満月の癒やし ⑤
こんにちは。
今日もお立ち寄りくださりありがとうございます。
引き続き、バイオリニストYUKIさんから受けた
満月ヒーリングのあとの気づきについてのお話です。
お時間あればどうぞご覧くださいませ。
(前回の記事はこちらです↓)
⚜️豊かさの定義
ライオンズゲートと新月が重なった日から、パシフィックエッセンス社のフラワーエッセンスを使った有名な“アバンダンスプログラム”を始めることにしました。
ところがいざ始めようという段になって、ある重大なことに気がつきます。
アレ?豊かさって…、豊かさって、なに?
おかげさまで、私は現在の暮らしのほぼすべてに満足しています。
衣食住いずれも事足りていて、特に欠乏感はありません。
先のことはどうなるかわからないので、わからないことはいくら考えても仕方がないなと思い、あまり考えません。その方が穏やかに居られます。
明日は明日の風が吹く方式。
それに、ここはなにより四国です。
八十八ヶ所巡礼のお遍路さんへのお接待が根づく土地柄。
お腹が空いても食べものはどこでも手に入ります。
ほら、ね。
雨露しのげる場所もたくさん。
飢えて死ぬことはまずない土地です。
健康状態がよくないわけでもない。
家族親類縁者も皆そこそこ元気です。
ともに笑いあえる家族友人知己もいます。
noteではこうして飽きずに読んでくださる温かい人たちに囲まれています。
そんなわけで、物心両面とも、すでに豊かなのです。
しかし、しようとするのはアバンダンス(豊かさ)を求めるプログラム。
なので、はじめに目標設定をする必要があります。
自分がいったいなにを求めるか、ということの確認ですね。
このプログラムを使って求めるものはなんでもよくて、例えば
「お金がほしい!」
というのもアリですし、
「結婚したい!」
というのもアリ。
宝くじが当たるという形でお金を手に入れる人も中にはいらっしゃるようです。
が!
いきなり失業して、それがきっかけで本当にやりたかった仕事へと転職することになり、結果的にあとから高収入が付いてきた…という形で願いが叶う人も。
結婚したい!という方も、しかり。
すんなり白馬に乗った王子様が目の前に颯爽と現れ出づる人もいれば、幾たびかの苦い別れを経て経験値を上げてからの結婚になるかもしれません。
世界中で「奇跡」を起こして人気の、このアバンダンスプログラム。
たしかに奇跡的ではありますが、願いとは一旦逆の方向に軸を振られるケースもあるわけですから、そこでクサってしまう人には向かないのかもしれません。
さて、すぐにはほしいものが思いつかなかったワタクシ。
お風呂でゆっくり考えました。
うーん。なにかほしいもの?
……だったら、家?
…猫も犬も住める家?
いや、違う…
田んぼ、かな?
豊かな稔りをもたらしてくれる田んぼや畑。
いや、これも違うなぁ…。
うーん。
あ!安心、かな?
ほしいものは、安心?
うん、そう、それそれ!それかも。
誰もが食べるに困らなくて、安心してて…
余裕があって、喧嘩も起きない…
揺るぎない、安心な世界…
あったらええよねぇ…
誰もが笑てて…
みんながゴキゲンさんで、笑てたら…
そのための家や田んぼ?
衣食住が事足りて、みんなが揃って幸せで。
笑顔で喧嘩も戦争もない暮らし?
…平和?
…そっか、…そうよ。
誰もがゴキゲンやとええよねえ…
北極から南極まで、
人が住んでるあらゆる土地という土地には
その土地その土地に適した作物が豊かに稔り、
誰も食うに困らず満たされて。
それぞれがなにも我慢しなくても、好きなことだけして暮らしてる。
自分の好きなことが誰かにとって必要で
自分が必要とすることは誰か得意な人が分けてくれる。
奪い合うのではなく、与え合い…
あぁ、そうかぁ。
人々の笑顔と、世界の平和か…
ワタシがほしいのはソレなのかぁ。
それがすなわち私にとっての究極の “豊かさ” には間違いない…
さて、こんな抽象的なものを得るためにもこのアバンダンスプログラムというものは使えるものなのか?
