見出し画像

デザイン屋さんへ方向転換した話。

皆さまいつもお読み下さり、ありがとうございます。

 さて、介護屋さんも乗っ取られ、次は何するかなぁと考えていた時にデザイン屋さんでもやるか、、と思って事務所借りて始めたのです。

しかし、顧客も持ってなかったし、どうしたものかねぇ、、と思っていたのですが、事務所物件のオーナーさんは不動産屋であり、これまた知り合いでも有ったので相談してみたところ、賃貸物件いっぱい持ってるからそれ、管理してよと言うことで、いきなり管理屋さんも兼用することになり、なりふり構わず突っ走ってました。

そんな時、大工さん誰か知ってる?と聞かれたので、工事屋さんも大工さんも設備屋さんまで知ってたので紹介したわけです。
そして新築住宅を数件建てることになって、工事、工程管理のお手伝いをしていました。

その時の工務店の社長が昔気質の大工さん上がりの人で、私は何件も新築やっていたので、仲が良かったのです。私も元々職人気質を持っていたのかも知れません。
奥様も沖縄か宮古だったか、忘れましたが気さくな方で結構話が合って、好かれていたみたいです。

ある時からこの社長への連絡がなかなか取れにくくなってきて、工期があるんだけどな、、と焦っていた時に飯でも食おうと連絡があり、会った時に見違えるくらいの黒マッチョではなくマッチョ抜きのただの黒く焼けた人になっていた。事情を聞いてみると、他にもう一軒建ててるんだわ、、て、儲かってるんならと、ホッとして、現場はどこ?と聞くと、、

「タイでね、、」って、おっさーん、何しとるねん!

なかなか連絡取れない理由が解明しました。

「彼女の家でね、、」 いやいや、奥様の顔が頭の中をぐーるぐるでした。
そんな社長は数年後、亡くなりましたが、お葬式に行った時奥様の顔を見れませんでした。バレる前に亡くなったのはまぁ、よかったんじゃ無いか、、という小話でした。

 ついでなので、友達の内装屋さんのお話も書いておこうかな。
所謂リフォーム内装屋さんでいつも忙しそうにしているけど、儲かってる?と聞いた時の話です。
そしたら売り上げベースで5~6000万はすぐに到達して、1億到達するには広告バンバン打ったらそこまで行くらしい。それから1億5000万に行くには広告に工夫が必要で営業が忙しくなるみたいで、その事務所に行く度に営業会議を長い時間社員総出でやっていた。あまりにも会議が多いんで、聞いてみたら経営コンサル入れてから会議が多くなって会議をする為に仕事をしてるという状態になってしまったらしい。。

そして売り上げが2億に届くかと言うところで、消費税納付で赤字に転落。
倒産しました。そして競売物件を落札して自分とこでリフォームして再販売しようと頑張っていたけど大赤字出して撃沈。
そりゃ畑違いの事を見真似でやってもだめでっせ!と言う小話2でした。

 当時、デザイン屋さんが軌道に乗るか乗らないかと言う時に、すごく悩んだことがあって、それはデザイン原稿をカラーで出力して見せてと要望されるもので、大体はA3ノビのサイズで出力をして持って行ってたんだけど、綺麗に丁寧に見せるために良いインクと良いベーパーが必要で、かなり高い。しかも校正前で持って来いと言われる。100%捨てる出力原稿にどうにかならんもんかなぁと、思っている時にA0、B0サイズをカラーで出力してくださーい、と、容赦ないふざけた依頼。出力センターで出してもらってもかなりの金額だった。しかも100%捨てるやつ。
なら、自分とこでデカいのを出力できるプロッタを入れるか、、と見積もりしたら、、

200まんえーん、、ふざけるな! と言うことで仕事を断り続け、そしたら完全に仕事がなくなった(笑 軌道にすら乗ってないのに、、と。。

 ある時、事務所の家主である社長が「ちょっと行こか」と言うので車に乗せられた。飯でも奢ってくれるのかとウキウキしていたら、「着いたで、」、と、ん!ここヤバい人達の巣窟じゃん!ありとあらゆる絵を鑑賞できる場所、KUMI事務所ってやつ。そして「あと頼むわ」は?全く事情が判りません。すった揉んだの末に私、全く関係ないことがわかり、無事解放。逆にそのOYABUNが気を良くして飯食い連れてってくれたりして、お友達に(笑
それから何回か、いきなりメシを誘われるので面脳なことに巻き込まれる可能性があるので、徐々におつき合いに距離を置き、離れさせてもらいました。

 当時、デザイン屋さんってこの先、間違いなく終わる業界だなと感じていた。機材の投資金に対して回収額がどんどん下がり、単価が落ちている、「絶対食って行けなくなる」
なので、違うことを模索し出していた。

そんなある日、ちゃんとした学校案内や新聞のようなものの制作依頼が来て、即制作、納品した。それがきっかけで、なぜか、とある国の観光省の観光アピールのためのブック記事依頼が舞い込んできた。所謂「政観仕事」と言うやつです。

その原稿を作るに当たって現地の写真が必要で新規撮り下ろしに出かける事になり、顎足、ホテル付きで海外に行く事になったのでした。
そして、それがまた、人生の方向性が変わる事になったのでした。

ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回は怒涛の海外撮影です。どうぞお楽しみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?