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「僕は正真正銘の“プログレッシヴ・ロックの子供”なんだ」-ヴィヴィアン・ラルー(LALU)インタビュー

 1月21日に発売されたLALUの3rdアルバム『PAINT THE SKY』のライナーノーツはヴィヴィアン本人のインタビューを基に構成されているが、そのインタビューの回答量があまりにも膨大だったために大幅にカットする必要があった。彼自身のバイオグラフィーやLALU、そして新作について熱く語ってくれているので、ぜひファンの皆様にも読んで頂きたく、このnoteではヴィヴィアンとのインタビューをほぼノーカットで掲載したいと思う。ヴィヴィアンが送ってくれた貴重な写真と15,000字を超すロング・インタビューをお楽しみください。

ヴィヴィアン・ラルー(Keyboards)

-まずはあなたのバイオグラフィーについてお尋ねします。生年月日と出身地を教えてください。

ヴィヴィアン・ラルー: 僕は1978年12月2日にフランスのパリで生まれたよ。

-ご両親もプログレッシヴ・ロック・ミュージシャンだったそうですが、ラルー家は音楽一家だったのでしょうか?

ヴィヴィアン: すべての始まりは僕の両親で、祖父母と違い両親はミュージシャンだったんだ。ギタリスト兼シンガーだった父は実家を出て自分の生活を始めた後、ある日長髪で祖父母を訪ね、結果的に祖父に殴られてしまったんだよ。祖父は「野蛮人」を家族の中に入れたくなかったんだ。祖父は古い世代の飛行機技師でロックンロールに無理解だった。父は僕に対してそのような態度を取ることはなかった。それどころか僕を音楽で育ててくれた。両親はあらゆる芸術を鑑賞するように勧めてくれたんだ。

父、ミシェル・ラルー(Guitar and Vocals)

-ご両親が活動をしていたPOLÈNEはどんな音楽性のグループだったのでしょう。アルバム等はリリースされていたのでしょうか? もし分かれば簡単に教えて頂けますか?

ヴィヴィアン: POLÈNEはプログレッシヴ・ロック・バンドで、YESやGENESIS、KANSASのカヴァーやオリジナル曲を演奏していた。僕はプロによってプロデュースされたPOLÈNEのデモ・テープを聴いて育ったんだ。Polydor Recordsは彼らが名誉あるGolf-Drouot(デビッド・ボウイやTHE WHO等で有名になったパリのクラブ)でのコンテストで優勝した後にPOLÈNEのことを知った。でも両親を含む当時のメンバーは皆、毎日の仕事や子育てを放棄してツアーに出る準備ができていなかったから契約を結ばなかったんだ。

POLÈNE

-ミュージシャンとしてご両親からはどんな点で影響を受けていますか?

ヴィヴィアン:作曲家/ギタリスト/シンガーの父は、僕が成長するにつれて音楽に関するヒントや助言、意見を繰り返し述べてくれたよ。父は常に音楽を愛していて、偉大な作曲家であり、ギタリストであり、今でも作曲やライヴ活動を行なっている。キーボーディストの母も、僕にキーボードを選ばせた潜在的な役割を果たしていると思う。母のモーグは自宅にあって、僕はいつもギターの激しいタッチよりも鍵盤の柔らかいそれが好きだった。

-あなたの音楽、特にロック・ミュージックとの出会いはいつ、どんな形で、でしたか?

ヴィヴィアン:母の子宮の中だよ。母は妊娠中にステージでキーボードを演奏していた。僕は幼い頃からリハーサルではドラマーの膝の上に座っていたし、家ではモーグを弾いていた。プログレッシヴ・ロックは、文字通り僕に母乳を与えてくれたようなもので、常に自然なことだと感じていた。僕は正真正銘の“プログレッシヴ・ロックの子供”なんだ。

母、ノエル・ラルー(Keyboards)

-何歳から楽器を演奏し始めましたか? 最初からキーボードだったのでしょうか? 他の楽器を演奏していた時期はありましたか?

ヴィヴィアン: 幼少期には多くの楽器を演奏したけれど、キーボードは最初で、今でもメインだ。ドラム、ベース、ギターの基本的な理解も身に付けた。これは作曲家としてこれらの楽器を理解して、それらの楽器のために作曲することを可能にしてくれたから、とても重要だった。僕のレコードで聴くことができるすべてのもの(ベース・ライン、ギター・リフ、ドラムのグルーヴ等)は、ごく少数の例外を除き大抵は僕が書いて、僕のミュージシャンが演奏をしている。曲作りは時計のようなものだ。たとえ演奏するミュージシャンに多くの自由を与えたとしても、僕は細部にまで拘っている。

幼少期のヴィヴィアン

-作曲は何歳頃からしているのですか?

ヴィヴィアン: 10歳になる以前だね。僕の家族は月に一度、母方の叔父の家に遊びに行っていた。そこにはいとこが持っていたYAMAHAのPSRというキーボードがぶら下がっていた。僕は彼女の部屋で一日中音楽を作っていて、自分でメロディを考え出して、それを記憶して、翌月になるとまた戻って自分のアイディアをさらに膨らませていたんだ。今でも覚えているのは、初めて作曲した曲のひとつで、アイルランドの御伽噺のようなワルツさ。

-どんなバンドから影響を受けていますか? また、キーボーディストとしては誰から影響を受けていますか?

