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「狐と祭りと遊び上手と。」第七話

 食事が始まると、気狐たちが和楽器を用いて演奏を行い、美しい着物で踊り始める。次に落語が始まった。からかさ小僧は最初緊張していた様子だったが、酒が入って和らいできたのか、気狐たちの落語を聞いて大笑いしていた。
 小珠の席にも珍しく酒が用意されている。村にいた頃も酒は嗜む程度で、がっつり飲んだことはない。しかし、空狐はかなり高級な酒と言っていたし、折角置かれているものを飲まないわけにはいかないと思い、ぐいっと飲み干す。すると、すかさず小さな杯にまた酒が注がれる。野狐たちは人の杯を空にしてはいけないと教育されているのだろう。

(確かにこれまで飲んできたものよりおいしいような……)

 小珠も調子に乗ってきて、ぐいぐいと酒を呑む。野狐は小珠がおいしそうにしているのが嬉しいのか、上機嫌でまた注いでくる。
 ――そうこうしているうちに、思考がぼんやりしてきた。何だかやけに楽しく、あはは、あははと何度も笑っている自分に気付く。しかししばらくするとだんだん気分が悪くなってきて、後架に行くと伝えて部屋を出た。
 向こうの席でからかさ小僧がまだ楽しそうに笑っているのを確認してほっとしつつ、今はまず自分の体調を治さなければと外の空気に当たる。
 いつの間にか外は真っ暗だ。丸い月が夜空を照らしている。涼しい夜風に当たりながら縁側で寝転がっていると、人の気配がした。見上げると銀狐が立っている。

「……悪かったな。玉藻前様は酒豪やったから、小珠はんもいける口やと思てた」

 どうやら水を持ってきてくれたらしい。彼は小珠の隣に座り、頭を撫でてきた。

「そうだったんですか。やっぱり生まれ変わりと言っても、私と玉藻前様では違うのですね」

 少し起き上がり、銀狐が用意してくれた水を飲む。銀狐は小珠の言葉に何も言わなかった。
 再び寝転がる小珠の傍にいつまでも銀狐がいるので、戻らないのかと思いちらりと見上げる。

「天狐様の嫁さん置いて宴会に出るわけないやろ。空狐はんに怒られるわ」

 小珠の疑問を察したらしい銀狐が答えた。申し訳なく思いながら、「ありがとうございます」と小さくお礼を言う。
 しばらく休んでいるとだんだん吐き気がなくなってきたため、話題作りとして銀狐に問いかけた。

「銀狐さんから見て、玉藻前様はどういう方だったのですか?」

 銀狐は時折、玉藻前と小珠を重ねているように思う。正確には銀狐だけではなく、この屋敷にいる全ての妖狐たちがだが――特に同一視しているのは、おそらく銀狐だ。

「……あの人は、他者のことを憎んどった」

 少しの間があった後、銀狐が呟く。

「俺のせいなんや。玉藻前様が、酷い人になってもうたん」

 見上げる銀狐の表情が悲しそうだ。小珠がこの話題はいけなかったかもしれないと焦って話を変えようとする前に、銀狐が続ける。

「玉藻前様が生まれたんは、まだ妖怪と人間が共存しとった頃や。きつね町もなかった。人里で暮らしとった俺らは、それなりに人間とも仲良うしとった。でもその頃は、妖怪さらいがようおった」
「妖怪さらい……」
「妖怪は、人間が持たん特別な力を持っとるから。まだ妖力をうまく扱えん子供の妖怪をさらって、人間の都合のええよう育てよう思う奴らがうじゃうじゃおったんよ。玉藻前様も、まだ妖怪としてちゃんと発育してない時に連れ去られた」

