見出し画像

女王のchild、熱狂のレディが帰ってきた!ふしぎの国の・・・和訳

私の名前はみみであって、彼女じゃないけど、

私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの

私の名前はみみであって、彼女じゃないけど、

私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの


Ah ah ah oh, ah ah ah

私を解き放って(自由を)

私を解き放って(自由を)


私をここから生きて連れ出してくださいませんこと?

私のボディ(本体)はどこかしら?覚めない夢の中で、迷子なの


オー、マンマ(・ミーア)

絶叫するのにはもう疲れたわ

オー、マンマ(・ミーア)

肺の限界までね

あぁ、ママ、

ウサギの穴の中、下に下に、ずっと堕ち続けてる


私の名前はみみであって、彼女じゃないけど、

私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの

私の名前はみみであって、彼女じゃないけど、

私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの


私を家に連れて帰って

私をワンダーランドに連れて行って

私を家に連れて帰って

私をワンダーランドに連れて行って


(ブリッジ)

目覚めにはもううんざりなの

肺の限界まで叫ぶ

たぶん、自分をどこかに置いてきちゃったみたい。

マエストロ(巨匠)、あなたのシンフォニー(交響曲)をプレイして

何でも聴くわ

トリップ(旅)させて、DJ、私の心を解き放って(自由を)


私の名前はみみであって、彼女じゃないけど、

私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの

私の名前はみみであって、彼女じゃないけど、

私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの


私を家に連れて帰って

私をワンダーランドに連れて行って


私を解き放って(自由を)

私を解き放って(自由を)


解説

文中の「み」を「が」に変えると、彼女の曲になります。


そう、LADY GAGAさんの最新アルバム「CHROMATICA(クロマティカ)」(2020年5月29日発売)から「ALICE」の和訳(意訳)です。

作詞は他にBloodPop、Axel Hedfors、Justin Tranter、Joannes Klahrさんたちとなっています。


クイーンのYoutubeを子守歌のように毎夜見まくっていますが、ある夜、広告で、レディー・ガガさんとドン・ペリニョン(ドンペリ)のコラボ動画が流れます。

モエ・エ・シャンドン社のシャンペンですね。


ガガ様の第5アルバム「ジョアン」(2016)から、アート・ポップからカントリーに移行し、ちょっと距離を置いてしまいましたが、ポップが戻ってきました。

2018年の映画「アリー/スター誕生」も映画館で拝見し、歌声に感動するものの、あまりにリアルな姿に受け入れられず、その後も政治色が強くなってきたりと色々心配しましたが、完全にダンスミュージックに回帰しています。

線維筋痛症の経過がかなり心配ですが、どうか頑張ってください。


とにかくドンペリとのコラボ動画はすばらしく、アート・ポップの復帰を思わせました。

動画では、パリのオペラ座ガルニエのようなマゼンダ・ピンク色のシャンデリアと階段の場所が、鏡に映ったように左右対称に動き、時空がゆがむように動いてます。めまいをおこさせるような美しい映像です。

ガガ淑女は、ピンクの髪の毛に、以前に比べ露出度は少ないがアーティスティックな衣装を召していらしました。

サウンドはオペラチック、オーケストラ、クラシックチック。

サウンドはアリスでも、詩は、同アルバムの「Free Woman」。”Be free”という言葉が印象的に響きます。

「ポーカー・フェイス」のような低いお経のような独特のフレーズ。

ガガ語(同じ単語を2回言う)。

"This is my dance floor"。

ガガ様の復帰宣言のように聞こえます。


最近、クイーンの歌詞和訳をするようになって、きづいたこと。


数年前、ガガにガガ(gaga:熱狂)していたころ、彼女の歌詞の意味のわからなったフレーズや単語が、今、一部わかるようになった。


明らかに彼女はフレディ・マーキュリーおよびクイーンに影響を受けている。


それは、彼女は昔からたびたび言及していたし、私もブライアン・メイ氏との「ユー・アンド・アイ」が大好きだし、クイーン愛は伝わっていた。メイ氏も彼女をクイーンに迎える準備はあるとのことで相思相愛。

しかし、当時私はクイーンのガチ・ファンでなかったので、クイーンの詩や単語はがっつり意識したこともないし、特に彼女のワード・チョイス(コピー)についてその影響に気が付かなかった。


フレディの初期作品の歌詞の意味の分からないフレーズに「ロッキー・ホラー・ショー」の言葉が出てくるように、ガガ様の詩の意味の分からないところや彼女が語る自分の話には、フレディーの言い回しや歴史が登場する。


