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アラビアンナイトの世界と祈りの場所

随分と長い夢を見ていた。

夢の中で私は弁当を探しており、焼くのに45分ほどかかると言われた鮭の弁当を諦め、その代わりに見つけた春巻きのような、魚の揚げ物を味見し、舌鼓を打ったところだった。

魚をはじめとした日本の食が恋しいのだろうか。
イスタンブールにはおそらく、様々な国の料理を提供するレストランがある。

昨日ざっと近所のレストランを検索しただけでも、パキスタン料理やインド料理などの店が出てきた。トルコに来てから、トルコの料理が世界三大料理と言われる料理の一つだと知ったが、「トルコの料理」なんてものはそもそも存在しなくて、いろいろな国の料理が混ざっていることそのものが「トルコの料理」なんじゃないかという気がしてくる。

窓の外には、アジア側の陸地の岡に立つ大きなモスクのシルエットが見える。

モスクを囲んでそびえ立つ6本の塔は宇宙と交信をしているかのようだ。

観光名所にもなっているブルーモスクも、アヤソフィアも、今にも飛び立ちそうな感じがしたが、それは小さい頃に好きだったドラえもんの映画の影響だということが分かった。

一昨日、イスタンブールの街を1日観光し、中心部のバザールにも足を運んだ。広がる景色は「異世界」そのものだった。「エキゾチック」や「ミステリアス」という言葉が似合う。そして何より「アラビアンナイト」という言葉が浮かんでくる。

「アラビアンナイト」のイメージがどうしてこうも重なるのだろうと思うと同時にドラえもんの映画が思い浮かんだ。そして昨日、午後の散歩を終え、オンラインで見つけたその映画を観たところ、まさに今トルコで目にしているような景色、感じているような感覚を映画の中で味わっていたのだということを実感した。

映画に出てくる、砂漠の中にある金色の宮殿の形はモスクそのものだ。

そしてそのモスクが飛び上がる。

同世代の日本人の「(飛ぶ)モスク」のイメージはこの映画から来ているのじゃないだろうかとさえ思った。

東洋と西洋の間の世界のイメージとして持っていたのはまさにこの映画の世界観だ。

アジアから来た人から見るときっとここはすでにヨーロッパで、ヨーロッパから来た人から見るとここはすでにアジアなのだろう。


ブルーモスクは残念ながら改修中で、中に入ってもその美しいであろう天井を見ることはできなかった。それでもモスクの中で祈っている人がたくさんいて、その光景が美しいと感じた。

一方、アヤソフィアはその建物のつくりの異様さに言葉をのんでしまった。

ちょうど先日観た創造についての話の中で「Egoless Creation」という言葉および考え方を知ったが、アヤソフィアはまさに人々のエゴでつくられた建物だと感じた。

要塞のような佇まいは力や権威を見せつけようとしたその結果に違いない。

長い間協会だった建物がモスクに改修されたとの説明を後で読み、その不自然さに合点がいった。

自然の中に立ち現れてくるものを掘り出したような建物と、何かを示そうとした建物は、こうも違うものかと思った。

中に入ればきっとまた違った印象を持つのだろうけれど、昨年、博物館からモスクに戻ったという話を読んで、ナショナリズムの象徴だということも湧いてきた。この国は美しいが、知らず知らずのうちに統制され、そうされていることにさえ気づかなくなっている人たちを見ると、国や世界の未来を憂わずにはいられない。

知らないということ、気づいていないということは恐ろしい。

それでも、祈りは、平和につながる道なのだと信じたい。

外がだいぶ明るくなってきた。向こう岸に見える大きなモスクはやはり今にも飛び立ちそうだ。2021.6.7 Mon 7:00 Istanbul

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