 銀狐が悔しそうに歯を噛みしめる。

「俺のせいなんや。玉藻前様が連れ去られたん」

 銀狐は、〝俺のせい〟という言葉を、二度使った。

「妖狐の一族は昔から栄えとった。護衛も相当数おった。普通にしてたらさらわれたりせえへん。それを俺が連れ出した。玉藻前様が、庶民の住む場所へ行ってみたいて言うから。俺はそれを叶えてやりたかった。箱入り娘っちゅうんかな、ずっと妖狐たちとばっか過ごしとったから、玉藻前様は外の世界や他の妖怪、人間に興味津々で、いつも外の世界のことが描かれとる書物を読んでは楽しそうにしとった。窮屈な思いしとる玉藻前様にこっそり抜け出そう言うて、お手て繋いで外に出したん、俺やねん」

 何故か、以前夢に出た美しい女性のことを思い出した。見たことのないはずの彼女が玉藻前だったと感じるのは、ただの妄想だろうか。

「身勝手な独占欲もあった。当時、玉藻前様は空狐はんと仲良かってん。俺はそれを傍から見てて、なんやえらいムカムカしてもうて。あの頃は幼かったし。俺が玉藻前様を連れ出せば、空狐を出し抜いて俺が玉藻前様の特別になれると思ったんや」
「……好きだったんですか? 玉藻前様のこと」

 小珠の問いに、銀狐が苦笑する。

「そん時は気付いてへんかったけどな。俺の初恋や」
「そう……だったんですか」
「玉藻前様を失ってから気付いた。俺も、他の連中も死ぬ気になって探したけど、玉藻前様が見つかるまでその後何十年もかかった。俺が初めて天狐様にぶたれたんも、その時やったかな。今は年取っておとなしゅうなっとるけど、昔の天狐様は躾厳しい鬼みたいな人やったから。何度もぶたれて折檻されたわ。当たり前や。いくら子供のしたことでも、取り返しつかへんことやもん」
「でも、見つかったんですよね?」
「ああ。変わり果てた姿になって見つかった。数々の人間に弄ばれて、利用されて、性格も捻じ曲がって帰ってきた。玉藻前様はそれから、化け物と成り果てて人間の手によって封印されるまで、ずっと残忍なままやった。俺の好きやった花みたいな笑顔、もう見られへんようになって、その時ようやく実感してん。嗚呼、天狐様の言う通りやったって。ほんまに取り返しのつかんことしてもうたって」

 小珠はがばっと起き上がった。小珠がいきなり動いたことで銀狐は驚いたらしく、ぎょっとした顔をする。

「じゃあ、今度大切な人ができたら、絶対に守り抜きましょう」
「……俺に、玉藻前様以上に大事な人ができると思えん」
「銀狐さんは人間よりもずっと寿命が長いんでしょう? これから先、何が起こるか分かりません。助けられなかった時の教訓を活かせる時だってきっと必ず来ます」

 銀狐はきっとこれから気の遠くなるほどの時間を過ごす。生きる時が長い妖怪だからこそ巡ってくる運や縁だってあるはずだ。

「失敗せずに成長することは有り得ません。私だって今こうして倒れてましたけど、おかげで次はお酒は程々にしようって思えています。今の私よりもずっと取り返しのつかないことをしてしまった銀狐さんは、強く後悔して何度も自分を責めた分、きっと私なんかよりもっと変われています」
「…………」
「これからですよ、銀狐さん。人生……いや、妖怪生? は、長いんですから。もう二度と変えられないことを嘆いたって仕方がありません。その時代のその時、その事態に対峙できたのは、その時その瞬間の銀狐さんでしかないんですから。だからこそ、次に同じようなことが起きた時、変えていく力をつけていればいいんです」

 ずっと難しい顔をしていた銀狐がようやく、少し笑った。

「君に言われると、救われるな」

 やっといつもの表情になった銀狐にほっとして緊張が解け、小珠も笑った。

「でも私、てっきり銀狐さんは私のことが嫌いなのかと思ってました」
「……はあ?」
「だって、このお屋敷に来た頃から、私の言うことには反対ばかりだったんですもん。〝女の子はお化粧してかわええ着物着て微笑んどったらええ〟――あれってきっと、玉藻前様にそうしていてほしかったんですよね。玉藻前様には何もせず、ただ幸せにゆったりと過ごしてほしいって思っていたんでしょう。私と玉藻前様を重ねていたんですよね」
「な……いや、そういうわけでは」
「本当に大好きだったんですね? 玉藻前様のこと」