ヴィヴィアン:リスナーや作曲家として最も影響を受けたのはYESとTOTOだろうね。フランク・ザッパ、スティーヴ・ヴァイ、MEGADETH、DREAM THEATERからも大きな影響を受けている。日本のアーティストからもね。一番好きな映画が『千と千尋の神隠し』で、作曲面で久石譲に大きな影響を受けている。僕は“Drifted Away”というピアノ曲を書いたことがあるけれど、あれは久石譲の作品への直接的なオマージュだ。RolandのAmbient Demo Number 2で披露されたと思う。そしてゲームで育った僕は、植松伸夫や菊田裕樹、古代祐三からも深い影響がある。キーボーディストとしてはイェンス・ヨハンソンと彼のリード、パッド、そして作曲、ジョーダン・ルーデスと彼の素晴らしい音楽的思考とパフォーマンス、ヴァンジェリスと彼のアンビエント・キーと作曲等に影響を受けていると言えるね。

-あなたのキャリアはプログレッシヴ・メタルやプログレッシヴ・ロックといったジャンルの音楽が多いですが、他のジャンルを演奏していた時期もあったのでしょうか?

ヴィヴィアン: 芸術学校で最初に入ったバンドはTIME FOR A CHANGEというドゥーム/ブラック・メタル・バンドだった。彼らはキーボーディストを探していて、芸術学校のクラスでキーボードを持っているのは僕だけで、しかもメタルが好きだったからね。それがきっかけで変わっていて、よりヘヴィで、ダークなタイプのロックを知ることになったのさ。
 その後、プロの作曲家としてフランスのテレビ番組やゲーム、映画の音楽を担当している。音楽のスタイルやジャンルは問わないんだ。だからこそ両親が僕を広い心で育て、あらゆる音楽を愛し、尊重してくれたのが好きなんだ。クラシック音楽も好きで、サウンドトラックを作曲するのはいつも楽しいね。

-私たちが初めてあなたの名前を知ったのは2003年にフービ・マイゼルの『EMOCEAN』にキーボーディストとソングライターとして参加していた時ですが、これがプロのミュージシャンとしてのキャリアで最初のアルバムでしたか? どのようなきっかけで参加することになったのでしょうか?

ヴィヴィアン: フービ・マイゼルの『EMOCEAN』は僕のプロのミュージシャンとしての第一歩だ。2002年の初め、僕は自分のバンドで歌って貰うために彼を雇った。彼は僕の曲を気に入り、自分のソロのためにも曲を書いてくれないかと尋ねてきたんだ。すぐに彼の申し出を快諾したよ。彼はコンセプトと各曲の希望を詳細に記したものを僕に送ってきた。僕は彼の脚本やストーリーを尊重してなくてはいけなかった。とても楽しい体験だったね。彼のアルバムに参加した僕のキーボードと作曲は、僕がこれまでに行なった中でも最高のものだと思うよ。

HUBI MEISEL『EMOCEAN』

-LALU 以外でのあなたのミュージシャンとしてのキャリアを簡単に教えて頂けますか?

ヴィヴィアン: 2008年にはニコラ・サルコジ大統領(当時)の息子ピエール・サルコジが、Universal Musicのアーティストであるラズロ・ジョーンズを通して僕に接触してきて、僕の作品を気に入っていると言ってくれたんだ。フランス国民である僕と家族にとって大変な名誉だ。大統領の御子息からパリのスタジオのヘッドマネージャーに選ばれ、共同作曲家として幅広いクライアント(ノルウェーのセリーヌ・エンゲルスタ等のジュエリーブランド、Universal Musicと契約をしている地元のアーティスト、カールフール・グループなどの多国籍な企業まで)の作曲を担当することになったよ。ピエールとのコラボレーションによって、音楽制作やビジネスについて多くのことを学んだ。特に印象に残っているのは、Warner Brothersの映画『Seuls Two』で、僕が作曲した3曲のオーケストラ曲を両親が映画館で鑑賞したことだ。息子を音楽で育ててくれた家族にとって、これは大きな名誉だった。
 また、UBISOFTやNeko Entertainment等のゲーム・スタジオで、DSや3DS、WiiUなどのハードで発売されたゲームの作曲を担当した。RolandのJD-XAサウンド・ライブラリで“Celestal Spheres”をデザインした。2020年からはレイ・アルダーとマーク・ゾンダーによるA-Zのキーボーディスト兼作曲家だ。

-LALUを結成したのはいつで、どのようなきっかけで結成されたのですか?

