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今、YouTubeが面白い 時代はPlayful、Co-creative、Funfictiveへ

今、YouTubeが面白い。

わざわざ言うまでもない。と思う人も多いかもしれない。

え!そうなの!?と思う人もいるかもしれない。

いやいや、全然と言う声が聞こえてくるかもしれない。

これはおそらく、YouTubeで何を見ているかの違いだろう。

誰かを非難したり、タイトルとサムネで釣ってオチもなくしゃべっているような動画ばかり見ているのであればきっとYouTubeはつまらないと思うだろう。

しかし、それだけがYouTubeの全てではない。

YouTuberたちが屋外や複数人集まっての撮影ができなくなったことに加え、一般の人でYouTubeを始める人が一気に増えたことに伴って、YouTube全体の動画の質が下がるのではないかということを1ヶ月前にぼんやりと予想していたが、いい意味でその予想は裏切られている。

とあることをやっている人たちが台頭してきている。

そこに、これからの時代のヒントがあるのではと思う。

そんなわけで、今日は、私の好きなYouTubeチャンネルの共通点を例に、私たちがそれぞれの命の輝きを放ちながら生きていくために大切なことを考えていきたい。

などと大げさなことを書いたがが、好きなYouTubeチャンネルを見ながらああだこうだと考えたいだけである。

ちなみに私は、YouTubeのヘビーユーザーでも動画づくりの専門家でもない。

物事や人の言動・意識の構造を読み解くのが好きな構造解析オタクである。趣味と実益を兼ねて対話という名の雑談と人間観察を生業としている。最近は目に見えない世界の話をよくするので、もはや誰も信じてくれないが、工学部に7年間在籍していた、感覚派の超理系人間だ。

住んでいる家が大好きなのと極度の寒がりなことから、コロナがやって来る随分前から引きこもり生活をしている。オランダ生活がもうすぐ2年、欧州に来て3年になるが、そのさらに4年半前からテレビは見ていない。「ペンパイナッポーアッポーペーン」という歌が流行ったことを流行の3年後に知った。

普段はできるだけ静かに暮らしていて、人付き合いもめっぽう悪い上に、スイッチが入ると突然長文の乱文を寝食を忘れてしたためることがある。

というわけで、YouTubeの視聴ジャンルにはものすごく偏りがあるし、日本のトレンドとは随分ズレがあるかもしれないが、私なりの視点を書き綴っていきたい。

1. オランダで引きこもりをしている構造解析オタクが好きなYouTubeチャンネルとは

まずは、私がどんなチャンネルを見て「YouTubeは面白い」と言っているかと言うと・・・

①QuizKnockのチャンネル

東大クイズ王の伊沢拓司さんをはじめとした現役難関大学生たちがクイズを自作し、本気で盛り上がるチャンネル。たびたび繰り出される「インテリジェントボケ」とスピーディーなツッコミがツボで、私はこのチャンネルがあるからYouTubeを見ていると言っても過言ではない。

個人的に特に好きな動画はこちら▼ 知識と理系ネタが炸裂している。

③メンタリストDaigoさんのチャンネル

私の中ではDaigoさんって、「テレビで能力披露をしているマジシャン的な人」というイメージだったのだけど(いつの話だ)、YouTube(大元はニコニコ生放送)での発信を見て、「アカデミックな考え方に基づく人間の仕組みを解説してくれている人」だとイメージが一新された。

感性と思考を、必要なときにいかに働かせるかがキモの仕事なので、Daigoさんの話す身体や脳の仕組みのメカニズムを大いに活用している。

ちなみに他の「話す系YouTuber」の動画は1.5倍速で聞いているが、Daigoさんに限ってはその必要がないくらい話が速い。


そして最近のマイムーブがこちら

②広瀬香美さんのチャンネルの歌ってみた動画

日本で人気の歌を全く知らない私はこの動画でKing Gnuさんのことも、白日という歌のことも知った。原曲を知らなくても思わず引き込まれてしまうパフォーマンス。思わず原曲を探し、交互にヘビーローテーションするようになる、原曲への愛と広瀬香美カラーの織り合わせ。

まさに今日ご紹介する3つの要素が思いっきりこねてあるような動画だ。

これらのチャンネルには大いに楽しませてもらっているし、インスパイアーされるものがある。

この人たちは一体何をしているのか。それについて3つの捉え方を紹介したい。

2. Playful:遊びと学びの境目を取り払う

QuizKnockが大きく変えた(変えようとしている)のが「学び」のイメージだ。

「東大発の知識集団」と聞いたら、何だか敷居が高くて難しそうなイメージだが、彼らの動画は至って楽しい。「大学生のノリってなんかいいなあ」と見つめるおばさん目線を抜きにしても、やっぱり楽しい。