 言い当てると、銀狐の顔が赤くなっていく。その珍しい表情を見て少し驚いた。

「銀狐さんって赤面しても金狐さんそっくりなんですね」

 おかしくて笑ってしまいそうになるのを堪える。しかし、銀狐は意外にも別のところに食いついてきた。

「何で君が金狐の赤面癖知っとんねん。金狐が赤面するようなことしたんか?」
「あの人女性への免疫がないのか、すぐ赤面しますよ。この間なんてちょっと触っただけで――」

 暑さにやられて倒れていた時の金狐を思い出し、その話をしようとした。しかし、銀狐が何故か思いっきり額を指で弾いてきたため、その痛みでそれどころではなくなってしまった。

「痛っっっ……! な、何するんですか!」
「別に。」
「別にって顔じゃないですけど!?」

 額を押さえて苦しむ小珠を無視し、銀狐が立ち上がる。

「体調ようなってきたんなら、さっさと部屋戻っとき。からかさ小僧の接待は空狐はんが引き受けてくれたから。……あと」

 そして、小珠の方を見ずに、最後に訂正してきた。

「嫌いなやつの畑仕事手伝ったりせえへん」

 *―――**―――**―――*

 湯殿にて、空狐とからかさ小僧は共に湯に浸っていた。からかさ小僧の体を洗っていた野狐たちは退散し、外で待っているようだ。

「良い湯でぃ。ありがとな、空狐様」

 酒のおかげかすっかり緊張が解れた様子のからかさ小僧が馴れ馴れしく話しかけてくる。低級妖怪にこのようなくだけた口調で話しかけられたのは初めてであるため、僅かに不快感を覚えた。しかし小珠の要望だと思い不満を呑み込む。

「市での小珠様は楽しそうですか」

 からかさ小僧と共通の話題といえばこれしかない。空狐は日中忙しく、小珠にはついていけないのだ。野狐から逐一報告を受けているとはいえ、自分の知り得ない小珠の様子は前から気にしているところではあった。

「おお。〝青物市の野菜売り小珠と無言の天狗たち〟なんて呼ばれててな。市じゃあ有名だ。あいつの作る野菜はうまい」
「元々、専業農家だったようですからね。毎日キヨさんと楽しそうに畑仕事をしているとは聞いています」
「キヨさんってのは、小珠のばあちゃんかい?」
「ええ。人間の村から連れてきた、小珠様の育ての親です」
「に……人間の村から!? ってことはなんでい……キヨってのは、人間なのかい? この町にいるのは危険じゃねえか?」
「ご高齢なので、人食い妖怪が好む年ではありません。それに、この屋敷に護衛は数多くいます。問題はないでしょう」

 本当の問題は――別のところにある。
 空狐は小珠の悲しむ顔を想像し、少し嫌な気持ちになった。

「……空狐様は、小珠を随分気にしてんだな。なんかほっとしたぜ。今日一日見てただけでも、小珠のこと気遣ってんのが分かったからさ。ほら、小珠って多分、妖狐の一族にしちゃあ変わりもんだろ? おれみてぇな低級妖怪にも声かけて、こっそり市に来てさ。おれちょっと、小珠が一族の中で浮いてんじゃねえかって心配してたんだ」
「小珠様は、時間はかかるでしょうが、妖狐の一族の中でも群を抜いて妖力が強くなる見込みがあります。なんせ、玉藻前様の生まれ変わりですから。大事にするのは当然です」
「……なんでい、それだけか」

 からかさ小僧が何故かつまらなそうな顔をする。

「もし心境が変わったら連絡してくれ。こう見えて色恋沙汰には詳しいんだ。色んな男の相談乗ってきたからな」
「はあ……色恋沙汰ですか」

 何を言っているのだこの低級妖怪は、と訝しげに見つめる。

「それにしても、空狐様の体って引き締まってるよな! いいなあ、羨ましいぜ! おれもそんな感じになりてえ。男なら一度は憧れるよな」
「傘の姿でどこを引き締めるんですか。引き締める部位がないでしょう」
「ちょ、今馬鹿にしただろい!」

