言葉があふれるとき
目の前の山にはすっかり日が降り注いでいる。
風が微かに、肌を撫でる。
パソコンを開くと猫たちが集まってきて、一匹はパソコンの高さをあげている台にもぐりこんだ。
そばにいると落ち着くのだろうか。
わたしたちのことなど構わず家の中を駆け回ったり、ソファーの下や戸棚の裏で寝ていることもあるけれど、特にパソコンを使い出すと近くにいたがるのはなぜだろう。(キーボードの上を猫が歩いたり画面の前に座るというのは猫と暮らしている人のあるあるなのだろうか)
この一ヶ月は気温と湿度の変化の中でもがくからだのケアに取り組んできたが、その中でいろいろな学びがあった。
書き出すとキリがないけれど、一番大きなものは「症状は結果であって原因ではない」ということだ。
寝つきの悪さや眠りの浅さに悩まされてきたけれど、それは何かのバランスが崩れているか、何かの変化に適応できていないというサインだ。
でも眠りの質の悪さによって起こることがさまざまあるから、ついつい眠りそのものを課題だと思って、眠りそのものをどうにかしようとしてしまう。
しかし、眠りの質は何かの結果なのだという視点で見ると取り組むことが変わってくる。
そんなことをこれまで情報として知る機会はあったかもしれないけれど、今は身をもって体感しているという実感がある。
そして知っているのと、体感しているというのは本当に大きな違いで、それは特にこうして言葉にするときに根っこが生えた言葉になるか、そうでないかにつながるだろうと思う。
今日はDANROのジャーナリングの会で、冒頭に「感じましょう」などとガイダンスをしたのだが、溢れるように考えが湧いてくる。
そんな日もある。
たくさんの体験と感覚が積み重なり、それがつながりあい、溢れ出すときに言葉も溢れてくるのだろう。
言葉にしない期間があったからこそ、体験と感覚が深まり、物事のつながりや奥行きがより見えてきたのかもしれない。
ギーという高い機械音が家の中に響き始めた。
暑さでなのか朝なかなかエンジンがかからないピーターさんも今日は精力的に動き始めたようだ。
セミも鳴き始め、猫たちのキーボードへのアタックも激しくなってきた。
このページをご覧くださってありがとうございます。あなたの心の底にあるものと何かつながることがあれば嬉しいです。言葉と言葉にならないものたちに静かに向き合い続けるために、贈りものは心と体を整えることに役立てさせていただきます。