何が楽しいって、彼らは広範な知識を「遊びのネタ」としてダダ漏れさせるのだ。たとえばカルタという遊びを通じて、地図記号から漢字の成り立ち、歴史まで楽しいという感覚とともに自然と印象に残してくれる。

QuizKnockのおかげで私は白瀬矗(しらせのぶ:南極探検家)とシュレーディンガーの猫(量子力学の思考実験)とCERN(セルン:欧州原子核研究機構)を知り、CERNについてはスイスのジュネーブに行った際にわざわざ見学に行くに至った。

CERNはwww(World Wide Web)が考案された場所でもあり、CERNに行った私は、「インターネット後」の世界について考えを巡らせた。それはまさに今私たちが体験している新しい世界に通じる話でもある。

楽しみながら学ぶということから体験が生まれ、そこからまた新たな学びが生まれる。机に向かって教科書を開くのだけが私たちに必要な学びではないということ、そして「遊びながら学ぶ」ということができるということをQuizKnockは軽やかに教えてくれている。

今すでにやってきている流れの一つが「Playful」であり、それは遊びと学びの境目がなくなってきているということだと理解している。

学びの定着に最も有効なのはアウトプットだという研究結果もある。

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引用:リクルートワークス研究所「創造する」大人の学びモデルvol.2~アウトプットからはじまる、学びのサイクル より

ここで言う「これからの学び」は、まさに「遊び」と呼んでもいいのではないだろうか。

2. Co-creative:相手を感じ、最高の音を奏で合う

そしてYouTubeで見られる特徴的な取り組みであり、在り方が「Co-creative」だ。日本語で言うと「共創的」ということになるだろうか。

「コラボレーション」という言葉はすでに一般的で、YouTubeでも「コラボ動画」というものが多く公開されている。

しかしその中には、特段、視聴者が心をインスパイアーされるわけでもないものもある。(そしてどうやら私は「インスパイアー」という言葉が好きである。)

その一つが「【重大発表】○○しました」というヤツだ。

有名YouTuber同士が、中学生かと思うくらいとっかえひっかえ出す「付き合いました」などという動画に、最初は釣られていたが、もう完全にスルーするようになった。というのは私のことである。

仮にこれを「コラボ動画」と呼び、ここで行われているのが「コラボレーション」であるならば、私がしたいのは、そんなコラボレーションの話ではない。

私が言いたい、コ・クリエーションは、例えばこちら▼

これは、先日広瀬香美さんがどぶろっくさんの「もしかしてだけど」の歌ってみたを公開したものだ。

原曲が思い出せなくなるくらいJazzyでカッコいい。ヘタしたら人前で口ずさみたくなるくらいだ。(それにしても私はなぜどぶろっくさんのネタを知っていたのだろう・・・)

そしたら今日、こんな動画がおすすめに流れてきた。

最高だ。

私の中ではこういうものを「コ・クリエイション」と呼ぶ。

ポイントは、「それぞれがお互いを大いにリスペクトし、勝手にやっている」という点である。

勝手にやる。そして何かが生まれちゃう。

最高だ。(下ネタではない。)

これまでは例えば企業という組織の中で、ビジョンを共有し、生活の安定を保証し、未来に向かってずっと一緒にやっていきましょうという合意のもとそこにいる人たちが協働していくというのが一般的だっただろう。

最近では、組織という枠組みは取っ払うというという動きが出てきているが、そこにヒエラルキーがあり、未来に共に歩んでいくという前提があるならばどんなに小さな共同体でも本質的にはこれまでの企業の形と大きく違いはないのではないかと思う。

コ・クリエイションは、ジャズの演奏のように即興的で、刹那的で、でもお互いのことを大いに感じ合う今ここに生まれる取り組みだ。

広瀬香美とどぶろっくの間に未来に対する約束はない。ただ「いいな」と思ったから、相手に対する最大のリスペクトとともに、大声でそれぞれの音楽を奏で合ったのだ。

まさにワンナイトセッションである。(下ネタではない。)

YouTubeにはそんな、相手への尊敬の念と愛を込めた取り組みがたくさん生まれている。

直接時間や空間を共にせずとも、言葉を交わさずとも、共創することはできるのだ。

そしてそこには、はかりごとではない、それぞれの自分らしい表現があり、だからこそ人の心が揺さぶられる。

人気タレントがYouTubeを始めたり、コラボをしても必ずしも再生数が伸びるわけではないのは、そこにある「はかりごと」を視聴者が敏感に感じ取っているからだ。

これから人々はさらに「正直でないもの」を見分けるようになるだろう。

命を輝かせることに正直であろうとするならば主従関係でも役割分担でもない、Co-creativeな関係を生きることを選ぶ人が増えていくに違いない。現にYouTubeではそれが起こっている。

3. Funfictive:今ある素材を使って大いに二次創作する

「Funfictive」という言葉が実際にあるかは分からない。

たとえばアニメのキャラクターを使ってそのアニメのファンが新たな物語などを創作することをfunfictionやfunficと呼ぶ。日本語で言えば「二次創作物」もしくは「二次創作」である。それを形容動詞的にするなら -ive をつけておけという安易な発想である。

