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ライトワーカー 〜ホタルとともに

こんにちは。
今日もご訪問ありがとうございます。

当地では、例年5月末から6月上旬にかけて
ホタルが最も見られる時期です。

ちょうどこの時期の
日が暮れてから夜更け前の時間帯、
湿った土の匂いを感じることがあります。

懐かしさで胸がいっぱいになるような、
少し重くて青くて湿気を帯びた空気。

蒸し暑い梅雨明けの真夏の夜とも違う、
夏休みが終わる頃の秋風の吹く夜とも違う
この時期だけの少し切ない空気です。

ちらちらと黄色とも緑色ともつかぬ
涼しげで優しい光を明滅させながら、
風に漂うかのようにすーいすーいと飛び交うホタル。

ホタルの光の余韻をまだ感じていた数日後、
ふと思い至ったお話です。

お時間よろしければお付き合いくださいませ。


昨年、複数の方から「ライトワーカー」という言葉を
耳にしました。

初めて聞く言葉でした。

そのときはまだ意味はわからなかったけれど、
周りの皆さんはニコニコして聞いていて、
その表情から察するに
誇ってもいいことのようであり、
選ばれた人だけが名乗れる?
なんだか特別なことのように聞こえました。

「あなたもライトワーカーさんですよ」

と言われても、

「はぁ…そうですか」

と、打っても響かない太鼓状態で
なんともよくわからない感じ。

それと、なぜだかモゾっと、モヤっとしました。


さて、この「ライトワーカー」という言葉。


ワーカーというと仕事人?働く人?

なんにせよ、英語には違いなさそう。


じゃ、英語で「ライト」って?

light ?=明るい仕事人?(たぶんちゃう) ※ちゃう=違う

light…=軽い仕事人?(それもちゃうと思う…)

right?=ちょうど仕事人?(全然ちゃうと思う…)

あ、write?=書く仕事の人?(ちゃうんちゃう?)


…結局Google先生に尋ねた方が早いなと思い
お尋ねしてみましたが。

ちょっぴりフワフワした、

“スピリチュアル”

と横文字でボカして呼ばれるような結果ばかりで
今ひとつよくわかりませんでした。

ただ、「ライトワーカー」という言葉を
好意的、肯定的に捉える人たちの間では

暗いこの世で悩める人に、光を与える人

また、そのような役目を負って生まれてきた人、
といった意味合いで使われているようです。

「ライト」=「light」、光でした。


そして、それから半年あまり。


物言わず、ただ静かに光を発しながら飛ぶ
ホタルの姿を先日、見ました。

ホタルは卵から幼虫になり、蛹になり
羽化してようやく成虫になりますが、
実は一生を通して発光しています。

ホタルは自ら光を放つことができますが
私たちヒトには普通、一生涯
光を発する器官はありません。

…そんなヒトが光を発したかったらどうするか。


「うーん。

 お?

 …あぁっ!

反射!反射させたらえんちゃう⁉︎」

(訳:反射させればよろしいのではないでしょうか)


天には燦々と自力で光り輝く太陽があり、

その光を受けて輝く月もあれば

自力で輝く星も、陽の光を受けて輝く星もある。


じゃあ、ヒトも!

自力で輝けないなら誰かの、なにかの光を
反射させればいい。

ワタシ、ナイスアイディイアァァ!!!


「光」の意味が物理的なものから精神的なものに
途中ですり替わってることの是非はさておき(笑)


昔、よくお医者がつけてたこのデコ鏡↓

日本古来の神様も額につけて絵に描かれたりしています。
いやいや、時系列が逆か。


額についた光り輝く小さな鏡。

そもそも鏡は
「火」(か)と「水」(み)の間に
「我」(が)があって、
私たちヒトそのものを表しているとも、
私たち自身が神であり神性を持った存在なのだとも
聞いたことがあります。

自分自身=自分自神、と表記なさる方もいて。


また、聞くところによると、
宇宙から地上を見たとき
ライトワーカーと呼ばれる人は
点々と光って見えるのだそう。

光の柱を立てた人があちこちにいて
そこだけ目立っているイメージでしょうか。


でも、今回私がふと思い至ったのは
誰もが一人一人鏡であるとするならば
誰もが即、ライトワーカーにはなれるということ。

ただ、鏡ですから
ほっといたら曇ることもあるでしょう。

鏡が曇れば、どんなに強い光があたろうと
きれいに反射することはないでしょう。

なんでこんなことに思い至ったかといえば、
この土台には高校生のときの生徒手帳にあった
印象深かったこの言葉がもとになっています。

くもりなき鏡にたぐへ 我が心

清く磨かん やまとなでしこ


古い記憶なのでどこか間違っているかもしれません。
ただ語感が心地よくて深く印象に残っていました。

校章もこの言葉によって
八稜鏡を型どったものでした。

「鏡にたぐへ(たぐえ)」というのは
「鏡を真似て」とか「鏡に釣り合うように」
といった意味かと思います。

ネットからの借り物ですが八稜鏡とはこんな形。
銅鏡で見られる8枚の花弁を象った輪郭。


我が身の、心の、内なる鏡が曇っていたら
光を反射することはできません。

ならばどうするか。

…答えは簡単!

鏡を磨けば良いだけです。


どうやって?


自分が喜ぶことをする、

自分が楽しむ、

自分をもてなす。


え?そんなのムリ?ほんとに?


一般につらいと思われることや
しんどいと思われること・嫌なこと、
それすら視点を変えれば楽しむことが可能です。

嫌な出来事があっても、
noteの記事に書くネタができたと思えば
ラッキーなことこの上ないと思える感じ。

(わかる人にはわかる喩えかと!)


