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「狐と祭りと遊び上手と。」第八話

 真っ白い空間の上に転がる、沢山の石。その中心に赤い椅子がぽつんと在り、女性が縛り付けられている。真っ白な肌と長い黒髪がぞっとするほど美しい。
 またこの夢か、と思った。

「玉藻前様ですか?」

 小珠は、勇気を出してその女性に声をかけた。
 玉藻前と思しき彼女は、ぐりんと目を動かして小珠を見つめる。その表情には生気がなく、少し不気味だった。

「いかにも。麻呂は玉藻前という名じゃ」
「どうして私の夢に出てくるのですか。貴女はまだ生きているのですか」
「麻呂の身体は封印され、朽ち果てた。忌々しい人間共の手によって。……だが、意思そのものはそう簡単に消えぬらしい」
「…………」
「しかしこの意思も――もうすぐ消える」

 縛られた玉藻前の足元を見てぎょっとする。はだけた十二単の隙間から見える足は、石のような色をしていた。明らかに肌の色ではない。

「はは、はははははは、麻呂がこのような終わりを迎えるとは。身体も自由に動かせん。麻呂の意思はもうすぐ完全に消えるのじゃ。そなたに生まれ変わったせいで。嗚呼、愉しかったなぁ。できることなら人を、妖怪を、全てを踏み躙り、もっともっと傷付けてやりたかったが!」
「一つ聞かせてください。貴女は……二口女さんたちに、何をしたのですか」
「二口女?……ああ、あの、浮かれた番か。町一番の美男美女だのと言われていたから、麻呂が潰してやったのじゃ。あの男は面白かった。少し脅せば、麻呂の命令を聞いて勝手に町から出ていきよった。本当は店も滅茶苦茶にしてやりたかったところじゃが、先に出て行かれてはつまらん。無駄な労力じゃ」
「……一体どんな理由があって……」
「理由? 理由などない。幸せそうにしている奴らは気に食わん。ただそれだけじゃ」

 そこまで言って、玉藻前は小珠を睨み付けた。背筋が凍る程の冷たい視線だ。

「そなたも憎い。麻呂の力を受け継ぎながら、それをくだらぬことに使おうとしておる」
「……私は、くだらないことだとは思いません」
「そなたは他者に裏切られたことがないからそう思うのじゃ。恵まれすぎているから他者に優しくできるのじゃ。麻呂はそなたのそういうところが気に食わん。もっと苦しめ。地獄を見ろ。そうでないと不平等だろう? そなたは麻呂の生まれ変わりだというのに」

 玉藻前が薄く笑う。その無理やり作ったような笑顔はぎこちないものだった。そして、その頬に一筋の涙が伝った。

「嗚呼、麻呂も――本当は、そなたのように生きたかった」

 その時、夢の世界は途切れた。

 ◆

 夏が終わりかけている。
 町の風鈴が片付けられつつあるその日、天狐直々に、市へ行ってはいけないという指示が出された。

「小珠の妖力が急激に伸びておる。市へ行けば一発で気付かれてしまうだろう」

 小珠の妖力は成長し続け、だんだん気配が玉藻前に近付いてきているらしい。実感はないが、天狐が言うのであればそうなのだろう。
 もう二度と市へは行けないのだろうか、とどきどきしながら次の言葉を待つ。

「狐の一族の妖力の気配を隠すには、変化をするしかない」
「変化ですか……」
「変化を習得できるまでは、南へ向かうのは禁止じゃ」

 ばっさりと言い切られてしまった。
 これまで市に付いてきてくれた野狐たちは、天狗の姿に変化していた。妖力も天狗のもののように見せることができているから、周囲の妖怪たちに正体がばれなかったのだろう。後で彼らに変化のこつを教えてもらおうと思った。

「ちょうどいい。しばらくは屋敷でゆっくりし、秋の婚姻の儀に向けて、余った時間でふさわしい作法も身に着けるといい」

 天狐の言葉にはっとさせられる。
 ――婚姻の儀。そうだ、小珠はここへ遊びに来たわけではない。天狐の妻となるために来たのだ。
 この町に来た時点で覚悟はできていたはずなのに――胸に引っかかるようなものがある。

「……分かりました」

 そう返事する声が、細く震えてしまった。

 その日から、小珠はいつも字の練習をしていた朝の時間を野狐や気狐との変化の練習に使った。市で野菜を売れない分、午後までキヨと畑仕事をしたり、屋敷の掃除や食事の準備をできるだけ手伝ったりした。