YouTubeでは、二次創作が多く行われている。

例えばお笑い芸人の(元と書くべきなのだろうか)中田敦彦さんのYouTube大学では、歴史や科学、数学などのアカデミックな内容から、漫画の本や時事についても解説しているが、それはいわば、色々な素材から料理を作っているようなものだ。

現在の日本の状況を予告しているのかと話題になった「AKIRA」についての動画はついつい前後編(①と②)を続けて観てしまったのだが、振り返ってみるとこれは、漫画の解説をしているだけである。

しかし、「しているだけ」というには、さすがに失礼だろうと思うほどに分かりやすく整理されているし、中田さんがAKIRAを全力で解説するからこそ伝わってくるものがある。

これが新時代の二次創作である。

広瀬香美さんの歌ってみたも、Daigoさんの、リサーチを元にした役立ちメソッドの紹介も二次創作と言える。

良い素材をさらに自分流に味付けしてして世に出したものは、「新たな創造物」なのだ。

これは「Do it yourself」の感覚にも近い。

ちなみに、最初にご紹介した広瀬香美さんの歌ってみたの動画には、さらに「それを聴いてみた」というリアクション動画まで登場している。

これがまた、面白い。

正直これを見るまでは「リアクション動画ってどうなの?」と思っていたが、この動画を配信しているしらスタさん(という呼び方でいいのだろうか)からも広瀬香美さんと同様、音楽が大好きというエネルギーが伝わってくる。


そしてもう一つ、大好きな二次創作動画がこちら。

阪大卒YouTuberと東大大学院卒YouTuberのコラボ動画でもある。
入試問題でさえ、創作のネタにする。こんなことを誰が想像しただろうか。

世の中にすでに素材は溢れるほどにある。

そんな中、まだどこにもないものをゼロからつくろうとすることにどれだけ意味があるだろうか。

スペック表の数字を上げることを頑張ることにもどれだけの意味があるだろうか。

料理をすることも、文章を書くことも、何かの素材があったり、何かに刺激を受けて行なっているのだから私たちが日常やっていることの多くはすでに二次創作である。

「自分探し」なんて大それたことをしなくても、自分の周りにあるものの中から素敵だなというものを集めて、切った張ったしていればそこで生まれる二次創作物は自然とその人の感性が滲み出たものになる。

0から1を作れる人を目指さなくていい。課題解決をしなくてもいい。

「好き」をたくさん集めて、「素敵だな」「楽しいな」と思うように組み立てて、そのプロセスを楽しめば、それを「素敵だな」「楽しいな」と思う人が自然に現れてくる。


私たちがそれぞれの命の輝きを放ちながら生きていくために大切なこと。

改めてそれはこの3つだ。

Playful:遊びと学びの境目を取り払う
Co-creative:相手を感じ、最高の音を奏で合う
Funfictive:今ある素材を使って大いに二次創作する

この3つを大いに体現している動画を最後にご紹介したい。

またもや広瀬香美さんである。

断るまでもないと思うが、私は広瀬香美さんとは何の面識もなく、ゲレンデで広瀬香美さんの歌を浴びるように聞いた世代でもなく、ついでに言うと、スキーもスノーボードも滑れる気がしたことが一度もない。

こんな私の両親が出会ったのがゲレンデだったということが唯一の広瀬香美さんとの接点である。

音楽のプロが歌い手だけでなく作詞家や作曲家、そして楽曲へのリスペクトと愛で満タンの全身を使って大いに二次創作をし、全力で遊ぶ。

天城越えについて学ぶことがこんなに楽しいと思ったことがあっただろうか。(天城越えについて学ぼうと思ったことさえない。)

そんな広瀬香美さんの姿に刺激を受け、夜中にひとり、文字をしたためる。

これを読んだあなたにもPlayfulでCo-creativeなFunfictionが生まれると嬉しい。


なんだか、ルー大柴さんみたいになったが大いに真面目に言っている。

ちなみに、ルー大柴さんの話す「ルー語」は、今になってみると「こういうカタカナ言葉話す人、リアルにちょいちょいいるよねって」思うようになった。

海外に暮らして、自分も日本語を忘れる節がある。

かと言って英語ができるようになったわけではない。

そんでもって偉い人が言っているカタカナ言葉はだいたい意味が分からない。たぶん言ってる本人も言葉の意味を分かっていない。


・・・・・・・・・・・・・

あの頃、「そんなの変だよね」って笑っていたことが、気づけば変なことではなくなっている。

時代の一歩先を行くと人に笑われることもあるけど、そんなこと気にしなくていい。それは「一歩はみ出てる」ってことだから誇りに思うくらいがいい。

新しい時代はもうそこまでやってきている。


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