自分の世界は自分でどうとでも創れます。


他人様のご機嫌は
この際、知ったこっちゃありません。


思いやりとご機嫌とりは
似て非なるもの。


自分がしたいという真心からするのは思いやり。

ホントはしたくないけど常識で考えたら…とか
こんなことしたらどう思われるかと
他人軸中心で慮るのは、ご機嫌とり。


もう、そんなのいらない時代になったと
身をもって知りました。


あとは、ご自身がどうしたいかだけです。

それと、どんな結果も受容れるのだという
ほんの少しの覚悟ができれば
あとは完璧なまでに物事はいいように回ります。


せっせせっせと自分が楽しむことで
自分の鏡は磨かれてゆき、
いつの間にやらピカピカに。

そして、鏡はそこに在るだけでいいんです。

ただそこに在るだけで
最善のタイミングで光があたり、
光があたればキラキラと反射して
周りのものを照らしてゆく。


だから、あなたも私も
なにものかになろうとしなくていいんです。


ただ生きてここに在るだけでいい。


ピカピカの鏡を見ると、気持ちがいいです。

楽しそうな人を見るとこちらまでワクワクします。


楽しそうな人を見て、楽しく思えない人もいます。


実際、私自身がそうでした。

楽しそうな人を見てはうらやましく、
妬ましくさえ思ったこともあります。

ーーそれはなぜか。

自分が曇った鏡に成り果てていたから。

相手のピカピカの鏡に映っていたのは
どんより曇った私の姿。

どんよりしたものを見て
気持ちよくなる人はまずいないと思います。


もし今モヤモヤしていて、
なんだか何やってもうまくいかないわ…という方。

人様の様子にイラッとする方。

どうかご自身の鏡を磨いてください。

そうすれば、

無職でも、おうち大好き自宅警備専門員でも。

肩書きがなくても、なんの資格もなくても。

誰でも名乗れる「ライトワーカー」という

立派な仕事人になれます。


ホタルはただ光って飛ぶだけで喜ばれます。

それと同じことです。

私たちはただ光を反射して生きるだけで
本来喜ばれる存在です。

ワクワクして、楽しんで、
鏡を磨くだけでライトワーカーとして
見る人に気持ち良さや喜びを与えられます。


なのにただ在るだけができなくなっているのは、

世間の(時代によって変わる)常識とか

何世代にもわたってうっかり受け継がれてきた、

子供の心を忘れてしまった大人たちの押し付け。


「こうしなくちゃ」の「ねば、ねば…」もいらないし

「こうしなさい」もいらない。

↑このヘッダー画像はインパクトありすぎですが!
中身はめっちゃいいことが書かれています!

恐ろしがらずにぜひ読んで(笑)


今現在、小さな人たちを育てている、

または小さな人たちに関わっている、

全ての大きな人たち(もちろん私を含む)へ。


その子が生まれたとき、
ただ無事に生まれただけで

尊く、ありがたい

と思ったはずです。

その上さらに笑ったり、ハイハイしたりはオマケです。

這えば立て立てば歩めの親心、とは言いますが。

それらは全部オマケです。

生きて在るだけで皆、尊い存在です。


ちゃんとしつけないと社会に出て本人が困るから?

その「しつけ」の基準は
他人軸の基準であったり
大人にとって便利な基準になっていませんか?

ーーあらかじめ教えても、
自ら痛い目にあって初めて身につくこともあります。

それを経験させるのは見ていてつらいことですが
深い愛と信頼があってこそできる、
大人であるからこそできる見守りでもあります。

大人の考える「常識」で
大人にとって「都合のいい」子に
しようとしてはいませんか。


ホタルはただ光って飛ぶだけで

心震えて涙が出るほどに美しいのです。


目の前の人の
あるがままの尊さをうけいれて、
叩き落とさずに。

そのままどこまでも、
飛びたいように飛ばせてあげてください。


一生光って過ごすホタルでさえも
24時間光っているわけではありません。

成虫になったホタルはそんなに長くは飛べないので
すぐに葉っぱに止まって
光らず休むことの方が多いです。

成虫としてほんの数日間の生命を恋に燃やし
美しく儚い光を放ちながら飛ぶホタルの成虫。

決して当たり前の風景ではなく
多くの奇跡が重なって見られます。

小さな人たちや中くらいの人たちも同じこと。


新しい時代を担う子供たちを
これまでと同じように
大人が作った「こうあるべき」な枠に押し込めて
潰してしまわないように。

彼らの鏡を曇らせてしまわぬように。

ひとつふたつ前の世代の大人に育てられた
今子育て中の親御さんや教育・福祉関係者の皆さん。

時代はどんどん変化しています。

私たちがそう育てられたような、
戦闘モード&防衛機制全開の
「努力・根性・頑張り」の時代は過ぎつつあります。

しんどいときこそ
ラクして楽しく自分を満たすことを、
先の見えない今だからこそ
お手本になって見せてあげませんか?

楽すること、手を抜くこと、弛める・ゆるすことは
ズルいことではもうありません。


平和な世界への第一歩は、
私たちの家庭から。


どうぞよろしくお願いします。

今朝、清世さんのこの絵と記事にあった解釈を見て
自らの子育てへの悔恨と、反省とともに
今日この記事を書きました。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

#平和のためにできること  #ホタル #ライトワーカー
#宇宙の愛を反射する  #鏡 #フラワーエッセンス

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