 からかさ小僧がぎゃーぎゃーと文句を言ってくるため、少し笑ってしまった。そこで、低級妖怪と喋っているというのに少し楽しく感じてしまっていることに気付く。

(僕は、何をしているんだ……)

 玉藻前の時代、このようなことは有り得なかった。町民を力で押さえ付けることしか考えていなかった。南に住む妖怪と馴れ合うなど、らしくない。
 どうやら空狐自身にも、小珠によって変化がもたらされているようだ。

 *―――**―――**―――*


 翌日、屋敷に一泊したからかさ小僧は楽しそうに帰っていった。

「また遊ぼうな、空狐様!」

 上機嫌なからかさ小僧の馴れ馴れしい物言いに、空狐の片側の口角がひくりと釣り上がる。やはりこのような態度を取られることには慣れていないらしい。その様子を見てひやひやしていると、からかさ小僧がこちらに手を振ってくる。

「小珠も、また後で市で会おうな」
「うん。また昼過ぎに」

 門から出ていくからかさ小僧は、今日も市へ向かうらしい。からかさ小僧の手には、空狐が用意してくれた土産の袋がある。

「空狐さん、私の我が儘を聞いてくださりありがとうございました」

 からかさ小僧が見えなくなってから、改めて空狐に礼を言った。今回は空狐が特にからかさ小僧の歓迎に力を入れてくれたように思うからだ。

「お礼なら天狐様に言ってください。今回許可を出したのは天狐様ですので」

 勿論天狐にも礼は伝えてある。しかし、元々町の妖怪たちと深く関わるべきではないという考えだったはずの空狐にも言いたい。今回のことはきっと、慣れないことの連続だっただろう。なのに空狐はこの歓迎会を最後まで主導してくれた。

「でも、空狐さんも努力してくれましたよね。元々ある価値観を取っ払って、今までとは違うことをするってなかなか大変なことだと思うのです。だから、ありがとうございました」

 深々と頭を下げると、すかさず空狐が小珠の頬に触れて顔を上げさせてくる。

「小珠様に喜んでほしくてしたことです。小珠様の笑顔が見られたら十分ですよ」

 触れられたところからじわじわと熱が広がっていく。心臓の音が空狐に届くのではないかと心配になり、思わずその手を払いそうになった。
 その時、庭の方で畑仕事をするキヨの声がした。好機だと思い、「私、畑に行ってきます!」と走り出す。不自然なほど大きな声になってしまった。

(やっぱり駄目だ……私、空狐さんへの恋心を全然手放せない)

 瑞狐祭りの時も、空狐は小珠のためを思って秘密裏に動いてくれた。空狐が自分のために何かしてくれる度、嬉しさと期待が膨らみそうになるのを抑えるので必死だ。

「おばあちゃん、凄いよ。このきゅうり凄く大きい」

 どうにか意識を他に持っていきたくて、庭でできたきゅうりの中でも最も大きく成長したものを指さして言う。しかしキヨは小珠の様子がいつもと違うことにすぐに気付いたのか、じぃっと小珠の顔を見つめてきた。

「昨日は楽しかったかい。友達が来ていたんだろう」
「う、うん。ごめんね、ちょっとうるさかったよね」
「太鼓の音がわしの部屋まで聞こえていたよ。何だか祭りを思い出して良い気分だった」

 くっくっと笑って顔に皺を刻んだキヨは、「ところで」と話を切り出す。

「お前、その友達とやらに懸想しているんじゃないだろうね」
「ええっ!? 違うよ! からかさ小僧はただの友達!」
「なら、この屋敷の他の誰かかい」
「…………」
「そうなら言いなさい。わしの目は誤魔化せないよ」