ヴィヴィアン: フービの3枚のアルバムの作曲をした後、LALUを2004年に結成した。彼のために仕事をするという最初の経験も良かったけど、自分自身のことを自由にやり、様々なタイプのヴォーカルも楽しめるだろうと考えたんだ。音楽は24時間体制の僕の人生で、常にアイディアがある。誰かが書いた脚本やストーリーに縛られることなく、自分の音楽的なマインドを表現する必要があった。当時の僕はバンド形式ではなく、例えばスティーヴ・ヴァイが彼のソロ・プロジェクトのVAIでやっていたような、自由な活動がしたいと考えていたんだ。

LALU(2004年)

-デビュー・アルバム『ONIRIC METAL』(2005年)を振り返ってみて、どのようなアルバムと感じられますか?

ヴィヴィアン: 良い思い出になったね。20代半ばに一人でプロデュースしたんだ。スタジオに住みながら全曲を書き、楽器パートを作り、編集とミキシングを全部自分で行なったんだ。その結果、Rock Hard誌の“Album Of The Month”に選ばれたことは、とても光栄だった。あの頃はまだピエール・サルコジのために働いておらず誰も僕のことを知らなかったし、質素な屋根の下、一人で制作した方法を取ったからとても驚いたね。

-『ATOMIC ARK』(2013年)では多くの著名ミュージシャンがメンバーやゲスト・ミュージシャンとして参加されていますが、このアイディアはどこから生まれたのですか?

ヴィヴィアン: MySpaceの時代に多くの好きなミュージシャンと親交を深めていくうちに自然にそうなったんだ。あの時は『ONIRIC METAL』に参加していたミュージシャンの多くが参加できず、他に選択肢がなかった。ヴァージル・ドナティ(DS)とは2003年に同じアルバムにゲスト参加して以来の知り合いだ。今でも僕の最も親しい友人の一人で、数日前にもパリで一緒にランチをしたよ。『ATOMIC ARK』の時は前任ドラマーがデヴィン・タウンゼンドのツアーに参加していたから、彼を誘うのは理に適ったことだった。ギタリストについても同様で、ヨープ・ヴォルタースの都合が付かなかったから、シモーネ・ムラローニにお願いした。ベースについては、当時のSYMPHONY Xのファンによればマイク・レポンドがベストの選択だったようだね。

LALU (2013年)

-『ATOMIC ARK』のリリース後にはツアーも行ない、その模様は『LIVE AT P60』でも聴くことができますが、オーディエンスの反響は如何でしたか?

ヴィヴィアン: オーディエンスの反応は驚異的で、地元のファンは、時には2時間以上ドライヴして僕たちに会いに来てくれたり、中にはドイツやポーランドからわざわざ来てくれたりする人もいた。最初の信じられない出来事はPROG TIMEとHEADWAYというプログレッシヴ・ロック・フェスティヴァルにヘッドライナーとして招待されたことだ。ヴァージルはアーティスティック・ディレクターとして僕を助けてくれて、ファンのためにユニークなライヴ・パフォーマンスを行なうよう曲のフックやパートを拡張したり、当時彼が参加していなかった『ONIRIC METAL』や『ATOMIC ARK』の曲を最適化したりした。ヨーロッパに持ち込んだ数多くのカメラを使って、ツアー・ドキュメンタリーの撮影と編集を行なったのも彼なんだ。

-『ATOMIC ARK』を振り返ってみて、どのようなアルバムと感じられますか?

ヴィヴィアン: それほど頻繁には聴いていない。悪くは無いが音色が暗いのが残念だ。ミックスは『ONIRIC METAL』より良いし、プロダクションも素晴らしいのだけど、100%満足はしていない。でも後悔はないよ。このアルバムは僕にとって多くの扉を開き、様々な出会いのきっかけになったからだ。
 ただ、アメリカの原爆実験への批判のような暗いテーマを選ばなければよかったとは思っているけど、物事には理由があるものだよね? このプロジェクトのストーリーが発展するためには、このようなことが起こる必要があったんだ。でもこのアルバムがRoadrunner Recordsの2013年のアルバムTOP10にノミネートされたことについてはとても光栄に思っている。

-さて、ニュー・アルバム『PAINT THE SKY』の話をしましょう。セカンド・アルバム同様に約8年のブランクがありましたが、なぜこんなに長い時間が必要だったのですか?

ヴィヴィアン: 『ATOMIC ARK』のリリース後はツアーとその後にリリースしたライヴ・アルバムの準備でとても忙しかったんだ。新作は2019年末に最初の草案に取り掛かって、2021年の初めに本格的な制作が終わった。2020年は主にA-Zの曲作りに費やしたんだ。2015年から2019年の間はプログレッシヴ・ロックやメタル外の他の音楽に集中できることがあったんだよ。幾つかのアルバムにゲスト参加したり、ゲームのオーディオ・デザインの仕事をしたりしていたけど、2020年のパンデミックがすべてを加速させて、プログレッシヴ・ロックに100%専念するために自分の人生を完全に変えて、再編成することができた。

LALU『PAINT THE SKY』

-ニュー・アルバムの曲はいつ頃から作曲されていましたか? すべてニュー・アルバムのために書き下ろした新曲でしたか?

