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子供の頃なりたかったもの

子供の時なりたかったもの。

偉人になりたかった。

すごいと言われたかった。

作家や、キリスト、平和活動家、超絶技巧ピアニストや、女武闘家、漫画家、ディズニーのようなアニメーション作家、カッコいいアクロバット・ダンサー、などなど。シンガーとか。

漫画やアニメなどの影響もあるはず。

あとは母のような母になること。

できれば父のような人と結婚し、専業主婦かつ作家活動を在宅でできるような。漫画を執筆とか。

あとは、

南の島に行ったり、アメリカみたいな大きな家に住んだり、乗れそうな大きな犬を飼ったり、スイス(夏)のアルプスの高原に行ったりしたかった。

イルカと泳いだり。

日本の田舎にも行ってみたい。きれいな水の川に夏休みに飛び込んだり、トトロの世界みたいな、カエルのいる田んぼがあったりキュウリ食べたり。

都会育ちで、両祖父母も田舎はなく東京なので、自然に憧れた。

汚い川や、狭い家、ペット不可、汚い都会から逃れたかった。

北海道のムツゴロウ王国も、小学生くらいに憧れた。

ナウシカのように、可愛い小動物や巨大生物を飼い慣らしたかった。 

赤ちゃんも大好き。

日本も離れたかった。

ヨーロッパなどのような白人社会の憧れは、ディズニーや絵本、母のせいか。

クラシック音楽も恍惚。

正月よりクリスマスが良かった。サンタやあの世界も大好き。

日本の体格や顔、スタイルや服も、家も、自分の外見も嫌だった。


勉強をしたのは、お金のため。

絵が上手くなりたかったが、絵では食べていけないと思った。

ゴッホなど、生前に評価されない人もいるのだから、いくら素晴らしい絵を描いても、お金が入らなくては、と思った。

お金のためには、勉強して、いい大学に入り、いい仕事をしてこつこつ稼ぐしかないと思った。

世界で貧困に喘ぐ人や子供の映像を小学校低学年くらいに授業で見たが、こういう人を救うには、今子供のままではできないから、今は勉強し、10年くらいして大人になってお金を稼げば、億万長者になれば助けられると思った。


まずは、お金、仕事だと。


3歳から公文をやっていたので、公立小学校の同学年では頭が良かった。八月生まれだし、四つ上の姉もいた。

頭が良ければ稼げると思って、まずは、勉強にある程度絞った。

ピアノも上手かったが、なかなか上達は期待できないし、運動神経もあったが、体力や体格、食欲に不安があったし、見た目も悪い。

だから勉強に絞った。

母も勉強に期待していた。

勉強すれば、とりあえずなんとかなると思った。


公文や四谷大塚では、地球の資源がヤバい、と繰り返し読んだが、今はクーラーの効いた部屋で勉強するしかなかった。

家事も習いたかったが、勉強や塾との二重生活で疲れたのか、やりたくなかった。

やらされないのをいいことに、やらないで来た。


あれから10年どころではなく、25年くらい経ったが、お金持ちになるどころではない。子供の頃食べきれない給食を貧困の子供に回す力もない。

あれから心の中もあまり変わらず、生活もあまり劇的な変化はない。

しかし最近、尊敬する偉人ができた。

フレディ・マーキュリーだ。

今まで尊敬する偉人が見つけられずにいた。

せいぜい、ウォルト・ディズニーやドラえもん作者、サザエさん作者、ガガとか。

しかし、公言はできなかった。

フレディも公言はためらわれるが、

ここまで調べたのは初めて。

もうすでに故人だからと言うのもあると思う。

もういないから、ありがたく昔の資料を集めたり、もう完結してるから安心して調べられる、楽しめる。

早く亡くなったから、割と最近のことだから、記憶も自分とオーバーラップする。


性別の苦しみや外見の苦しみ、人種の苦しみなど、時代を先取りして今の自分の苦しみとオーバーラップしてる。

毒親とか(ママ〜)。

自分を信じるとか、友情とか、戦争とか、

あなたが必要なのは愛だけとか。


私を泣かせることができる

私を爆笑させることができる

これはかなり珍しい。

昔はクラシックで恍惚してたが、もう最近はクラシックでは新鮮さが感じられない。


爆笑は主にフレディの滑稽さからくるが、私は小学生低学年の喜ぶ下ネタしか爆笑しないので、かなり珍しい。ありがとう。笑いは医療だ。


エイズで亡くなった悲劇の人なのに笑いを提供。

調べるたびやってることもヤバいこともあるが、許容範囲をある意味超えてきた。

ブライアンやロジャーのような境地になってきたのかもしれない。


なんか家族とか親族みたいになってしまった。

とてもおかしな現象だ。


作り出されたものかもしれないが構わない。

モーツァルトだってダビンチだってシェークスピアだってソクラテスだって、本当の彼らはわからない。

実在しなかったという意見も。

もう彼らは人ではない。イメージだ。

本当の彼らはわからない。

私達が曽祖父母がどんな人かわからないのと同じだ。一緒に生きていないと、どんな人かわからないし、自分の母や兄弟でも、本当の姿はわからないかもしれない。我が子も。


私の息子、お兄ちゃん、愛人、恋人のような存在だ。

可愛くて、とてもかなわないくらいカッコよく、時についていけなくて、時に疑問に思い、

時にメンターにしたり、心を安定させるのに使ったり、飽きたり、ビジネス的に参考にしたり、

忙しい。


気づくと家族とか親族みたいになっている。

これは愛か。

When you touch me I die, 
Just a little inside 
Wonder if this could be love?

“Venus” By Lady Gaga 

あなたが私に触れると私は死ぬ(のと同じくらい衝撃を受ける)
ほんのちょっと内側に(触れただけなのに)
これって「愛」なのかしら?

本当に愛なのか?いつも疑問だ。

故人だし、会ったことないし、亡くなった時4歳だし知らないし、

愛なのか?


よくフレディが、愛のゲームを始めよう、恋に落ちるだけ、というので、その通りにしよう。

「あなたは(またはあなたの)ある種愛人みたいなもの」、とか言うし。

日本人というだけで、海の向こうのマジック・パールなのだから。



長いのでまとめ。

まとめ

私が子供の頃なりたかったのは偉人。特に絵画系。

最近できた尊敬する偉人はフレディ・マーキュリーで、親族みたいな存在。人種違うけど。

これからもよろしくってこと。フレディとクイーンと、それらを取り巻く人々に。

以上です。


お読みくださりありがとうございました。









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