「なんや小珠はん、最近元気ないなあ」

 夕食後、一人で変化の練習をしていると、小珠の隣に銀狐がやってくる。
 小珠は変化させた自分の右腕を銀狐に見せて言った。

「見てください、銀狐さん。片腕だけ変化させられるようになりました!」
「片腕だけかい。もう何日も経っとんのに、まだまだやなぁ」
「でも、最初は全然できなかったんですよ。それに比べたら成長です」

 ふふんっと得意げに笑ってみせると、銀狐は訝しげに小珠の顔を覗き込んでくる。

「空元気出さんでええよ。市の妖怪たちに会えんで落ち込んでるんやろ」

 銀狐には何でもお見通しらしい。

「……それもありますけど……」

 小珠は口籠った。――やはり言えない。結婚が嫌だなどと。
 キヨは後押ししてくれた。だから、機会があればどこかで言わなければならないと思っている。でも、自分がそんな我が儘を言える立場ではないような気もしている。
 もにょもにょと口を動かしていると、銀狐と小珠の元に空狐がやってきた。

「小珠様。お客様です」

 それだけ言われて付いていく。
 一体誰だろうと不思議に思いながら応接間に入ると、久しぶりに見る美しい女性――二口女がいた。
 開いた口が塞がらない。あれほど妖狐の一族を嫌っていた二口女がこの屋敷に来るなんて、どういう風の吹き回しなのだろう。
 優雅に座っている二口女の正面に慌てて座る。

「どうしたんですか二口女さん。どうしてこんなところまで……」
「なかなか市へ来ないから、会いに来たのよ」

 二口女が飄々とした態度で言う。狐の一族が大嫌いであるはずなのに、心配して屋敷まで来てくれたのだ。何だか感動してしまって涙ぐむ。

「からかさ小僧や河童たちも心配してるわ。うちの店の客も、最近あなたが来ないって話ばかり」
「…………」

 しばらく会えていない市の妖怪たちの顔を思い出す。急いで変化できるようにならなくては、と焦りを覚えた。
 二口女がすんすんと鼻を動かして言う。

「狐臭さが増してるわね」
「く、臭いですか!?」

 衝撃を受け、慌てて着物の袖を嗅ぐ。小珠にとっては普通の匂いだが、妖怪に感じる独特の臭みのようなものがあるのかもしれない。

「違うわ。狐の一族らしい妖力を感じるってことよ。市へ来ないのはそれが原因?」
「はい。最近私は狐の一族としての妖力を取り戻しているようで。完璧に変化ができるようになればまた行けると思うのですが……」
「あなたそれ、他の連中に騙されてるわよ。変化なんて一朝一夕で身につくものじゃないわ。妖力の気配まで変えようと思ったら、きっと三年はかかる」
「三年!?」

 ぎょっとして聞き返す。
 天狐から言われたのは、変化を習得できるまでは南へ向かうのは禁止ということだけ。変化の習得までに平均してどれくらいの年月がかかるのかまでは聞けていない。秋までにはまた市へ行けるようになるのではと勝手に楽観視していた。

「そんな……寂しいです……」

 口から出てきたのは、そんな素直な感想だった。
 市へ行かずとも、小珠の正体を知っているからかさ小僧や二口女と会うことはできるだろう。しかし、それ以外の常連の客や、茶屋で知り合った妖怪たちとは三年も会えなくなってしまう。
 しょんぼりしていると、二口女がふっと呆れたように笑った。

「もう、気付かれてもいいんじゃない」
「いや、だめですよ。狐の一族の怯えられっぷりは私も十分分かってます……」
「最近、狐の一族が作った餅が市で流行ってるの」
「……え?」
「からかさ小僧がもらってきたやつ。からかさ小僧、あの味を再現しようとうちの店で必死に練習してたわ。お狐様たちが作った本物のような良い材料は仕入れられないけど、安い材料で似た味は再現できた。〝狐餅〟なんて名前で今凄く売れてるの」
「狐餅……ですか」
「からかさ小僧が狐の一族にもらった餅だって広めたおかげで、お狐様たちが改心したんじゃないかって噂で持ちきりよ」

 小珠は目を見開く。少し……少しだけでも、変えられただろうか。

「今ならきっと、ばらしても問題ないわ。むしろ小珠が狐の一族だって分かることで、お狐様たちへの印象がより良くなる最後の一押しになるかもしれない」
「……!」
「わたしが言いに来たのはそれだけ。じゃあね」