ヴィヴィアン: 曲を書き始めたのは2019年末だったけれど、本格的な作業は2020年からだったね。ちょうどその頃、マット・ギロリーがマーク・ゾンダーに僕を推薦したんだ。マークは当時、レイ・アルダーとの新しいバンド(A-Z)のキーボーディスト兼作曲家を探していた。このような機会を断ることはできなかった。なぜ運命が、僕が音楽的な迷いから抜け出そうとしていたその時にこの話を持ってきたのかは分からないけど、突如として僕はA-Zのデビュー・アルバムとLALUの『PAINT THE SKY』の2枚のアルバムの音楽を手にしたんだ。2枚のアルバムに同時に取り組んでいたから、個人的なプロジェクトと加入したばかりのスーパースター・バンドとの間を常に行き来することになって、それは面白くも異常な状況だった。あの年は30曲ほど書いたよ。

-最初の2枚のアルバムはプログレッシヴ・メタルという印象がありましたが、ニュー・アルバムはメタルの要素を残しつつ、例えばYESのようなクラシックなプログレッシヴ・ロックを現代的にアレンジしたように感じられる曲もありますね。アルバムを作るにあたって、音楽的方向性を最初の2作とは違うものにしようと考えていましたか?

ヴィヴィアン: そのようなお褒めの言葉をありがとう。確かに制作中、いつも使っていた言葉がこの二語だった。「Modern YES」さ。僕のルーツ、YESの音楽に囲まれて育った子供の頃に立ち返ってみよう。僕はいつも今時のプログレッシヴ・ロック・バンドが、まるで70年代にレコーディングしたかのように、わざと時代遅れのサウンドにしようとすることを不思議に思っていたんだ。メロトロンやオルガン等のレトロなプログレッシヴ・ロック・サウンドを使いながら、モダンでヘヴィなサウンドを出すバンドがいたら、どんなサウンドになるのだろうといつも思っていた。プログレッシヴ・ロックを、一方ではネオ・プログ、他方ではDjentのようにすることなく、新しい時代に持っていくためにね。僕が唯一望んだことは、ドラムの音を自然に保つことだった。ドラム・サンプルが好きではなかったからね。

-マーティン・ルマーではなく、ダミアン・ウィルソンをヴォーカリストに起用したのも、ニュー・アルバムの音楽的方向性が理由にありましたか?

ヴィヴィアン: 間違いなくそうだよ。意図していたのは「Modern YES」だから、100%その方向に進む必要があった。プログレッシヴ・ロックの分野で一定の評価を得ているイギリス人シンガーで、ジョン・アンダーソンのフィーリングを呼び覚ますユニークな声を持ち、真のイギリス英語のアクセントを保つ、優れた作詞家でもある人を探していた。ダミアンとは2000年代前半からの友人なんだ。その頃から既に付き合いがあった。
 ある日、彼がディナーにやってきて“Paint The Sky”となる最初のデモを紹介したんだが、MySpaceの時代が終わり、僕がピエール・サルコジのもとで働き始めた頃、僕のプログレッシヴ・ロックの活動が止まってしまったから、お互いに音信不通になってしまい何も起きなかった。でもこの曲は金庫に保管しておいたんだ。人生が僕たちに最後に一緒にレコーディングをする機会を与えてくれたことをとても嬉しく思うよ。急いでもいいことはないんだ。オリンピックで走るでもなければ、ね(笑)

-ダミアンのヴォーカリストとして優れている点はどこにあると思いますか?

ヴィヴィアン:彼の声はユニークで、感情に溢れていて、叫ぶ必要がなく、非常にパワフルだ。僕はヘヴィ・メタル・シンガーを求めていたわけではないから、これは素晴らしいことだ。彼はアルバムの多くの部分で聴くことができるが、ジョン・アンダーソンを完璧に真似ることができるけど、決して意図してやっているわけではなくて、そうしながら自分自身の音を出すことができるんだ。アンダーソンが去った後、なぜYESが彼を雇わなかったのか、僕には理解できないね。僕の意見では、彼は可能な限り最高の代役だった。なんとも奇妙な世界だよ。僕はYESのサウンドを現代風にアレンジするという魅力的な探求に於いて、彼と一緒に仕事ができることを光栄に思っている。僕が思うに、彼は現在の「Voice Of Prog」だよ…そして今日のLALUとの仕事が、将来、YESのように記憶されることを願っている。

ダミアン・ウィルソン(Vocal)