フレデイもガガも、他にもいろいろ影響を受けているとは思うが、この2つはお互い意識的に取り入れていると思う。かなり重要な要素と思われる。


何がきっかけか忘れたが、1,2カ月ほど前、久々に彼女の代表曲「ボーン・ディス・ウェイ」ビデオを拝聴したら号泣してしまった。

実は、もともとあまり大好きでない曲だった。

曲の「ボラプ」のように、なぜそのアーティストの代表曲が好きじゃないのか、ファンとして落ち込むこともあった。

しかし、この2つはまるで親と子供のような関係だったのだ。

「ボラプ」を分析して、悩みぬいたことでビジョンが開けたのだ。

「ボーン・ディス・ウェイ」ビデオにはロッキー・ホラー・ショーも関わっていそう。

そこかしこのサインが読める。


また、ごく最近、クイーンの「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」を和訳分析していて、その要素の一つと思われる、「ふしぎの国のアリス」を調べていたので、この曲をかなり深いところまで読み取ることができた。

まずは、ルイス・キャロルの「アリス」作品は、かなり文学的に深い作品ということが分かった。

ただの児童小説ではなく、トム・ソーヤのように、大人が読んでもうならされる作品だ。

特に続編「鏡の国のアリス」はチェスの知識があるとなおよい、数学教授だった彼らしい作品。牛乳の光学異性体が出てきて、鏡の国でアリスが飲んでおなかを壊したりするのも、科学(生化学)の知識が関係していると高校の先生に教えてもらった。子供も楽しんで読めるが、大人向けといってもいい。


そして、ガガ様のドンペリ・コラボ動画と同じビデオを有するのが、まさかの「アリス」。

ルイス・キャロルのアリス分析をしていたので、すぐに聞いた。


そう、私のマエストロ、ガガ様。

クイーンのように、私をワンダーランドに連れて行ってくれる。


この詩もとてもシンプルながら、深い意味合いが込められている。

アリスのストーリーや原作やディズニーアニメを知っているとよくわかる。


和訳では表現できない、狂気というか、渇望、現代人に特有のリアル感の希薄さのようなものを感じる。

その中で助けを求め、自由を切望する。


自由というのはみみの課題でもある。

フレディの課題でもあった。


このように、クイーン、ガガ様、みみの三角関係が始まった。


この2つはお互いに理解が深まる存在なのだ。

クイーンの作品は基本的に自分の生まれるより前のものなので、理解しがたいところもある。

それを教えてくれるのがガガ様なのだ。

クイーンと同じような年の、私の両親の理解にもつながる。


いつか自由になるその日まで、御両人、頼んます。


YouTube動画のリンクを貼っておきます。

Lady Gaga - Alice (Audio)


おまけ

詳しいアリスの解説です。

"Alice"
Written by Lady Gaga, BloodPop, Axel Hedfors, Justin Tranter, Joannes Klahr

[Intro]
My name isn't Alice
But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland
My name isn't Alice
But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland, Wonderland
Ah, ah, ah, oh, ah, ah, ah (Ah)
Set me free (Ah-ah-ah)
Ah, ah, ah, oh, ah, ah, ah (Ah)
Set me free (Ah-ah-ah)
[Verse1]
Could you pull me out of this alive?
(Ah, ah, ah, oh, ah, ah, ah)
Where's my body? I'm stuck in my mind
(Ah, ah, ah, oh, ah, ah, ah)
[Pre-Chorus]
(Oh ma-ma-ma, oh ma-ma-ma)
I'm tired of screaming
(Oh-ma-ma-ma, oh-ma-ma-ma)
At the top of my lungs
(Oh my mother, oh my mother)
I'm in the hole, I'm falling down, down
So down, down
[Chorus]
My name isn't Alice
But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland
My name isn't Alice
But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland, Wonderland
[Post-Chorus]
Take me home
Take me to Wonderland, Wonderland
Take me home
Take me to Wonderland, Wonderland
[Verse 2]
Sick and tired of waking up
Screaming at the top of my lungs
Think I might've just left myself behind
Maestro, play me your symphony
I will listen to anything
Take me on a trip, DJ, free my mind
[Chorus]
My name isn't Alice
But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland
My name isn't Alice
But I'll keep looking, I'll keep looking for Wonderland, Wonderland
[Post-Chorus]
Take me home
Take me to Wonderland, Wonderland
Take me home
Take me to Wonderland, Wonderland
Take me home
Take me to Wonderland, Wonderland
Take me home
Take me to Wonderland, Wonderland
[Outro]
Ah, ah, ah, oh, ah, ah, ah, oh (Ah)
Set me free (Ah-ah-ah)
Ah, ah, ah, oh, ah, ah, ah, oh (Ah)
Set me free (Ah-ah-ah)


