界観を予想し静かに胸踊るとともに、日本語訳の美しさにも喜びを感じた。第1章の扉に書かれている「平行植物とは何か 時空のあわいに棲み、われらの近くを退ける植物群とは」という言葉を見て、なぜ今までこの本を開かなかったのか不思議になったくらいだ。この本の世界観を味わうには、急いで読み進めるのではなく、ゆっくりゆっくりと読んでいくのがいいだろう。ついつい全体像や結末を知りたくなってしまうのが私が本を読むことを焦らせる理由だが、この本は、現実世界との間をゆらゆらと行き来しながら味わうというのが良さそうだ。朝起きたときには改めて「空想の世界をつくることの壮大さ」というのが頭に浮かんだ。『平行植物』は空想の世界の植物群を描いたものだが、それが空想の世界のものであるためには、実際の世界を知っている必要がある。何が存在し、何が存在しないか。何が一般的で何がそうでないかを知っているからこそ「奇妙」なものを表現することができるだろう。そんな壮大な取り組みは、レオ・レオーニのライフワークのようなものだったのかもしれない。
ザッと強い雨が降り、その中で鳩が首をすくめた。今日はこんな感じで雨が続くのだろうか、それとも雨など降っていなかったかのように眩しく太陽が差すかもしれない。ハーグの天気は本当に変わりやすい。自分の心の状態に自分で責任を持つことを、忙しく移ろう天気が教えてくれる。2019.8.15 Thu 8:01
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