-ヨープ・ヴォルタース、ジェリー・カルダレッリについても、彼らのミュージシャンとして優れている点を教えてください。

ヴィヴィアン: 2002年にオランダでヨープと出会ったんだ。それ以来、多くのアルバムで共演をしている。あまり知られていないけれど、YouTubeが始まったばかりの頃、スティーヴ・ヴァイが彼の“Die To Live”のカヴァーを気に入っていた。彼はスティーヴ・ハウ、トレヴァー・ラビン、スティーヴ・ルカサーのようなプレイヤーとチャネリングができるし、クリス・スクワイアやゲディ・リーのようなベースも弾けるから、新作でも彼を選んだ。なんでも弾けるし、彼のトーンとフィーリングは他に類を見ないね。彼はA-Zのバンドメイトでもあるんだ。ギターに加えてベースも演奏しなければならないというのは、特に『ATOMIC ARK』でのマイク・レポンドの後では尚更だ。でもヨープは僕がこれまで目撃してきた中で最も偉大なベーシストの一人でもある…。『ATOMIC ARK』ツアーの最中に、ヨープがベースを弾き始めた時にヴァージルが話すのを止めたことを覚えているよ。これ以上言わなくてもわかるよね。
 ジェリーについては新世代の新しいドラム・センセーションだよ。侍のように生涯をかけて練習した彼のテクニックはこの世のものとは思えないね。彼に匹敵するドラマーなんて世界でもごく僅かだ。彼はヴァージル・ドナティの道を歩んでいるけれど、同時に彼自身のロックなタッチも維持している。元ドラマーのライアン・ヴァン・プーダールーエンのヘヴィなタッチと、ヴァージルの高度なリズム・マインドを完璧にブレンドしたジェリーと出会えたことは、信じられないほど幸運だった。ジェフ・ポーカロに最も影響を受けているにも関わらず、彼は最速でタイトなデス/ブラック・メタルやジャズ・ロックやフュージョンのグルーヴを演奏できる。彼にできないことはないんだ。

LALU(2022年)

-ジェリーはニュー・アルバムでエンジニアとしてもクレジットされていますが、ジェリーがエンジニアの技術を持っていることも起用の理由にありましたか?

ヴィヴィアン: 完全にそうだよ。彼のドラムと同じくらい素晴らしいのが、プロダクション/ミキシングの技術だ。音、特にドラムの音はとても重要だ。『ATOMIC ARK』のツアー中にファンとして声をかけてくれた彼は、師であるヴァージル・ドナティのパートを勉強するため、アルバムのドラム抜きのミックスを頼み続けていた。すると、彼はパリ近郊に住む、ADAGIOのプロデューサーであることが分かったんだよ。これが歴史のはじまりだ。
 先週、ヴァージルとジェリーと僕がパリで集まっていた時に、ヴァージルが『Batterie Magazine』の記者に「ジェリーは素晴らしいドラマーだから、彼にもインタビューすべきだ」と言ったんだ。LALUの新譜でヴァージルの靴を履いた後に、世界のトップ・ドラマーの一人に支持されることは、ジェリーにとって夢のような出来事だった。見事なドラム・パフォーマンスをぜひ楽しんでもらいたいね。このアルバムのハイライトのひとつだ。『PAINTO THE SKY』での彼のドラムは、歴史に残るものになると信じているよ。

ヴィヴィアン、ジェリー、ヴァージル、『Batterie Magazine』誌の記者

-歌詞はすべてダミアンが書いていますが、歌詞の内容についてダミアンと意見を交換することはありましたか? あなたの分かる範囲で、ニュー・アルバムの歌詞についてテーマ等があれば教えてください。

ヴィヴィアン: 確かに僕たちはテーマについて話したけれど、彼に自由にやって貰うことにした。ある晩、彼が僕に電話をかけてきて、アダム・ウェイクマンとのプログレッシヴ・ロック・バンドHEADSPACEで展開し始めたテーマを続けてもいいかどうか尋ねてきたんだ。もちろん僕は何の問題もなかった! 内容は「人類が新しい世界で新しい人生を送ろうとしていること、より良い現実を求めているが、同じ問題を抱えている」ことを表現している。
 僕はいつもアリスのような少女が山の上で美しい青空を描いているイメージがある。暗い空に明るい星が点在しているだけの-現実の危険とシミュレーションの中の危険の両方が待ち構えていることを彼女がまだ知らない-この仮想現実の外で、「より良い」別世界を描いているんだ。そのシミュレーションは、いつの日か、同じような危険と恐ろしい空以外の何物でもないものになるだろう。本質から逃れることのできない、終わりのないサイクルだ。

-レコーディング・エンジニアとしてアダム・ウェイクマンとクライヴ・ノーランが参加していますが、彼らはアルバムに参加したミュージシャンの、誰の録音に関わったのですか?

ヴィヴィアン: イギリスでのダミアンのレコーディングを担当してくれてとても助かったよ。ダミアンはフランスのパリの南にあるジェリーのスタジオでのレコーディングに参加しなくてはいけなかったんだけど、ロックダウンの影響ですぐに不可能になってしまった。アダムとクライヴは、イギリスのロックダウン規制下にあるそれぞれのスタジオで、ヴォーカルの録音を担当して僕たちを助けてくれた。彼らの貴重な協力がなければ実現しなかっただろう。ありがとう。アダム・ウェイクマンとクライヴ・ノーラン!

アダム・ウェイクマン、クライヴ・ノーラン

-新作の制作に於いてあなたの演奏に変化はありましたか?

