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『アヴァロンの霧』に対してさらにイチャモンつけるぜ

 私はマリオン・ジマー・ブラッドリー氏の『アヴァロンの霧』を再読したが、この小説のグウェンフウィファル(グィネヴィア)がモーゲンと敵対する理屈(自らの狭量さをキリスト教の信仰で正当化している)はきちんと描かれているんだな。海音寺潮五郎の『孫子』の龐涓(孫臏に対する好意が嫉妬心に変わりつつある過程の描写)もそうだ。それに対して、宮城谷さんの『楽毅』の燕の恵王の人物造形は前述の二人と比べると手抜きでしかない。
 T.H.ホワイト版グィネヴィアは比較的人格者寄りの人物像で、バーナード・コーンウェル版グィネヴィアは才色兼備のグラマラスな野心家で、この二人は魅力的で好きだけど、ブラッドリー版グィネヴィア(グウェンフウィファル)は「外見だけが取り柄」でしかない。
 タリエシンの跡を継いで「マーリン」になるケヴィンは、この時代(5世紀辺り)にしては現代的な響きの名前。何だか、戦国時代の日本の農民女性の名前が「〇〇子」みたいになっているような違和感を覚える。日本の一般庶民の女性名として「〇〇子」が使われるのは、明治維新以前はほとんどなかっただろう。
 私は数年前に、酔っ払った三好長慶と松永久秀が長慶の妾と一緒に寝室に行く夢を見たのだが、当然この小説の影響である。それはさておき、ランスロットやグウェンフウィファルは他の読者さんたちから「クズ」扱いされているけど、一番ひどいのはこの二人を自らの「精神的自傷行為」の道具にしているアーサーだと私は思う。そもそも、アーサー王伝説全体におけるアーサー自身の優柔不断ぶりが一番悪い。とりあえず、ゲーテのファウスト博士を宰相として雇え。商鞅や曹操でも良い。あまりにも不甲斐ない。源義経以下の政治力じゃん。

 アーサーの「善良さ」に対して私はいらつく。ランスロットとグウェンフウィファルの不倫によって読者に憐れまれるアーサーだけど、多分、バーナード・コーンウェル氏はそんなアーサー(ブラッドリー版だけに限らず)の「善良さ」を覆す展開にしたのだ。ゲーテのファウスト博士の「クソ野郎」ぶりよりも、アーサーの「善良さ」の方がよっぽどたちが悪い。モーゲンとグウェンフウィファルに代理戦争をさせる卑怯なアーサーとランスロットが憎たらしい。あんたらは本気で殴り合うべきだった。張耳と陳余の爪の垢を煎じて飲め!
 もし私がゲーテのファウスト博士だったら、キャメロットに潜り込んで漁夫の利を得たい。メフィストフェレスがいるなら、ファウストはハンク・モーガンよりも要領良くアーサーとランスロットを始末出来るだろう。
 アーサーとランスロットよ。お前らは張耳と陳余の爪の垢を煎じて飲め。モーゲンとグウェンフウィファルをてめぇらの代理戦争の道具にするな! 本気でてめぇら自身で憎しみ合って殴り合って、刺し違えてしまえ! 私がゲーテのファウスト博士だったら、こいつらに対して范雎と司馬昭を兼ねた役割を実行してやる。ファウストのクソ野郎ぶりよりも、アーサーとランスロットの偽善者ぶりの方がよっぽど不愉快だ。まあ、そもそもランスロットがアーサーの忠臣兼親友という設定自体が後づけだから、このような矛盾や違和感があるんだな。
 主要人物たちの血縁関係の密接さは何だか『紅楼夢』を連想させる。ランスロットがアーサーやガウェインの従兄で、エレインがグウェンフウィファルの従妹という設定だが、多分これはアーサー王伝説の本質がゲーテの『ファウスト』第一部と同じく「箱庭」であるのを示している。しかも、「彼ら」はファウスト博士とは違い、その「箱庭」から一歩も出ない。
 モーゲンの夫ユーリエンス、1巻のイグレインの夫ゴルロイス。いずれも本気で妻を愛していたが、逆に自分の妻を憎む男性キャラクターも出してほしかった。
 マーリンはタリエシンとケヴィンの2代。塚本靑史版蘇秦と同じだが、後者たちは互いに面識がない。兄たちがいるのは若い方で、年長の方は実は白起の父親。

 主人公モーゲンは皮肉屋だが、この小説の女性キャラクターの中では比較的マシな部類である。最初からキリスト教徒という設定の登場人物で一番まともなのは、2巻に出てきたベイリンの母プリシラだが、ベイリンがヴィヴィアンを殺す理由以上の存在ではない。バーナード・コーンウェル版アーサーで最初からキリスト教徒として登場する人物としては、ギャラハッドが一番魅力的な人格者だ。こちらのギャラハッドは嫌味がないキャラクターだし、友人にしたいタイプ。キリスト教徒ではない人物としては、カイヌインの兄キネグラスが好漢だ。
 読了。これはねぇ…他の読者さんから「失敗作」扱いされても仕方ないかもしれないなぁ…。なぜなら、バーナード・コーンウェル氏のアーサー王三部作という「上位互換」作品があるし、何よりも、ブラッドリー氏自身の子供に対する性的虐待加害者疑惑というスキャンダルを知ってしまった時点で、私はもうこの小説を読んでも素直に感動出来ないのだ。自称「フェミニスト」も含めた「女性の加害性」並びに「有害な女らしさ」とは、他ならぬ作者自身だったというオチが付いてしまった。娘さんは神田沙也加さんや鴨志田ひよさん以上の「毒親被害者」だったのだ。
 写真家のイリナ・イオネスコとその娘の関係性も問題だけど、ブラッドリーがそれ以上の「超絶毒親」だったのは残念だった。

【Sully Erna - Avalon】


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