 ぎらりとキヨの目が光る。故郷の村では色恋沙汰とは無縁だった小珠が色気づいているのが珍しく、面白いのだろう。

「………………空狐さん……」
「なんじゃって!? ほう、ほほう、あいつか」

 キヨが凄い勢いで食いついてくる。反対に、小珠の態度は弱々しいものになっていく。

「誰にも言わないでね……。私の結婚相手は天狐様だし、こんな気持ちはすぐに忘れるつもりだから」
「道ならぬ恋か。なかなか厳しいぞ」
「別に、成就させたいなんて思ってないの。できるだけ早く忘れられたらって……」

 もにょもにょと口を動かす小珠の頭を、キヨが嬉しそうに撫でる。

「おやおや。何故忘れたいと思うんだい。折角生まれた大事な感情だろう」
「だって私は、天狐様と結婚するっていう約束でここへ来たから。天狐様と結婚するっていう前提の元でおばあちゃんの薬を頂いてるし、治療もしてもらってる。今更やめたいだなんて、そんなの不義理じゃない」
「なんだい、わしのことか。そんなのいいんだよ、小珠。小珠くらいの年齢の娘はね、もっと他人のことなんて気にせず、図太くならないといけないよ。迷惑くらいかけてなんぼのもんだ。そうでないと生きていけない世界じゃ。世の中はなかなか思う通りにはならん。だから、悪足掻きくらいしとかにゃ損だ。自分の気持ちは自分で守るんだ」

 キヨはかつての旦那と早くに死別している。小珠は彼と会ったことがない。しかし、昔聞いた話では、その相手とキヨは自由恋愛だったそうだ。更に当時、キヨには直前まで進んでいる縁談があったのだとか。その話を捨てて、周りの反対を押し切って結婚したらしい。
 何だか今の自分と状況が重なる部分があるように思えて、勇気を出して聞いてみた。

「おばあちゃんは、おじいちゃんと結婚してよかった?」
「狭い村だったからねえ。周りから色々言われることも多くて、大変なこともあったよ。そのくせあの人は早くに逝っちまって、長いこと一人にさせられた」

 キヨがからりと晴れた空を見上げて笑う。

「でもなあ、わしが好きになる人は、この世でもあの世でもきっとあの人だけじゃ」

 これがキヨの答えなのだろうと思った。

 ◆

 昼過ぎになると、小珠はいつものように野狐たちを連れて市へ向かった。
 しばらく歩いているとようやくからかさ小僧を見つけた。今日は場所を取られていたらしく、いつもとは違う位置だ。手を振って話しかけようとした――その時、からかさ小僧の前に見知った女性がいるのに気付く。咄嗟にばっと物陰に身を隠した。
 ――二口女だ。避けられている自分が行っては話を中断させてしまうと思い、時が過ぎるのをその場で待った。

「これは、妖狐の一族の屋敷でもらった餅でい」
「……あのお狐様が、この町の妖怪を屋敷に招いたっていうの?」

 僅かだが、からかさ小僧と二口女の会話が聞こえてくる。

「おう。その……こんなこと言われてもおめえにとっちゃ腹立つだけだと思うけどよ。妖狐の一族、そんな悪い奴らでもなかったぞ」
「…………」
「小珠のおかげで、変わろうとしてる」

 どうやら小珠たちの話をしているらしい。出ていくのが余計に気まずくなり、息を潜めて二口女がどこかへ行くのを待った。
 しかし、直後にどたーん! と小珠の隣に立っていた天狗姿の野狐が道に倒れる。足元を見ると、一匹の蜘蛛がいた。どうやら突然這ってきた虫に驚いて倒れてしまったらしい。野狐たちは虫が苦手だ。