ヴィヴィアン: 演奏面では変えてないね。でも以前よりオーディオ制作の経験が豊富になったことで、アンビエンスや空間化といった追加のエフェクトを多く試して、周波数にも気を配るようになったね。僕の作品には典型的な鍵盤の壁があるけれど、たまたまパッドの音やピアノ/オルガンの音だけが入っていることもある。でも僕は自分のスタイルを維持しなくてはいけない。僕のスタイルは常にドリーミーでニューエイジ、時にはゲームのような鍵盤の壁によって作られる巨大なアンビエント・スケールだ。ただ、そこに自分の好きな70年代のサウンドを加えただけで、LALUではもっとレイドバックしていて、ソロはイェンス・ヨハンソンやジョーダン・ルーデスといった他のメンバーに任せている。このプロジェクトは自分の名前でやっているけれど、他のキーボーディストの友人を誘うのが好きなので、常に自分が中心にいる必要がないんだ。

-各楽曲でのあなたや参加ミュージシャンの演奏、作曲面での聴きどころやポイントを教えてください。

1. Reset To Preset
ヴィヴィアン: 2番はまさに『THE YES ALBUM』のヘヴィ・ヴァージョンといった感じだ。YESの音楽を100%現代風にアレンジしたことを考えると、この感覚はとても嬉しい。
 ジェリーのドラム・ソロを初めて聴いた時は感動させられたね。自分が聴いていることが信じられなかった。僕はかつてサイモン・フィリップスやヴァージル・ドナティといった偉大なドラマーとコラボレーションしていたけれど、この若きフランス人の名手はまるでドラムの神のように難なく演奏をしていて、僕はすっかり驚いた。そして神と言えば、タムのフィルが雷のように聞こえるんだ!

2. Won’t Rest Until The Heat Of The Earth Burns The Soles Of Our Feet Down To The Bone
ヴィヴィアン: リフとベース・ラインはMEGADETHに影響されたものだ。僕が最も影響を受けたプログレッシヴ・ロックとメタル、YESとMEGADETHを融合させることはとても興味深いことだった。
 面白い話があって、ブレイクする辺りでイェンス・ヨハンソンがキーボード・ソロを弾いていて、それがたまたまジョン・ウィリアムズの『未知との遭遇』のテーマだったんだ。これを発見した時はものすごく楽しかったね(笑) イェンスは一緒に仕事をすると、とても面白い人物だ。もっと真面目に話すと、イェンスのソロとダミアンのグルーヴィーなヴォーカルがこの曲のハイライトだ。

3. Emotionalised
ヴィヴィアン: ヨープの味のあるベースは、YESの『FRAGILE』でのクリス・スクワイアを彷彿とさせるね。2分にわたるジェリーの非対称なドラム・パターンは、この曲を聴いて気に入ったヴァージル・ドナティのプレイの典型だ。
 この曲にも面白いエピソードがあるんだ。“Emotionalised”を録音するためにアダム・ウェイクマンのスタジオに行ったダミアンは、隅に吊るされていたカズーを見つけた。彼はそれを手に取ってマイクを使って歌い始めたんだ。アダムは信じられないといった感じで首を横に振り「本当にこれを録音するつもりなのか?」と。カズーのソロは、このアルバムの中でみんなの聖なるお気に入りのパートとなった。

4. Paint The Sky feat. Steve Walsh
ヴィヴィアン: どんなバンドにとっても演奏するには悪夢のような曲で、「The “Paint The Sky” Challenge」と改名すべきだと思う(笑) まず19/16拍子で始まるんだけど、これ自体が馬鹿げている。
 アレッサンドロ・デル・ヴェッキオの美しいキーボードの後から始まる17/16拍子のソロ・セクションは、2001年にイェンス・ヨハンソンの誕生日にやった彼とのジャムから取ったものなんだ。イェンスは僕最大のインスピレーションの源で、このアイディアを20年後に再び演奏して、定着させることができたのをとても光栄に思うし、嬉しく思うね。
 特筆すべきなのはSHADOW GALLERYのゲイリー・ワーカンプが、この曲でSHADOW GALLERY流のバッキング・ヴォーカルを披露してくれたことだ。以前SHADOW GALLERYのアルバム『DIGITAL GHOSTS』にゲスト参加させて貰ったことがあるんだけど、今回ゲイリーを誘ったのは理に敵っていると思う。僕は特に彼らのコーラスにいつも魅了されていた。今回はギターではなく、作曲と幾つかのバッキング・ヴォーカルをお願いしたんだ。

5. Witness To The World
ヴィヴィアン: イントロからしてアイリッシュ・ロックのバラードを彷彿とさせるような安らぎを思い出させるね。マルコ・スフォーリが美しいリード・ギターのドローンを録音して雰囲気を盛り上げてくれている。
 ヨープのギター・ソロとジェリーのドラムは、それぞれスティーヴ・ルカサーとジェフ・ポーカロを彷彿とさせるね。中間でジェリーはバス・ドラムを使わないことに決めた。何か目立って軽快で、ミニマルで、音楽的なことをしたかったんだ。この曲のドラムにはほとんど加工が施されていない。これはジェリーがこのドラムの音をできるだけ純粋なものにしたかったからなんだ。
 その後からのYESのような展開も大好きだ。次のヴァースではダミアンの美しいヴォーカルと歌詞を聴くことができる。

6. Lost In Conversation
ヴィヴィアン: 『聖剣伝説2』へのオマージュとして始まった。菊田裕樹の『聖剣伝説』シリーズの大ファンでね。これはバッキング・キーボードでも聴くことができる。実に独創的な音だ。
 もうひとつの興味深い瞬間は2:40から始まるパートで、70年代のSTARCASTLEやSTYXといったバンドを彷彿させ、3:28からは2人のキャラクターが電話で口論していて、イェンスのソロがこの口論の状況を強調している。このレコードの中でも最も好きなパートのひとつさ!

