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自分が身を置くゲームの存在に気づいているか

風で竹が揺れる。

この場所でジャーナルを書き始めるとき、いつも庭を眺め、庭に息づく音に耳を傾けていたのだと今になって気づく。

この場所に滞在するのも明後日まで。

いつもならこのタイミングでは次の滞在場所のことがすでに頭の中にやってきているが、今回はそうではない。今いる場所に意識がそのままある。次の滞在場所がすでに訪れたことがある場所ということもあるかもしれないけれど、これまでよりもずっと「今」にいられるようになっているのかもしれない。


表の通りからは犬の鳴き声、そして通りかかる車から漏れている低音の音楽が聞こえてくる。


昨晩は「エクス・マキナ」という映画を観た。AIがどこまで人間に近づけるかという話だ。その中に「チェスをしているAIが、自分がチェスをしていることに自覚的であるか」といった話が出てきた。

特定の目的のために作られたAIはその目的の中では学習し、秀でた結果を出すことができる。しかし、その目的そのものを見つめることができなければ人間と同等だとみなすことはできないとったことだ。

確かに自分が身を置くゲームそのものを俯瞰するためには、専門的なものを極めることとは違った意識が必要になるだろう。

しかし、人間はどうだろうか?自分が身を置くゲームの存在に気づいているだろうか。

例えば経済的な成長や社会的な成功。これらはわたしたちの社会に埋め込まれたゲームではないだろうか。自己(魂)もしくは自己を超越したものの願いや喜びに気づき、ゲームを抜け出すことができているだろうか。

おそらく、すでに人間についてわたしたちが思っている以上のことが分かっている。(それと同じくらいか何倍も、いや、無限に、分かっていないこともある)

分かっていることの中には多くの人が知ると都合が悪いことも多々あり、それは公にはなっていないのではないだろうか。

こんな風に書いていると自分がこの世界をディストピアのように眺めているのかとも思えるけれど、そうではない。人はもっと解放され、そして調和することもできると、まだ信じている。

少し前まではそんな世界に自分はどう働きかけようかということを考えていたけれど、この1週間ほどでその感覚は変化している。どんなに狭くとも、小さくとも、自分が身を置く世界と関係性に向き合っていく。まだ出会っていない人たちではなく、すでに出会っている人たちとの関係性をより創造的で自由なものにしていく。

それが結局世界の変化につながっていくのではないかと、今はそんなことを思っている。2022.1.31 Mon 9:20 Nicaragua Granada

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【こちらは2022年6月よりawai Lagunaの活動へ移行します】 リフレクションジャーナルを綴ることにご関心がある方はawai Lagunaにご参加ください。 https://laguna.awai.space/about

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