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主人

同世代の友人や知人が、自身の夫を「主人」と呼ぶのを時折見聞きする。33歳の私はそれに抵抗を覚える。親世代がそう言うのは仕方ない。しかしわれわれの世代になってもまだ、妻は夫を上に見なければならないのかとあきれてしまうのだ。作家の川上未映子さんが昨年「『主人』という言葉が心底嫌い」というコラムを書いていたが、うなずくところは多い。

けれど一方で、子どもの頃から「主人」や「家内」などの言葉を聞いてきたせいか、それらが「大人になったら使える甘美な言い回し」として私の中にインプットされているのもまた、事実なのだ。誰かの夫について語るとき、つい「○○さんのご主人」という表現が出るのは、大人に見られたいという薄っぺらい願望が顔を出すせいだろう。

それにしても、他人の夫の良い呼び方はないものだろうか。友人の夫は名前を呼べば済むが、特に年上の人の夫をなんと呼ぶべきか、いまだにわからない。

昔から知る同級生が自身の夫を「主人」と呼ぶのは、他人のそれを聞くよりさらに違和感がある。彼女らが遠くへ行ってしまったように感じるからだろうか。置いてけぼりを食った寂しさや、喜々としてそう呼ぶ彼女らへの失望や、結婚が全てではないという信念などがごちゃ混ぜになり、「主人」は気持ちの悪い言葉となって私の前に立ち上がる。

あなたの夫を、あなたの主人だとは思いたくない。本当はそんな言葉に甘美さなどないのだ。私たちは誰かに仕えるのではなく、誰かと共に生きていくのだから。

(2018年6月17日 徳島新聞朝刊掲載)

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