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涙腺が崩壊した日。

 今日はいつものおふざけ小噺を書こうと思うけど、どうしても書け無いことをご理解下さいませ。

私が人生の分岐点にあった時に「もう、どうでもいいか」と思い、面接に行った話です。

その当時、離婚や会社の解散、資金の持ち逃げ、様々な出来事が全部重なった時期でもありました。 本当に最悪で、次にどうすると言うことさえ、考え付かず、案さえ出ない、絶望寸前だった時に、でも、食うために「何かしなきゃ」と言う事で模索していました。 そして、出した結論が「長距離乗るか」でした。

トラック運転手で、誰もが嫌う長距離です。 私にとってはその当時、人と話す事すら嫌だったので好都合だと思ったのです。
そして、自宅から離れたところにある会社に面接に出かけたのです。
色々と調べ、その会社のトラックが綺麗に清掃され、整備されているところを選びました。それが、その会社の体質だと判断したのです。

面接に向かった当日、自分の中では「あぁ、これで今までの人生とは変わってしまうのだな、、」と思いながらその会社に着いて受付で「面接に来ました」と告げて、待合で待つこと1時間。その間に、いかにも面接に来ている人たちが約15人。次々に呼ばれて面接をするのだけれど、私だけ呼ばれない。時間厳守で来たにも関わらず1時間。それが2時間になり、他の面接者が帰っていく中、待たされ続け、不安だけが頭を吹き抜けた時、

「お待たせして申し訳ございませんでした、」と、

舘ひろし風のパリッと背広姿の社長が丁寧にお辞儀をしながら「どうぞこちらへ、、」と部屋に招き入れてくれ、「本当にお待たせして申し訳ございませんでした。」と言われ、履歴書と職歴書を渡し、反応を伺っていました。 そして、少しの間の後、一言、、

『当社ではあなたを雇うことは出来ません。』

かなりショックなひと言でした。

「あなたはこの業界に入ってはいけません」
「あなたと私は年齢が同じです。私も死ぬほど分岐点を味わってきました」
私は下を向きながらボロボロと涙が溢れる事を止めることが出来ませんでした。

お辛い気持ちは痛いほどわかります。数多い面接者で初めてです。
ちゃんと背広にネクタイを締めて来られたのは初めての方です。
だから私も失礼が無いように、着替えて来ました。
だから時間がかかってしまいました。
本当に気絶しそうなくらいフワフワしたような感覚でした。
実際にはもっと色々な話をしたと思いますが、思い出せません。

そして、
「きっとどこかでまた再開できるような気がします。その時に笑いながら酒でも飲みましょう。」と、丁寧に会社の広い敷地の出入り口まで歩いて見送ってくれました。

私は駅までの道を歩きながら、下を向くと涙が落ちて止まりませんでした。
本当に涙腺が壊れたんじゃ無いくらいにボトボト涙を落としながら駅まで辿り着き、息を整えて帰りました。

人生でこれほど泣くと言うより、ここまで涙が次から次へと湧いて落ちると言う経験は有りませんでした。母親を死なせた時の数倍もの涙を落としたと思います。

どんな因果か、偶然か、何か分かりませんが意味もなく「頑張ろう」と思った直ぐに仕事が舞い込み、忙しくなったのでした。
軌道修正をしてもらったのは確かです。感謝しかありません。

こんなことも経験しているジジィです。

最後までお読み下さり感謝します。

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