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東京に住んでいた時の話。

皆さまいつもお読みになって下さり、感謝します。
今回は一時期、短期で東京に住んでいたお話を書きたいと思います。
正確な時期は身バレの恐れがあるのでご勘弁と、文書はフィクションです!と付け加えておきます(笑

 時はバブル崩壊数年後、私はもがき苦しんでいた時に、とある会社からヘッドハンティングされ、関西から東京へ行く事になったのです。

その直前まで、不動産営業をしていたツテで別荘地販売の会社に勤めていましたが、ガシガシ売って売り上げを伸ばしていたのですが、給料を払ってもらえない酷い会社だったのですが、前職までの正当な取引や契約を叩き込まれていた私の中では、どんな詐欺まがいな事をやらされるのかと云う事に多少の興味が有ったのも事実でした。

まぁ、やってることは本当に酷いものでもう、気持ちが続かなかったので、管理部署に移動させてもらって裏方に回ったのでした。
そしてヘッドハンティングを受けたのです。

それから1週間後には東京に居ました。

新宿のビル街に近い所のマンションを会社から当てがわれ、部屋に足を踏み入れて驚きました。”物置ですか?”というくらいに極小なスペースしか無く、寝転ぶと四方に手が届くような所でした。それでも家賃は46万円!と云う驚きの価格で、東京は狂ってると思ったものです。そこは会社が家賃を出してくれたので大丈夫でした。
外観はオシャレなヨーロッパ風な建物で、出入りしているのは欧米人のみで東南アジア系の人は見かけませんでした。

 初出勤してすぐに部下が3人付き、シコシコと営業に勤しむ事になるのですが、この部下たちの出来の悪さに閉口することがほぼ毎日(笑
仕事をまともにしない、サボる事しか考えていない、金も持っていない、仕事をしているフリだけは一流という大変な大人どもの面倒を見る事になったのです。

毎日一台の車に部下を乗せ、移動をするのですが、昼になると「お腹空きましたねー」ということで「今日はあそこへ行きましょう」「あそこのお店は美味しいですよ」という言葉を信用してメシを食いに行くのですが、そもそも値段が高い。大体毎回2万円払っていた。
昼飯ですよ、、でも、東京だし、エンゲル係数が高いものなのかなぁと。。
そして何故か毎回私が払う。当初はまぁ、良いけどね、、と思っていたけど、それが1ヶ月、、2ヶ月と当たり前に払う事にキレました。
「自分の飯代くらい自分で払え!」と言った次の日からほか弁食ってやがった。
そして仕事終わりにちょっと飲み行くか、、と言うと中国人ねーちゃんが居るスナックに連れて行かれ、何だこれ、、と思いながら観察していたら、その部下の一人は大学で中国語やってたみたいで、結構盛り上がってた。

当時は今のようにスマホがまだ無くて、ガラケーの時代で、メールを打つにも死ぬほどボタンを押さなければまともな文章すら打ちづらい時代で、電話した方が早いと言う感覚でしたが、通話代が恐ろしく高い時代でもあり、主流は電話ボックスとテレホンカード。

ある日、電話ボックスに篭って電話をかけていたら気づくとその周りを変な外国人に囲まれていて、「金出せ!」とボックスの入り口を無理矢理に開けようとするのを必死に抵抗して足で突っ張り、攻防戦の末に警察を呼んで、「あー、、助かった」と言う事で解決したことが数回、車の中の小銭のために窓ガラス割られる事数回、私の中で、

”あー私が居るところじゃないなぁ”と思い、関西に帰ってきた。

まぁ、ありとあらゆる嫌なことに遭遇し、たくさんの人間の汚さを味わい、回復出来ない心の痛みを味わうのでした。
多分、何かの目的を持って上京するというのが本来、有意義になるのだなと思ったものです。

何も良い思い出が無かった東京生活でしたが、何の巡り合わせなのか、カメラマンを初めてからは大体が東京での仕事になったのでした。
日本の首都、大都会東京、、花の都東京、、

あっそ、、と、 ”色” が無くなったような感覚しか持てなくなくなりました。本当は夢が詰まった都市なんだろうけど、私の場合はそうでも無かった。 そんな思い出。

今回も読んで頂き有り難うございました。

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