そんな一抹の不安も抱えつつ(←こら)迎えた8月8日。
ライオンズゲートと言われる日の朝から、ひとつ試しに始めてみたのでした。
⚜️揺れる心
さて、お話は、また元の日付に戻ります。
YUKIさんから2度目のメッセージをいただいた、8月23日。
アバンダンスプログラムを始めてから16日目。
実はこのとき、プログラムを中断して既に数日が経っていました。
(やめたんかい!)
…うん。ハイ。やめました。
いや、やめるつもりはなかったのよ?
遡ること数日前。
香川県にある国営まんのう公園で開催されるはずだったMonster baSH(略してモンバス)という野外フェスが、開催まで1週間を切ったタイミングで中止になりました。
チケット、当たってたんです。
しかも場所指定で、けっこう前の方よね、って番号。
でも、この当時はそんなこと、とても口にできる空気ではありませんでした。
香川県内では一日あたり初の3桁100人超えの新規感染者。
医療現場は逼迫し(ていると報道され)、テレビを見ているわけでもないのに、ほんの合間合間に飛び込んでくるのは、ピンポイントでそんなニュースばかり。
さらには仕事の関係で隣県に住む夫の勤務先からも、家族であっても移動を控えるようにとの要請がありました。
長雨が続いて、外出もほぼ買い物程度。
自分でもこれはおかしいと感じつつ、昨年来これまでなかったほどに疲弊しきっており、なかなか浮上できずにいました。
このとき私の中にあって様々な判断力を鈍らせたのは、ジャッジメント。
審判を下す、とか決めつけて断罪する、なにかしらの個人的な判断を下す、というようなことを心理学分野では「ジャッジする」と言い、カウンセラーとして決してしてはならないことのひとつです。
ややもすればクライアントさんまでをもうっかりジャッジしてしまいそうになるくらい、このときの私はどうかしていました。
情報の渦に巻き込まれ、自分そのものが、完全にどこか自分ではないところ、自分の真ん中ではないところへ持っていかれていました。
その上、その自覚があるにも関わらずいつまでも地に足がつかず、自分の真ん中、中心に軸を戻すことができずに、もがいていました。
フラワーエッセンスのセッションはしばらくお断りして、お休みしようかなと思ったほどです。
ちゃんと選べなかったらどうしよう…、と、この頃はご注文をいただくたびに不安に思い、いつもより一層の浄化に努めて祈るような気持ちでお選びさせていただいていました。
そうした激しい心の揺れやブレとは別に、それぞれの方のハイヤーセルフさんがちゃんと教えてくださるおかげか(いや、実際どなたなのかはわからないんですけどね)、エッセンス自体は適切なものが選ばれていたようです。
適切かどうかは、ご注文くださった皆様がそのエッセンスが得意とする癒やしの内容に驚いて、実はね…、と、選ばれてきたエッセンスと現在お困りだったことや気がつかれたこととの関係について教えてくださることでわかります。
言わば答え合わせのような瞬間。
そのような気づきのシェアをいただいては安堵する。
これはほんとうに、大変にありがたいことでした。
⚜️分断と二極化
お盆頃から続いていた感染症の拡がり、また、ちょうどその頃報道されていたアフガニスタン情勢の中で浮き彫りになったのは、人と人との関係性の「分断」と「二極化」だなと感じています。
市井の一人一人が数多くのジャッジをして、人を攻撃する。
正確な事実を見ない(見せられない)ままに批判する。
あるいは批判を恐れ、息を潜めて暗い気持ちで日々を暮らす。
疑心暗鬼に操られ、まことの姿が見えなくなる。
一方で、そのジャッジにはジャッジされる側がいて。
いつもとなんら変わりなく旅行を楽しむ人。
いつもと変わらずただ普通の生活を送る人。
当たり前のことをしているだけなのに、批判や非難をされる人。
変わるもの、変わらないもの。
