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題名だけで損をしている本 ―大塚ひかり『ヤバいBL日本史』―

 言葉は一種の「生き物」であり、時代の変化によって意味や使い方などが変わっていく。例えば、「ヤバい」は元々「危ない」という意味だが、いつの間にかほめ言葉としての「すごい」の同義語として使われるようになってしまった。それゆえに、誰かが「ヤバい」と言うと、私は「え? どちらの意味で『ヤバい』んだ?」と驚いてしまう。
 しかし、「『どちら』の意味で『ヤバい』か?」で留まるならば、まだマシである。下手すりゃ「『どの』意味で『ヤバい』んだ?」になりかねない。それぐらい、現代の日本語における「ヤバい」という形容詞は少なからぬ意味を持つようになってしまったのだ。まあ、そもそも本来の意味での「ヤバい」の基準自体が人それぞれ違うのである。

 大塚ひかり氏の著書『ヤバいBL日本史』(祥伝社)の題名が問題になったのは、センセーショナルな題名や本帯惹句が芸能ゴシップや性的マイノリティーに対する「消費」を連想させたからであるが、それだけではない。「ヤバい」という形容詞の「多義化」も要因の一つである。本来の意味、すなわち否定的な意味としての「ヤバい」もヤバいし、「良い意味での裏切り」と似たような用い方としての「ヤバい」も、当然本来の意味でヤバい。この思いっきり世俗的な題名の付け方こそが「ヤバかった」のである。
 大塚氏のこの本の内容自体は至極真っ当であり、題名ほどには芸能ゴシップや性的マイノリティーに対する「消費」を連想させるものではない。男性同性愛に対して不自然に美化するものでもなければ、不当に貶めるものでもない。ズバリ、いわゆる「なろう系」小説のように題名だけで不当に非難されただけである。それに、司馬遼󠄁太郎氏が「歴史学者」ではなく「歴史小説家」だったように、大塚ひかり氏は「古典学者」ではなく「古典エッセイスト」である。その辺を、読者は勘違いしてはいけない。多分、大塚氏はいわゆる「司馬史観」に対する批判の「もらい事故」の被害に遭ったのだ。
 司馬遼󠄁太郎氏の小説『項羽と劉邦』(新潮社)の題名は元々『漢の風、楚の雨』だった。しかし、単行本化の際に、より分かりやすい改題をされてしまった。司馬氏ほどの大物作家ですらそのような改題を余儀なくされたのだから、大塚氏が出版社側からの提案に対して従わざるを得なかったのはやむを得ない事態だっただろう。

 大塚氏の『ヤバいBL日本史』は決していわゆる「腐女子」に対する媚びとして男性同性愛を美化するものではない。男色の背景に女性蔑視があったのを、ちゃんと指摘している。しかし、いわゆるホモフォビア的な内容でもない。タイトルのいかがわしさとは裏腹に、公正中立的な内容だと、私は思う。それだけに、この本の題名のいかがわしさを残念に思うのだ。

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