「……小珠、いるの?」

 二口女が低い声で問いかけてくる。もう隠れてはいられないことを悟り、ゆっくりと物陰から姿を出した。
 ようやく出てきた小珠を、二口女は冷たい目で見つめてくる。

「今年の瑞狐祭りで、瑠狐花を用意したのは、貴女たちでしょう」

 二口女はその視線を小珠から小珠の両脇にいる野狐たちに向けた。

「……あんなことされたところで、何も変わらないわ。わたし、妖狐の一族はずっと嫌いよ」

 その目は憎悪に満ちている。
 きっと狐の一族によって、数えきれない程悔しい思いをしてきたのだろう。

「花降らしをしたのは、わたしの話を聞いたから?」
「……はい」
「余計なお世話よ」
「……ごめんなさい」
「わたしはずっとあの一族を恨んでる。狐の一族の悪政さえなければ、わたしの恋人はまだここにっ……なのに」

 今度は小珠を睨み付けた二口女が、泣いていた。
 市を行き交う人々が立ち止まり、驚いたようにちらちらと二口女を見ている。

「今更、こんなことしないでよ。誰を憎んでいいか分からないじゃない。小珠のことだって、わたしもう、友達だって思ってしまっていたのに。それが、あの妖狐の一族だったなんて! 今更……っ」

 小珠は二口女の元へ駆け寄り、その細い体を勢いよく抱き締める。
 二口女は怒っているのではない。悲しんでいたのだ。

「本当にごめんなさい。そう思って当然ですよね。何回もお茶を入れてくれたのに、お団子作ってくれたのに、騙すような真似したのは私です」

 二口女の嗚咽が聞こえる。小珠はただ必死に謝ることしかできない。

「私、元々こことは離れたところで暮らしてたんです。だから、状況も何も知らずに二口女さんの茶店へ行ったんです。無神経だったと思います。結果、ずっと言えなくて……私たちを嫌ってる二口女さんに言うのが怖くて、騙してしまった。二口女さんと友達でいたかったんです。身勝手でごめんなさい」

 二口女は優しい。
 初めて出会った時も、人間と見た目が変わらない小珠を心配して『暗くなる前に帰りなさいね』と忠告してくれた。
 この町のことを何も知らない小珠を面倒がらずに、一つ一つ丁寧に教えてくれた。
 本当は暑さが苦手なのに、小珠や河童が川へ誘うと付いてきてくれた。

「私、二口女さんの話を聞いてこの町を変えたいと思いました」

 過去、あの茶店に、二口女と二口女の恋人との間に何があったのか、詳しくはまだ分からない。でも、これが小珠の真摯な気持ちだ。

「どうか、償いをさせてください」

 きつね町の妖怪たちは、元気で優しくて、楽しそうに暮らしている。小珠は彼らの笑顔が大好きだ。
 二口女が啜り泣く。そしてその手が小珠の背に回った。弱々しい力だが、おそるおそるといった様子で小珠の服を掴んでくる。

「妖狐の一族は、嫌い」
「……はい」
「……でも、小珠は好きよ」
「…………」
「小珠がくれた野菜、全部美味しかった。大事に食べてた」
「……はい」
「わたし、言葉は信じていないの。ずっと傍にいると言ってくれたはずの恋人も、朝起きた時にこの町から消えていたから。……でも、小珠は行動で示してくれた。わたしの些細な言葉を覚えててくれていて、花降らしをしてくれたんでしょう」
「はい、そうです。二口女さんがこの町のことを教えてくれたおかげです」

 二口女は小珠から離れ、指で涙を拭いた。

「本当にこの町を変えてくれるつもりでいるのね?」
「はい。きっと変えます」
「……分かった。わたしも、見方を変えるわ。呑み込むのに時間はかかると思うけど……小珠と、妖狐の一族をもう一度信じてみる。ずっと避け続けていてごめんなさい」

 二口女が頭を下げる。小珠も慌てて頭を下げた。

(おばあちゃん、できたよ)

 また二口女と話せるようになって、嬉しい気持ちで一杯だ。
 誠実なところを見せなさい、という言葉を胸に頑張った。騙してしまった相手に話しかけるのは怖かったけれど、キヨのおかげで二口女に思いを伝えることができた。
 こうして小珠は無事、二口女と仲直りできたのだった。


次話:https://note.com/awaawaawayuki/n/nbb5587de083f


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