 二口女が立ち上がり、客間から出ていこうとする。その背中を追いかけた。

「二口女さん、ありがとうございます。狐の一族が良いように扱われるのは二口女さんにとって複雑なはずなのに……」
「…………わたしも、小珠が来ないのは寂しいもの」

 そう呟いた二口女の耳は、照れているのか真っ赤だった。

 二口女と別れた後、小珠は外で待ってくれていた空狐と合流した。
 大丈夫だとは伝えたのだが、空狐としては小珠を南の妖怪と二人きりにすることに抵抗があるようで、ずっと待っていたらしい。
 お互い無言で、並んで歩く。
 ふと二口女に臭いと言われたことを思い出し、少しだけ空狐から距離を取った。二口女の言い方の問題で、実際に臭いわけでないことは分かっているが、それでも何となく気になった。乙女心のようなものだ。

「……何故僕から逃げるのです?」

 空狐が少しむっとした顔で小珠に近付いてくる。小珠は慌ててまた後ろに下がった。

「臭っては嫌だなと思いまして……」
「……? 湯殿に入っていないのですか?」
「そういうわけでは……」

 もごもごとはっきりしない態度を取る小珠に痺れを切らしたのか、空狐が小珠の腕を引っ張って自分の方へ引き寄せた。ぽすんと小珠の体が空狐の胸に収まる。

「臭くありませんよ。花のような香りがします」

 心臓がぎゅうぎゅうと締め付けられるように痛い。体をうまく動かせない程に緊張した。

「先程の妖怪に何か失礼なことでも言われたのですか? そうだとしたら、こちらも然るべき対応を取らせて頂きますが」
「…………」
「……小珠様、どうしました?」
「ご、ごめ、ごめんなさい」
「何を謝って……」
「も、むりですっ……」

 ――好きだ。弱々しく、泣きそうな声で吐き出した。

「私が好きなのは空狐さんだと言ったら、困らせてしまいますかっ」

 口から出てきたのはそんな、懇願のような言葉。
 困るに決まっている。空狐にとって小珠は一族の長と結婚を約束している相手である。小珠がこんなことを言ってしまえば、空狐は小珠とも天狐とも顔を合わせづらくなるに決まっている。
 けれど、もうこれ以上、膨れ上がった恋心を隠し続けてはいられないと思った。

「……僕が好き? 何故?」
「初恋だったんです……」
「…………」
「小さい頃、私の手を引いて、お祭りをやっているところまで送り届けてくれましたよね。私、あの時からずっと空狐さんのことが、」
「幼い頃、近くに男性がいなかったから勘違いしているだけですよ。僕は貴女が想像しているような良い男ではありません」
「ほ、他にも……避け続けていた私を甘味処に連れて行ってくれた優しいところとか……ちょっと意地悪な笑い方も、着物姿も、男性らしい声も、全部好きですっ。狸に変化していた時の姿だって、可愛くて好きでした……!」

 空狐の顔を見る勇気がない。ただ俯き、必死に言葉を紡ぐしかない。
 もう伝えてしまったのだから、いくら気持ちを吐き出したところで同じだ。緊張しながらも好きだと続ける。
 すると、しばしの沈黙の後、空狐がぽつりと呟いた。

「……困りましたね」

 その言葉に、小珠の熱が冷めていく。
 やはり困らせてしまった。嗚呼、なんてことを言ってしまったのだろう。吐き出してすっきりするのは自分だけ。こんなこと、やはり言うべきではなかった――そう反省した次の瞬間、空狐の手が小珠の顎を掴んで上を向かせた。

「僕は貴女が思っている程、我慢強い男ではありません」

 空狐が見たこともない顔をしている。いつもの柔らかい笑顔はどこへやら、まるで捕食者のような目で小珠のことを見下ろしている。
 狼狽え、逃げるように一歩下がるが、後ろは壁だった。
 とんと背中が壁に付く。空狐の顔がゆっくりと近付いてくる。また心臓の音がうるさくなり始めた。

(こ、こんなの……まるで接吻するみたいな……)

 頭がうまく回らない。先程までとは違う湿っぽい雰囲気に動揺する。
 間近に来た空狐の顔が僅かに傾き、唇と唇が触れかけた――その時、隣から声がした。

「ここ、遊郭やないんですけど」

 空狐がはっとした様子で小珠から顔を離し、声のした方を向く。
 そこに立っていたのは見回りの銀狐だ。午前の見回りは金狐、夕食後から夜にかけての見回りは銀狐だと聞いている。慌てて空狐から距離を置こうとしたが、空狐が小珠の腕を掴んできて制止してきた。
 銀狐の視線の先にいるのは空狐だ。

