178. 小さな旅立ちの朝
179. 何度でも新鮮に出会うという体験

178. 小さな旅立ちの朝


シャワーを浴びてヨガをし、家の片付け、そして、旅の支度を終えた。旅と言ってもハーグから1時間ほどのところにある小さな街に移動して、そこで静かに、いつもと変わらず仕事をし、その場にある木々を眺め、鳥の声を聞いて、本を読み、そして考え事をする。そんな時間を過ごすことになるだろう。小さなスーツケースに最低限必要なものを詰めるだけなので、旅の支度はいつも当日の朝だ。以前はあれやこれやと荷物に入れ、例えば本は数冊入れるもほとんど読まずに持って帰ってくるということが大半だったが、最近は帰ってきて「これは使わなかったなあ」というものはほぼないように思う。日本のように「どこにでもコンビニがあるから、足りないものがあっても大丈夫」というほど便利ではないが、そもそもどうしてもないと困るものなんてそうそうないのだろう。

旅先で、いつもと違う環境の中で静かな時間を過ごすのも好きだし、移動の時間も好きだ。電車や飛行機の窓から何となしに外を眺めていると、ふわふわと色々な言葉が落ちてくる。ぽこぽこと色々な感覚が浮き上がってくる。それらを手帳に書き留めることもあれば、そのままゆらゆらとその中に漂ってみることもある。普段は意識の外側に追いやられているものと細い糸で繋がっていくような感じが心地いい。最近は飛行機の中でもwi-fiがつながるようになってきているようだが旅の良さというのは、日常の中にあるものから切り離された世界に身を置けることではないかと思う。日本にいるときに月一回煎茶道の稽古に通っていた北鎌倉の浄智寺の敷地は、奥に入っていくと携帯の電波が入らなくなる場所だった。稽古場である古民家までに行く道のりの間に、だんだんと風の音や鳥の声が聞こえるようになり咲いている小さな花に目が留まるようになる。そして人間が本来持っている感覚を取り戻していく。北鎌倉駅についたときから、稽古が始まっているような、今思えばそんな時間だった。誰とでもすぐに簡単に言葉のようなものをやりとりできる時代だからこそ、繋がらない時間、言葉が醸造されるような時間を過ごしていきたい。自分が何か場所をつくるとしたら「disconnect」や「unplugged」がテーマになりそうだが、そうやって言葉にした瞬間に世界の中に明確な境界線が引かれると同時に商業的に消費される対象になることが悩ましい。旅を前にして、私の思考はすでに、旅を始めているようだ。

大した支度ではないし、遠くに行くわけでもないと思いながら、これまでの旅とは違って日々飲んでいるカカオパウダーやヘンプパウダー、小麦若葉のパウダーやチアシードなどを小さな袋に詰めるといういつもとは違う作業をしている時、心が浮き足立っていたようだ。袋に分ける作業と今飲むドリンクを作る作業を並行して行なっていたら、コップに入れるはずの蜂蜜を間違えてチアシードの瓶の中に、豪快に入れてしまった。急いで蜂蜜がついた部分をスプーンですくってコップの中に移し水を入れて飲んだが、いつもなら10時間水につけて膨らんだチアシードを(チーアシードはその体積の約10倍の水を吸うそうだ)飲むところを、種の状態で飲んだので、今日はいつもよりたくさん水を飲む必要があるかもしれない。自分がどういう状態にあるかは、自分が為していることに起こることで分かる。お茶を淹れるときに心が落ち着いていないとお湯が跳ねる。跳ねるお湯を見て心が落ち着いていないことに気づく。だからと言ってガッカリしたり自分を批判する必要はなく「そういう状態なんだな」と知ることが大切なのだと思う。

まだ見ぬ景色に出会う期待を持ちつつ、これまでの日記の編集を進めることにする。2019.6.26 Wed 9:27 Den Haag

179. 何度でも新鮮に出会うという体験

22時を過ぎても空は明るい。しかし今日は、いつもの書斎の窓6枚分か、それよりもっと大きな窓から外を見ている。大通りに面しているので、時折車やバイクが通り過ぎる音が聞こえる。

Tilburgというベルギーとの国境に近い小さな街についたのは18時を過ぎた頃だった。「小さな街」と言っても、オランダでは人口が6番目に多い都市だ。しかし人口で言うと約20万人、日本で言うと島根県の松江市と同じくらいの街は大きくも小さくもないという感じだろうか。人口密度は約1,700人、京都市や札幌市と同じくらいの規模である。訪れる街の人口と人口密度をチェックしてしまうのは、街づくりに関わる仕事をしてきたこともあるのだろうか。まずは体感覚として賑わっている/閑散としている、住みやすそう/住むのには落ち着かなさそう、というのを感じて、その上で実際に数値を確認するということをよくやっているように思う。欧州にきてから感じる「面白い都市」は、今のところだいたい人口が40万人くらいの都市だ。例えばハーグは約45万人、ベルギーのアントワープは40万人くらいだが、そのくらいの規模の都市はヨーロッパの中で言うと、「首都ではない都市」になるだろう。大体どこの国も首都というのはとにかく色々なものが雑多に集まって玉石混合という感じだが、人口40万人規模の都市というのは何かその都市らしさがありつつも多様性もあるという感じがする。ほどよい刺激があって、芸術に触れる機会も確保できるという印象だ。それよりも「落ち着いて暮らすのにほどよい都市」となると人口10万人から20万人前後の都市という感じがしている。例えばLeidenやDelftは人口10万人前後だが大学があることもあり賑わいや活気があり、暮らすにあたって特に不便なこともないように思う。日本でも度々話題になる「世界で最も住みやすい都市ランキング」の上位に東京が入っているが、正直なところそのランキングがどういう指標を元に作られているのか疑問なところもある。(特に東京は広いので一口に「東京」とくくることすらできないのではないかとも思う)

「はじめての街で過ごすのは楽しみだ」と降り立ったTilburgだったが、駅を出た瞬間「ここには来たことがある」ということに気づいた。確か昨年の秋頃に日本の知人の依頼で織物美術館を見に来たのだ。駅前の景色を見た瞬間にそのことを思い出したのだが、それまでは地図を眺めて「Tilburgはどんな街だろう」と思っていた自分のあまりの物忘れの良さに自分でも驚いた。昨年の夏ハーグに越してきたときは「カモメが大きい!」と驚いたのだが、その2ヶ月前に訪れたベネチアでも私は「カモメが大きい!」としきりに驚いていたらしい。目の前のことに全力で向き合うも、それをすっかり忘れていくということが、仕事にも役に立っているはずだと自分に言い聞かせている。

既に訪れたことがあったとは言え、そのときは街中には行かなかったので、明日・明後日は散歩がてら街の中心部を訪れようと思う。ハーグからほど近いLeidenやGoudaは街の中心部が運河に囲まれているがTilburgはそうでないので、そんな中で街がどんな形状になっているかというのに興味が湧いている。地形や産業構造と都市の発達、そして人の暮らし方というのは密接に結びついており、時の移り変わりの中でどのような変化が起こっていったのか、そしてそこに暮らす人の物語を想像するのが楽しみなのだということに、こうして書きながら気づいた。 

気づけば窓の外は暗くなり、明けた窓から吹き込む風も涼しくなってきた。普段の暮らしと同じように、ここでも静かに夜を迎えている。2019.6.26 Wed 22:58 Tilburg

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