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「人間についての学び」と「暮らしをつくる力」

すっかり茂った葡萄の蔓を見て、小学生のときに育てた朝顔を思い出す。蔓が伸びるという意味では、大きくは同じ種類なのだろうか。そういえば葉っぱの形も朝顔に似ている気がする。

よくみると、蔓の途中にはもう小さなつぶつぶのついた、葉っぱとは違うものが伸び始めている。葡萄の実は秋には色が変わり、収穫の時期を迎えるはずだ。昨年、葡萄の実が成っているということに気づいたのはもっと後秋に近づいてからではなかったか。

もしかすると人は、まずは結果に気づき、そうすると、さらに結果に近いところで起こっていることに気づくようになり、だんだんと結果から離れた「変化の兆し」にも気づくようになるのかもしれない。

自分のアンテナが立っていないことは、視界に入っていたとしても「見た」とは認識されない。そして自分がそれが何か意味付けすることができていないものについても同様に「ある」とは捉えられないだろう。桜の蕾も、それが桜の花になるということを知らなければいつもと変わらず木がそこにあるだけに見えるに違いない。

何がどんな風に変化していくのか、例えば植物であれば理科で習うけれど、多くのことは人は自分の経験を通じて学んでいくことになるだろう。その中でも、自分自身のことや他者のこと、人間全般については言語化や体系化がされないまま個人の体験と認識の元に個々の中に蓄積されていくことが多いように思う。一番身近な「人間」という存在について、学ぶ機会は少ない。割りかし無頓着である。そのくせ、悩みの多くは人間もしくは人間関係についてのことである。

生物として、ミクロな、細胞、さらにはDNAレベルまで分解できる存在としての人間については知識として知る機会はある。また、例えば道徳など、社会規範のようなものについても学ぶ機会はある。しかし、自分自身について学ぶ、向き合うという機会が、義務教育と呼ばれるものの中でどれだけあっただろうか。

もしかすると、「自分」について考えるのは比較的成長をした知性が必要なのかもしれない。確かに、目に見えないものや概念を捉えることは、目に見える具体的なものを捉えることに比べると難しい。それを言語を用いて表現できるようになるのは大学生以降くらいになるのかもしれない。

しかし、それは「頭で理解する」という切り口における話である。理解するその対象としての自分自身を、言葉にならずとも感じたり、表現したり、養っていくことは、理解ができるようになる前から必要なのではないか。

シュタイナー教育の幼稚園には「森の幼稚園」というものがあると聞く。校舎がなく(本当だろうか)、森の中での活動を通して感性を育んでいくというイメージを持っている。確かにドイツに住んでいたときに、郊外の森の近くで森の幼稚園の案内を見たことがあったように思う。自分自身、小さい頃から比較的伸び伸びと育てられた方ではあったが、もしもう一度幼稚園に行くとしたら森の幼稚園に行ってみたい。今からでも行ってみたいくらいだ。

あたたかくなってきて、週末は子どもを自転車の荷台に乗せて走る人を見かけることが多くなった。そういえば先日は平日だったが、男の子と男性がウェットスーツを着て自転車に乗っている姿を見かけた。男性は二枚のサーフボードを抱えていた。

中庭でバーベキューをする様子や、家の手入れをする様子などもよく見かける。オランダの男性は(女性も)、日本に比べると圧倒的に「暮らしをつくる力」が強いという印象だ。「生きる力」と言ってもいい。我が家のオーナーのヤンさんも、家のことはたいてい自分でやってしまう。大きな机まで自分でこしらえてしまう。彼らにとってはそれが当たり前の中で過ごしてきたのだろう。

職場で働くことができない時期というのは、生活する力を養う時期なのではと思う。暮らしに必要なことを自分の手で行うことができたら、そして、それを楽しみとすることができたら、さらに、少しの時間と力を誰かを手助けすることに充てることができたら、多くを稼がなくても幸せに生きていくことができるに違いない。

私自身、「暮らしをつくる力」はほとんど養って来なかったように思う。特に東京では、お金と引き換えに、快適さや満足を手に入れることが当たり前になっていた。オランダでの時間は「暮らしをつくる力」をつける時間でもあるのだろう。「暮らしをつくる力」はきっと、すでにそれぞれの人の中にあるのだとも思う。それを発揮していくだけだ。国境を越えた移動が当分できないのは残念だが、日々の中で、これまでの自分を越えていく機会は多分にあるはずだ。2020.5.25 Mon 8:54 Den Haag

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