見出し画像

ややこしい美意識 ―姫野カオルコ『整形美女』―

 整形美女を扱うフィクションは、色々とあるが、この小説は読んでいるうちに色々と混乱する。この『整形美女』(光文社文庫)という小説は、タイトルのシンプルさとは対照的に色々とややこしいのだ。
 まずは、生まれついての絶世の美女であるヒロイン一号「甲斐子」は、高嶺の花レベルの美貌ゆえにかえって男性にモテない。地味系不美人(ただし、「かわいらしい」とは見なされる)であるヒロイン二号「阿倍子」は、高嶺の花レベルの美貌とはほど遠いゆえにかえって男性にモテやすい。なるほど、かつて私のブロ友だったお方が言っていた通り、男は「手に入れやすい」女を好むのだ。「手に入れやすい」そして「御しやすい」という男性の思い込みゆえに、意外な女性が男性にモテるのだ。
 さらに、この小説の登場人物の名前は聖書に由来する。甲斐子と阿倍子の名前はカインとアベルをもじったものだ(しかし、二人は姉妹ではない)。この二人の名前は実に凝っている。甲斐子の苗字は「繭村」だが、これは「蚕(カイコ)→繭」に由来する。阿倍子の苗字は「望月」だが、これは「阿倍→安倍川餅→餅→望月」という連想からだ。実に凝ったネーミングだ。漫画『ライジングインパクト』はアーサー王伝説を元ネタに、『太陽の黙示録』は三国志を元ネタにして登場人物の名前を付けているが、この二作品と比べると『整形美女』の登場人物たちのネーミングは実に分かりにくい。まあ、カインとアベルの話は日本でも有名だけど、「アダとチラ」なんて人たちは聖書愛読者ではない人にとっては「誰?」である。

 さて、甲斐子は綿密に計画を練って、阿倍子そっくりになる。そして、阿倍子は以前の甲斐子そっくりになる。つまり、結果的にお互いの姿を交換するのだが、甲斐子は外見と内面の組み合わせが徐々に馴染み、阿倍子は逆に外見と内面のギャップに悩むようになる。しかし、終盤においては甲斐子よりも阿倍子の方が「幸せ」そうに思える。少なくとも本来の人柄にふさわしい「平穏」を得る。あえてネタバレを書くならば、芥川龍之介の『鼻』の女性版だ。
 私は甲斐子から、自らが整形美女である中村うさぎ氏を連想する(ただし、うさぎさんが整形したのは姫野さんのこの小説が発表された後なので、小説のモデルではないし、うさぎさんが整形したのもこの小説の影響ではない)。その我の強さはうさぎさんを思い出させる。しかし、甲斐子とうさぎさんは明らかに整形の方向性が違うし、求めるものが違う。どうも私は甲斐子という女性を理解出来ないし、したくもない。せっかく絶世の美女に生まれたならば、その「資源」を活かして、後藤久美子みたいに玉の輿を目指した方がふさわしい(まあ、甲斐子は医者と結婚はしたのだが、どうもさえない)。甲斐子は桐野夏生氏の『グロテスク』に登場する「元美少女」ユリコと同じく自らの資源を無駄にした。はた目から見ればそうだ。要するに「居場所が悪い」。

 しかし、甲斐子の「計画」や選択はやむを得ないものだろう。「美人か否か」「かわいいか否か」「色気があるか否か」「清潔感があるか否か」「上品か否か」はそれぞれ別ものであり、これらの微妙な組み合わせ次第で「モテるか否か」が決まる。多分、甲斐子は『グロテスク』のユリコのようになりたくなかったからこそ「普通の男にモテやすい女」になって家庭に収まったのだろう。

 ただ、この小説には甲斐子の価値観や思考回路以外にもどうも引っかかるものがある。反フェミニズム並びに反フェミニスト的な記述がいくつかあるのだが、これって世間一般のフェミニストたちに対する反感の表れなんだろうかな? それに、高身長男性を求めるチビ女に対する批判も納得出来ない。自分がチビだからこそなおさら高身長男に憧れるんでしょ? ブスほどイケメンを好むのと同じ事だよ。むしろ、ある程度背の高い女性は「自分より背の低い男でもいい」という選択肢を選べるのだから、チビ女よりも有利だと思うのだけどね。

【CHAI - N.E.O. 】

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?