言葉で文節されない世界
顔を上げると、書き殴られたような飛行機雲がいくつも空にかかっていて驚いた。その向こうには薄い鱗のような雲、別の方角には綿菓子のような雲。雲。雲。
今朝の日記にも書いたように思うが、普段眺めているパソコンの画面の中の世界と、窓の外の世界はこんなにも違うのかと思う。
言葉に埋め尽くされた世界と言葉のない世界。
窓の外の世界を文節するのは、私の頭の中にある言葉だけだ。
もし今、自分にとって大切なものを思い出したいという人に一つだけ進めることがあるならば、言葉のない世界に身を置くことだろう。
そこに身を置いて、それでも残ったものが、それでも美しいと思ったものが、言葉にできないと思ったものが、大切なものなのだ。
あと二つほど今日のうちにやっておきたいことが浮かんでいて、それに加えて部屋の片付けもしたいという考えもあって、今日はゆっくりと日記を書くことは諦めようと思っている。
それでもこうして書いているのは何か書きたいことがあったからだろう。
今日もビックリするような、新しく知ったことがあったのだが、それは日記に書き留めておきたいことと言うよりも、仲間に知らせたいことだ。
思い返せばおそらく昨晩に迎えたはずの満月は強烈で、私は随分と長いこと眠っていたように思う。いや、眠っていたと思ったが途中で起き出したのだったっけ。
何かとても思考が働いたような気がするが思い出せない。
言葉も、言葉にならないものの、もっと表現したい。
そのためにはもう少し世界との接点を狭めてみるのがいいだろうか。
日中、目の前のことにもっと深く集中することができたなら、同じ量のことを半分の時間で終わらせることができるかもしれない。
もちろんそれに人との対話の時間は含まれていなくて、対話の時間は、例えば先日、思わぬ出来事からフローニンゲンに住む友人と気づけば5時間も話していたように、あれこれと、予定不調和に、潜ったり泳いだりするように過ごしたい。
友人は当初私が時間を取ることになったことに随分恐縮していたようだったが、むしろ私はそうやって、大切な人たちと話をすること、ときに楽しく、ときに真剣に向き合うことができるように予定をあまり入れないようにしていると言っても過言ではない。
そういうことはもちろん多くはないが、予定ではないものに手を広げることのできる自分でありたい。
静けさの中で、自分にとって大切なことを確認する。まさに今はその時間を持ちたかったのだろう。2020.8.4 Tue 20:42 Den Haag
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