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「オランダでは小さい頃から対話の練習をする」は本当?オランダ人パートナーから返ってきた意外な答え

先日、読んでいた本の中で「オランダでは小さい頃から対話の練習をする」という話が出てきました。

確かに、今一緒に暮らしているオランダ人のパートナーは、拙い英語も最後までじっくり聴いて、自分の考えはたとえ全く違う意見であっても率直に伝えてきます。

それは小さい頃から対話をする環境や関係性があったからなのだろうか。

そう思って、彼に聞いてみました。

「日本の本や記事ではよく、『オランダでは子どもの頃から対話をしたり自分の意見を表明することをおこなっている』という話が出てくるけど、あなたも小さい頃からそんな風にしていたの?」

「オランダの教育は素晴らしい」は本当か

わたしの問いかけに対して彼は言いました。

「僕は歳を取っているし、子どももいないから今のオランダの学校のことは分からないけど、少なくとも僕が小さい頃は『先生の言うことが正しいこと』だったよ。先生の考えに沿ったことを言えば褒められるし、先生と違う考えを口にすると否定されたり仲間はずれにされることもあったよ」

「え!?そうなの!?2つめの学校はどうだった?2つ目の学校はモンッテソーリ教育の学校だったんだよね?」
(彼は小学校を途中で転校していました)

「2つ目の学校ではひとりで何かをすることが多かったよ。みんなで何かをしたり話をしたりするよりもひとりで取り組む。だから僕にとってはとっても平和だったんだ」

「そうだったんだね。日本では『オランダの教育は素晴らしい』って、本や記事で取り上げられることが多いんだよ。以前と今では、オランダの学校や教育が随分変わったのかなあ」

「どうなのかな。リサーチや視察をするときは『こんな事例を見たい』っていうのがそもそも決まっていることもあるよね。だから学校を訪問しても、自分たちが紹介したいことに合いそうな子を選んで話を聞いたりする。子どもも、期待されている通りに答えたらいい反応をされたり褒められることを知ってる」

「日本のニュースとかで紹介される子どものコメントはだいたいそんな感じかも」

「オランダでも今もそんなことが起こっていると思うよ。青い目、茶色い目の実験って知ってる?先生が、『青い目の子どもは優れている』って言ったら、子どもたちはあっという間にそれを信じてしまった。人間ってそうやって簡単に『これが正しいんだ』っていうことを信じてしまうよね」

「ユニセフの調査ではオランダの子ども幸福度は高いという結果が出ているけど、それについてはどう思う?」

「うーん、それもどうかなあ…少なくとも日本の子どもたちよりもプレッシャーは少ないだろうね」

本当かもしれない、でも全てではないかもしれない

これまでも彼から、小さい頃の話を聞く機会がありましたが、その度にオランダも以前(40年くらい前)は、今とは随分違ったんだなあと感じてきました。

以前のことだけでなく、今オランダの社会に対して彼が感じていることも、日本語で得られる情報を通じて知ることと違うことも多くあるように感じます。

あくまで彼の視点や体験なので、それが全てではないでしょう。

同じように、日本で「オランダでは」と紹介されていることが全てではない。

それでもあまりに「オランダでは」とひとくくりにされているのではないかということを感じます。

それはオランダに対してだけでなく、いろいろなことに対して起こっているのでしょう。

とあるものごとや社会の一部だけを見たものをあたかもそれが全てであるように紹介をする。それを見て、「それが全てだ」「それが正しい」と思い込む。

そんなことが積み重なった先にはどんな社会ができていくでしょうか?

語られていることの奥あることを見つめて


わたしたちが目にすること、耳にすること、こうだと思っていることの外側にはもっともっと様々な出来事や考え方が広がっています。


もちろん、今のわたしの視点や体験も、「ほんの一部」に過ぎません。


「何をどんな視点で捉えた結果この話は語られているんだろう」

「自分自身は実際にどんな体験をしているだろうか」

と自分に問いかけること、実際に体験をすること、違う体験や考えを持っている人と対話をすることで、これまでとは違った視点を手に入れていくことができる。

そうしていくことで、わたしたちが直面している困難な課題も乗り越えていくことができるのではないか。

そんなことを、ギリシャの小さな島で考えています。

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