7. Standing At The Gates Of Hell
ヴィヴィアン: 最も実験的な曲。3つのドラム・キットを使い演奏する必要があって、ジェリーは1つのキットにつき1つのテイクをレコーディングした。3台のドラム・キットが使われているが心配しないで欲しい。もしこの曲をライヴで演奏することになっても、ジェリーは2本の腕と足だけで演奏する方法を見つけているよ! ジャジーなインプロヴィゼーションは楽しく、ヨープが大活躍しジャズ・ギターが非常に素晴らしいものになっている。
 中間はYESの『FRAGILE』や『CLOSE TO THE EDGE』の直接的なオマージュさ。キーボードのコードが入ってくると、まるでロジャー・ディーンのアートワークの上を飛んでいるような気分になる。複雑な背景のパターンの上に、これほどまでに美しいコードが浮かび上がって、響き渡るとは誰も予想しないんじゃないかな。
 面白いことに、この曲はもともとインストゥルメンタル曲だったんだけど、ダミアンが歌メロを歌いたいと思い、僕に許可を求めてきたんだ。僕は当然彼の素晴らしいアイディアを受け入れたよ。

8. The Chosen Ones
ヴィヴィアン: 「イントロでのドラムのフィルが一番長いで賞」を受賞するかもしれないね(笑) ある日ジェリーがジャムをSNSにアップしたところ、ツーバスのパターンが心に残ったんだ。それはサビの部分で聴こえるドラムのグルーヴだね。この素晴らしいアイディアを使って曲を作ることを許可してくれないかとジェリーに頼んだんだ。
 また、唯一オーケストラに支えられている曲でもある。映画音楽の作曲家としてはYESの『MAGNIFICATION』のように、特定のパートにオーケストラのアレンジを加えることに抵抗があったんだ。
 途中のパートは「TOTO」という愛称で呼ばれている。自分の曲ではよくこのようなパートを書くんだ。キーボード・ソロはジョーダン・ルーデスがロックダウン以前に録音したものだ。前作『ATOMIC ARK』に続いてジョーダンが戻ってきてくれたのはとても光栄だ。

9. Sweet Asylum (Instrumental)
ヴィヴィアン: この曲のおかげで、コンセプトである地球を離れて太陽系の向こう側で新しい人生を歩む、冒険者たちの移住をよく感じられた。とても美しくて、このエモーショナルなパフォーマンスの背景にある雰囲気を、マイクロフォンがどのように捕らえたのか。それが気に入っている。
 ヨープの作曲家として、また即興演奏家としての素晴らしい能力を示している。興味深い事実に注目して欲しいね。この曲はワルツのように3/4拍子で書かれていて、直前の“The Chosen One”のコーラスに似ている。
 YESの『FRAGILE』期のスティーヴ・ハウを直接的に擬えたものだ。ヨープに“The Chosen One”と“We Are Strong”の間に、YESの昔っぽいアコースティック展開の曲をライヴで書いて録音してくれないかと頼んだんだ。僕は昔からアコースティック・ギターが好きで、特にハウが作曲したり演奏したりしたアコースティック・ギターの曲が好きだった。ヨープはいつものように彼自身のエモーショナルなスピンを与えたよ。僕の妻を含む多くのリスナーのお気に入りになったんだ。

10. We Are Strong
ヴィヴィアン: アルバムで最もお気に入りの曲。これは本当にYESの曲になっていたかもしれない(笑)
 ギターのコードは非常に高度なものだ。ヨープのようなベテランのギター・ヒーローであってもこの曲では挑戦をした。2:40辺りにギターが入ってくるところはQUEENを思い出させてくれて大好きだ。3:13から始まるパートはトレヴァー・ラビン時代のYESへのオマージュで、トレヴァーが演奏したであろうものと完全に一致する。エンディングはこのアルバムで最も好きな箇所だ。ダミアンがジョン・アンダーソンの感じを見事に表現して、YESやジョンの真の姿でアルバムを締め括っている。

11. All Of The Lights
ヴィヴィアン: ダミアンの作品で彼自身のプレイフィールドだ。彼はピアノとヴォーカルの曲でアルバムのオープニングを飾りたいと考えていた。でも人々が聴く最初の15秒が重要な意味を持つ時代に、そのようなことをするのは賢くないと最終的に判断した。
 ヴィクラム・シャンカーのプロジェクトSILENT SKIESのファンだった僕は、友人で特別なピアニストのヴィクラムにこの課題に取り組んで貰うよう、ダミアンに提案をした。ヴィクラムは僕の草稿をもとに、最小限のアイディアを残したまま、まったく新しい曲を書いてくれた。映画のようなエンディングが最も気に入っているね。

