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傷を抱えて踊る

大人になってようやく、自分のために踊るということが分かった。

・・・・・・

小さい頃からずっと、ダンスを習っていた。
親の意志だった。
親に逆らうという発想は元から無かったので、全ては親の言いなりだった。

体は硬いし、体力はないし、もともと不器用で運動神経の悪かった私は、少しでも親の機嫌が悪くならないように踊った。
楽しくなんてなかった。


そのうち、拒食になった。
真夏なのに寒くて震えが止まらない。
体育の時間に意識を失って倒れた。
それでも、親は私を病気とも思っていなかったから、ダンスに行かない選択肢はなかった。


そのうち、過食に転じた。
一気に体重が増えた。
体が重くて動かない。
太った体が醜い。直視できない。見られたくない。
人前に立つことさえ嫌なのに、人前で踊ることを評価されるなんて最悪だった。


その次は、抑うつ状態が悪化した。
死にたい。
ダンスなんかどうでもいい。
それでもやらなければならない。
振り付けも、ポジションも、全く頭に入らない。
覚えられない。
言われたことを理解するのに時間がかかる。
全てが遅れる。
チームのメンバーから、面倒臭そうに注意を受ける。
治るもんなら治りたいけど、そんなの無理だから、辞められるもんなら今すぐにでも辞めたい。

結局、大学受験を理由に、私はダンスから解放された。

・・・・・・

それから何年も経ったある日、偶然、ダンサー・振り付け家の人の話を聞くことがあった。
ダンスなんてものを考えるのは、あれ以来だった。
ダンス経験もばらばらな、その場にいた人たちで、それぞれに配られた指示通りに簡単な動きをして全体で一つの動きを作ってみるというワークをやった。

その頃の私の状態は最悪だった。

とにかく死にたかった。
年を経るごとに、波を迎えるたびに、死にたい衝動は大きくなっていった。

主治医には、1錠で動けなくなるような、今までで一番強い薬を出された。
担当心理士には、「例え止めたとしても、あなたは死んでしまうときは死んでしまうんだと思う」と言われた。

自分でも周りもなんで自殺せずに済んでいるのか分からない状態だった。

そんな時に、どうしても、ワークショップでダンスもどきをやったことが頭から離れなかった。
完璧を目指しているわけではない。ただ、相互作用を楽しむだけの、舞台ですらない、その人たちだけの空間。
それをやっている時だけは、少しだけ死から離れられていることに気づいていた。


寝ても覚めても自殺の手段を考えているような私が縋ったのは、ダンスだった。
もう一度、ダンスがやりたいと思った。

手頃な価格で、好きな回だけ参加できるコースを見つけて、恐る恐る体験に行って、そのまま申し込んだ。
来週のうちに死のうと思ってふらふら生きてるのか死んでるのか分からないような生活をしていた私にとって、この行動力は降って湧いた最後の生命力だった。

全くの初心者から上手い人までいるから出来なくても恥ずかしくないし、頭が回らず周りに責められることもないし、体調の悪い日は行かなければいいだけだし、発表する舞台もないから人に評価されることもないし、横から見ていて文句をつける親もいない。
そこは、本当に、私と、ダンスだけの世界だった。

音を聴く。
音に委ねる。
音に抗う。

身体の声を聴く。
身体の声に委ねる。
身体の声に抗う。

心の声を聴く。
心の声に委ねる。
心の声はもう、死にたいとは言わない。

心の声に抗っているとしたら、長袖を着ていることだろうか。
私の腕には傷がある。

私の病気がやったものだから受け入れきれない部分もあるけれど、結局は私がやったものだから受け入れてはいる。
それでも、他の人が見るとなると、不快だろう。
だから、隠れる服を着るようにしている。


家に帰る。
自分の部屋に戻れば、今度こそ、本当に、私とダンスだけの世界だ。

長袖を脱ぐ。
背筋を伸ばし、腕を広げる。
脚を上げる。身体を回す。
たった5畳の部屋で、机や本棚を避けながら、それでも、先へ、先へ、先へ。
身体で風を切る。新しい傷が少し痛む。
身体を隅の隅まで伸ばす。古い傷が違和感を持つ。
私は今だって自分の身体が大嫌いだけど。死にたくて死にたくてたまらないけど。

それでも、これが私の身体で、これが私の表現で。
今だけは、生も死もない、私と音と踊りだけの世界に逃げることができる。


その手でいま確かめて 生きてるってこと


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