分析

私の名前はアリスじゃないけど、私はワンダーランド(ふしぎの国)を探しているの

ワンダーランドとは、混とんとした問題だらけのこの世の中から逃避できる世界のこと。または、悩みの多い今の自分から、一つ上の高い世界に移行すること。

それを探し続けるわ、ということは、過去も探していたし、これからも探し続ける(現在の様子)ということ。

まだ見つかっていないということ、あとは本当にあるかもわからないけど、探しているということを表す。

ボラプでいう、ファンタシーです。


私を自由にして(set me free)

これも、ボラプのlet me goなどと一緒。

自由が課題の一つ。

これは、ただ勝手に生きたいというより、特に自由度の少ない現代社会において、格差やいじめなどの原因ともなる思考の狭さを解き放つフレーズでもあると思う。

(自分は)自由になってもいいんだ、自由になるために戦っていいんだ。

みみもそう願うので共感度が高い部分。


私をここから生きて連れ出してくださいませんこと?
私のボディ(本体)はどこかしら?覚めない夢の中で、迷子なの

Could you ~ ?なのでかなり丁寧な言い方。

なかなかできにくいことを他人に頼む場合や、見ず知らずの人に頼むときなど。

アリスはイギリス人なので、こういう礼儀のある言い方をしそう。

Could you pull me out of this life?

(この生活から引き抜いてくださらない?)

と聞こえる。


私の体はどこ?思想にとらわれてしまっている。

ここはとても意味深い。

アリスに関して言えば、ワンダーランドとはいえ結局夢の中なので、体自体は現実世界にあり、心にとらわれている、つまり夢を見ているということを表しています。

アリスのアニメでは、最後は女王たちに追いかけられて逃げます。

家に帰りたいが、ドアの外を見ると現実世界で眠っている自分が見える。

「アリス、起きて(wake up)」


これは現実でも起こります。

私も、悪夢だとわかって、夢から起きようとすることがあります。

すごく頑張れば起きられますが、何分かかかることもあります。怖いです。


また、精神的に夢中になりすぎて、今何時か、どこにいるか忘れることがあります。

これは、現代社会は夜でも明るく、欲望のままに動けるからではないかと思います。世界中ともつながります。

VRなども発展すれば、もっと混乱するかもしれません。宇宙に行くかもしれません。時間も空間もおぼろです。


つまり物語の状態と、現実の状態をリンクさせているような感じです。


オー、マ・マンマ X2
絶叫するのにはもう疲れたわ
オー、マ・マンマ X2
肺の限界までね
あぁ、ママ X2
私は穴の中、下に下に、ずっと堕ち続けてる

oh ma ma maは、オー、マ、マンマと聞こえます。

ボラプの「オー、ママミア」に相当すると思います。

彼女の特徴的なフレーズに、「マ(my)」がたびたび登場すると思います。

「ポーカー・フェイス」の最初のサウンド:「マ・ベイカー」のサンプリング「ママママー」や、「ボーン・ディス・ウェイ」の朗読の後の詩の始まり「わたしのお母さんは私に言った(My mama told me when I was young...)」の「マママ」です。

クロマティカにも出てきます。

ボラプのアカペラの後の詩の歌いだしは「ママ」ですし、ガガのルーツはイタリアなので、「マンマ・ミーア」には親和性がありそう。

最後に、my motherに言い換えます。


ここの部分は、服を着た白うさぎを追いかけて、穴に入ったアリスが、真っ逆さまに穴に落ちていく様を描いています。

あまりに穴は長いので、絶叫につかれるくらいです。

肺の限界まで。

アリスは子供だし、お母さんに助けを求めます。大人でも死ぬかもしれないと思ったら母親に助けを求めるかもしれません。


これを共感できるように現実に置き換えると、

下に下に堕ちていく自分。

母親に助けを求める。

絶叫につかれた。

ちょっと笑えないお話です。

でもあり得ます。


私を家に連れて帰って
私をワンダーランドに連れて行って

ここは、アリスの物語で言うと、

2行目は、アニメでは、つまらない勉強の世界から、ワンダーランドに行くことを望んでいました。

1行目は

最初はワンダーランドのあまりに風変わりな様子に混乱しつつも興味津々だったアリスが、狂った人たちからひどい目にあううちに家に帰ることを望むようになったことをあらわすと思います。