「空狐はん、ご自分のお立場分かってますか?」

 銀狐の声が低い。本当にまずいところを見られてしまった、と血の気が引く。

「小珠はんは、戯れに手ぇ出してええ女やありません」
「ち、違うんです。空狐さんは悪くありません。私が……私が、よからぬ想いを抱いてしまったから……」

 咄嗟にそんな言い訳が出てきた。途中から来たのならこの現場、空狐が一方的に小珠に迫っているようにも見えるのではないかと思ったからだ。

「空狐さんは、天狐様の婚約者である私に手を出すような人ではありません」

 誤解が解けるよう、はっきり言い切る。

「……あっそ。ならええんやけど」

 銀狐はつまらなそうに言うと、小珠たちの方に近付いてきた。

「ほな、空狐はん、その手離してもらえます?」

 空狐の手は未だ小珠の腕を掴んだままだ。その手の力が何故かなかなか緩まないので焦って空狐を見上げると、空狐は少し複雑そうな表情をした後、ゆっくりと手を離した。
 直後、その手を銀狐が掴んで引っ張ってくる。

「キヨはんが呼んどるから、行くで」

 半ば無理やりずるずると引きずるような形で連れて行かれる。
 空狐に想いを伝えられたとはいえ不完全燃焼感があり、振り向こうとするが、銀狐に強い力で引っ張られてそれは叶わなかった。
 角を曲がり空狐が見えなくなったところで、銀狐が文句を言ってくる。

「餓鬼が一丁前に色付いとんちゃうぞ、こら」
「なっ……餓鬼って。何度も言いますけど私もう十八歳ですし、人間の年齢としてはとっくに大人で……」
「あーあーあーあー、うるさ」

 しばらく歩き続けた銀狐は、庭の見える縁側まで来るとそこに腰を下ろした。

「空狐はんが好きなん?」

 少し躊躇いもあったが、こくりと頷く。もう誤魔化しようもないだろう。
 気まずい沈黙が走った後、はっと気付いて聞いた。

「それより、おばあちゃんが呼んでるんじゃないんですか?」
「呼んでへんわ。嘘や」
「嘘!?」

 ぎょっとする。騙して小珠を連れ去ったというのか。
 銀狐の立場からしてみれば、騙してでも小珠と空狐を引き離す必要があったのだろう。一族の長の婚約者の浮気。同じ屋敷に住む銀狐にとっても無関係ではない。

「私が全て悪いんです。天狐様には、私から報告します。だからお願いです、さっきのことはどうか……」
「さっきのことって何なん」
「……だから、空狐さんと……」
「空狐はんと接吻しかけとったこと?」
「せっ……!? い、いや、あれは、おそらくただ顔を近付けていただけでっ」
「何言うとるねん。空狐はんはやる気満々やったぞ」

 他人から指摘されてようやく実感が伴った。やっぱりそうなんだと思うと体中が火照ったように熱くなる。小珠のその様子を見た銀狐は、呆れたようにはぁと溜め息を吐いた。

「どないでも邪魔はできるけど、やめといたるわ。あーあ、俺ってほんまお人好しやな」

 怒る気配がない。てっきり色々文句を言われるものと思っていた小珠は意外に思いつつ、恐る恐る銀狐の隣に正座した。

「空狐はんのどこが好きなん?」

 すると突然、銀狐がこちらを見ずに問いかけてくる。

「な、何でそんなこと」
「俺とどこが違《ちご》たんやろと思って」

 その声音にいつものからかうような色はない。珍しく感じて銀狐を見上げた。銀狐もこちらに目だけを向けてきて、ばちりと目が合う。
 もしかすると銀狐のこの質問は、小珠でなく玉藻前に聞きたかったことなのではないか。冷静にそう推測しているうちに、いつの間にか銀狐の顔が間近まで来ていた。

「俺やったらだめ?」

 いつもと雰囲気が違う。銀狐の顔がこんなに近くに来たのは初めてかもしれない。まるでさっきの空狐のような距離である。
 肌が綺麗だ、などと悠長なことを考えた。すると、興が冷めたように銀狐がぱっと小珠から顔を離す。

「……おもんな」
「な、何だったんですか今の」
「さっきみたいな顔せえへんやん。あーあ、つまらん。茹で蛸みたいに赤面した顔見たかったのに」
「なっ……銀狐さん、またからかったんですか? 意地悪なところ、直した方がいいと思います!」

 必死に抗議すると、銀狐はぷっと噴き出す。そして、くっくっとしばらく肩を揺らして笑った後、立ち上がった。

「天狐はんには言わんでええよ。人間と妖狐の感覚はずれとるから。天狐はんは、花嫁に別の男がおっても気にせんのとちゃうかな」
「そ……そんなことあります?」

 銀狐に疑いの目を向けたが、銀狐はけらけらと愉しげに笑うばかりだ。
 本当か冗談か分からず銀狐を追うが、結局それ以上は何も教えてもらえなかった。


次話:https://note.com/awaawaawayuki/n/n4f30ab3ddd7d


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