批判する人、される人。
恐れる人、恐れさせる人。
なぜもっと安心できるような情報を提供しないのだろう。
怖がらせて、なにがしたいのだろう。
それはちっとも平和なことじゃないのに、なぜだろう…。
まやかしのような数字ばかりを並べて、過去のインフルエンザの罹患者や死亡率との比較対象を、一切データとして出してこないのはなぜだろう…。
この時期のこうした背景があって、私の「豊かさ」定義は物質的なことよりも先に安心や平和といった抽象的なことになったのかもしれないなと、今振り返るとそんな風に思います。
⚜️桃源郷
8月23日。
YUKIさんからのメッセージを見て横っ面を張られたような衝撃を受けた日の夜。
またもや私はお風呂に浸かりながら思いを巡らせます。
いただいた音のマントラを繰り返し流しながら、そして、エクササイズは中断してしまっていたけれどアバンダンス(豊かさ)オイルだけは湯船に垂らし、良い香りの中で、浮かんでは消えてゆく思いをただぼーっと追いかけていました。
私にとっての理想の世界ってなんだろう…
どういうのが安心で、どうなるのが理想なのか…
どんな世界が見たいのか…
みんながゴキゲンさんで笑ってて…
喧嘩も戦争もない、安心な世界。
花鳥風月、四季折々。
穏やかで。
農薬なんかの余計なことをなにもしなくても食べものは豊かにあって。
食べたいときに食べたいだけ食べられる。
たわわに実る、甘くおいしいフルーツ。
みんなで食べてもなくならない、大きな木になるおいしい果物。
最低限必要なだけの生きものの生命をいただき。
暑さ寒さから守られる快適な家もあり。
脅したり恐怖を煽って人を動かそうとする人のいない世界。
怒りもなく、ただ、あるのはよろこびだけの世界。
ありがとう、ばっかりが幾度も幾度も飛び交う世界。
誰も不安を感じない
誰も悲や哀の感情からの涙は流さなくていい世界。
いたわりあえる、優しい世界。
お金に縛られることなく、
一人一人が得意なことを楽しくやっていれば、それで必要なことがこと足りる世界。
楽しいことしかない世界。
したいことだけしていられる世界。
寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。
会社や学校に行きたい人は行けばいいし、行きたくなければ行かなくていい。
ジャッジメントのない世界。
ジャッジする人もされる人もなく。
誰もが尊重され、お互いを思いやって大切にし合える世界。
男も女も、大人も子供も、動物も植物も、人も物も。
嫌われものになりがちなヘビや昆虫も、海のへんてこりんな生きものも。
ガンコで融通のきかない爺さんも、ちょっとイケズな婆さんも。
病気や障害が、あってもなくても。
ヤンチャが過ぎるニーちゃんもネーちゃんも。
なにもかもが笑ってマルっと大切にされる世界。
誰一人として搾取されず、誰一人として虐げられない。
なんなら笑ってゴキゲンさんだから病気になる人もなくなるかも。
あふれるほどの愛と光と笑顔で満たされた世界。
心地よい風が吹き、いい香りに包まれて。
暑くもなく、寒くもなく。
このとき、こんなことをとりとめもなく考えながら、そのままお風呂でうとうとしてしまいました。
次から次へと思いの丈が現れては消えますが、ときどきハッと現実に引き戻されて、どうやらいつのまにか夢を見ているような感じでした。
お風呂が温くなってはお湯を足し、またすぐにうとうとする、の繰り返し。
なので、夢で映像としてその幸せな世界を垣間見ていたような感覚。
このままずっとこの世界を見ていたいような、桃源郷ってこんな感じかも、と思えるような、そんな時間でした。
もうしばらく続きます。
また、お時間あれば続きもご覧くださいませ。
いつもありがとうございます。
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