2つは真逆の言葉です。


現実で言うと、

家に連れて行っての、「home」は、強調的に歌われます。

この「家」には、心安らぐ場所、自分の原点という感じがします。

狂った現実から、安らぐシェルターに連れて行ってほしい。

そして、同時に、つまらなくて、狂った現実から飛び出して、ワンダーランドにも連れて行ってほしい。

take meという共通する歌い方の力強さに要チェックです。

全く違う意味の言葉を繰り返すことで混乱した心を表します。


目覚めにはもううんざりなの
肺の限界まで叫ぶ
たぶん、自分をどこかに置いてきちゃったみたい。

waking upに飽き飽きするとは、新しい表現です。

アリスで言うと、

夢から覚めて、つまらない現実にいるのにうんざりしているということ。

かといって穴(ワンダーランドの入り口)に落ちれば、絶叫(前述)。

3行目は、さっきのアニメのように、体は現実に置いてきて(眠っている)、心だけワンダーランドにいるということを表すかも。


現代においては、waking upに飽き飽きするとは、

毎朝夢から起きるたびに現実に戻ってげんなりするという意味と、

おきていること自体(つまり現実の生活)にうんざりしているという意味が考えられる。

現実にいると絶望で叫びたくなる。文明社会の狂気です。アリスの時代にも当てはまるかも。

最後は、アリスでも、自分の楽しみを置いてきちゃったという感じで、彼女のようないい家庭の婦女子はいい結婚のために、したいことを置いておいて、お勉強しなくてはいけないかもしれません。

自分を置き去りにしている、からだ(現実)と心の乖離(かいり)感があります。

とても哲学的表現です。


マエストロ(巨匠)、あなたのシンフォニー(交響曲)をプレイして
何でも聴くわ
トリップ(旅)させて、DJ、私の心を解き放って(自由を)

「シンフォニーをプレイ」は、ガガがいかに音楽を愛しているかということです。

現実を忘れさせてくれる、歴史上の音楽家たちの作り出した極上の喜びで、現代の苦しみから逃避させてほしいということです。

たしかに古典的で刺激が足りないと思うこともあるし、長すぎる交響曲もあり、眠気も誘いますが、何でも聴くといいます。

ファンタジーの世界に連れて行ってほしいと懇願(こんがん)しています。


これは、現代の音楽にも当てはまるかもしれません。

現代人に、あなただけのストーリをあなたの形で表現して。

誰かが必ず聞くから。

心を解放させなさい。

と言っているようにも思えます。


そして、また言葉の繰り返しが来ます。


このようにとても哲学的な曲だと思います。

アリスのことを調べた後だから余計に響きました。


この解釈は私のものですが、もっと個人の抱える問題によってはいろいろな解釈ができると思います。

このような分析をすることでワンダーランドに連れて行ってもらうのです。


ありがとうございました。


最後にビデオ分析です。

PVも美術的に価値のある要素です。


彼女の最初の格好はハートの女王のような赤。

アリスじゃないということは女王の方?

地球のような球体にもう一人の小さい自分が入っていて、それを操っているかのよう。現実と虚構?

その後もいつものようにいろいろなガガが出てきますが、唯一まともな恰好をした麗しいガガは皆に囲まれてドンペリをもって優雅に乾杯していますが、そこで流れる詩は「私をここから抜け出して」。

最後にあらわれる影絵(シルエット)の集団は、シャンペングラスとポンポン見たいなのをもって大きくなったり小さくなったり。

とんがり帽子みたいのをかぶっているので、魔法使いとかおとぎ話の住人のよう。男性たち?

私にはハーメルンの笛吹きが浮かびます。

横を向くと帽子は張りぼてだとわかります。

ガガもとんがり帽子のような、耳のようなものをつけています。

スカートは赤の女王のよう(最初の異空間に迷い込んだ時ははひるがえっていたが固定型になっている)。

ブリッジ部分は、怒ったようなガガ。詩は感情のないロボットような、ポーカーフェイスのような歌い方。


このように、とても視覚的で、往年の彼女の作品を思い起こさせます。

しかし今回はドンペリとコラボしたせいもあるのか、とても上品。

以前は必ずきわどい格好をしたり動きをしたり、詩もドキッとさせられますが、今回は違う意味でドキッとします。

このような芸術作品を待っていました。

これからも注目していきます。

マエストロ、がんばって!






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?