12. Paint The Sky feat. Simon Phillips (Instrumental)
ヴィヴィアン: トニー・フランクリンがこの曲でキラーなベースを披露しているし、ヨープの音はまるでスティーヴ・ルカサーのようだ! サイモン・フィリップスのスウィングは驚異的で、まったくなんて伝説的なんだ。特に3:24 から始まるドラム・ソロが大好きだね。5:30からのアレックス・アルジェントのキーボード・ソロはイェンスに影響を受けたもので、僕がこれまでに聴いた中でも最高なもののひとつだよ。6:30からのサイモンのグルーヴは心を揺さぶられて、まるで雲海の上を飛んでいるかのような気分になる。そして風の音とエレクトリック・ギターだけが地平線に消えていくエンディングのアレンジに辿り着く。

-“Paint The Sky”でスティーヴ・ウォルシュのヴォーカルをフィーチュアしたものと、サイモン・フィリップスのドラムをフィーチュアしたインストゥルメンタル・ヴァージョンの2つを作った理由を教えてください。

ヴィヴィアン: サイモン・フィリップスが2003年にヨープと僕をTOTOのパリ公演に招待してくれたんだ。当時僕は大きな病気から回復したことを覚えていて、外を歩くのも初めてだった。ヨープと僕はこの素敵なコンサートに行って、サイモンの好意で提供された快適な演出の席を楽しんで、その後にこの素晴らしい紳士とシャンパンを飲んで、彼が“Paint The Sky”のデモでドラムを録音する日まで連絡を取り続けたんだ。
 それから15年が過ぎて、ようやくダミアンと僕がこのアルバムを作ることができたのだから、この曲の決定版はメインのラインナップでレコーディングすべきだと考えたんだ。そこで、僕のオリジナルの楽譜やガイドに沿ってジェリーに演奏してもらって、サイモンのヴァージョンをおまけに使うことにしたんだよ。この曲は演奏するのが難しいから、別のインストゥルメンタル・ヴァージョンを制作するのはとても楽しかった。

-ニュー・アルバムでも多くの素晴らしいゲストが参加していますね。皆、元々あなたの知り合いだったのでしょうか?

ヴィヴィアン: 人によるね。たとえばイェンスとジョーダンの場合、彼らは僕の長年の親友で、イェンスとは20年前から、ジョーダンとも10年近く前からの付き合いだ。彼らは2013年に僕のアルバム『ATOMIC ARK』に参加している。この旅を共に続けることは僕たちにとっては自然なことで、僕にとっても名誉なことだった。サイモン・フィリップスとは15年以上の付き合いで、今も時々話をしている。直接話をしていないゲストはスティーヴ・ウォルシュだけだった。彼とのやりとりは、すべてイタリア人のマネージャーがやってくれていた。

-ニュー・アルバムが完成して、今のお気持ちを聞かせてください。

ヴィヴィアン: 僕は過去の作品に対してとても批判的になることがあるけれど、今のところはこの作品に感激している。ゲスト参加しているミュージシャンの音楽的なパフォーマンスは、客観的に見ても僕が聴いた中で最高のものだった。特に今回のロックダウンでは、ジェリーと僕はプロデューサーとしても体力の限界を超えて、最後の最後で体調を崩しそうになるほど、とても厳しい旅だった。でもその甲斐あって、今では自分たちが聴いたものを楽しめることができるようになったよ。僕は自分の音楽を見直すことが好きではなかった。特にそれぞれの細かいところを100万回聴いた後にすぐに見直すことは好きではなかった。『PAINT THE SKY』は僕たちの耳にはまだ新鮮で、これは励みになる兆候だと思う。マスタリングを担当してくれたアレッサンドロ・デル・ヴェッキオとFrontiers Recordsには感謝している。

-今後の予定がありましたら教えてください。再びツアーを行う予定はありますか?

ヴィヴィアン: 次の作品のために同じラインナップで既に3曲書いているよ。よりクラシックなYESだ。ダミアンはこの音楽にとても刺激を受けているようで、歌詞を書き始めるのが待ちきれないようだ。ツアーについてはパンデミックの影響で今のところ予定はない。世界中で規制が解除されて、ライヴが再び可能になったらツアーを再開したいし、日本にも行きたいと心から願っている。

-今回、初めてLALUのアルバムが日本でもリリースされます。日本のプログレッシヴ・メタルやプログレッシヴ・ロックのファンにメッセージをお願いします。

ヴィヴィアン: 僕の日本と日本文化への愛情は深いものがある。Roland社との長年のパートナーシップのおかげもあって、日本には親しい友人がいるんだ。日本のプログレッシヴ・ロックやメタルのファンの皆には『PAINT THE SKY』のすべての努力、音楽性、そして高い生産性を楽しんでもらいたいと思う。また、このアルバムを制作している時の楽しさが伝わればいいなとも思っているよ。このエキサイティングな新しいレーベルとのパートナーシップのもとで、さらに多くの作品を一緒に作れることを楽しみにしている。

*2022年1月21日発売*
LALU / PAINT THE SKY
MICP-11675 ¥2,970(税込)
<プログレッシヴ・ロック>
☆ボーナス・トラック2曲追加収録


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