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お通夜を個展にしたい

最近は自殺することばかりを考えている。

死にたい、というより、自分でコントロールできないことの多さに疲れ、振り回されて絶望して、もう自分の意志で決断できる手段としての、自殺。

私の裏の顔を知る人は世の中にほんのわずかだ。
表の私は、元気で、決断力と行動力があって、優秀な人。
自分で言うのは何だけど、そうやって言ってくれた人が多かったおかげで、「こんな私のせいで……」というより「私がこんなに優秀なのに世の中に救いがない」という自己肯定感マシマシのメンヘラが爆誕した。

生きている限り、表の顔と、裏の顔は、混ぜたくない。
精神の病気だから無能と思われたくないし、かと言って精神の病気なのにすごく優秀だとか思われるのもごめんだ。

死にたくて消えたくて泣きながら電車に乗って家に帰り、なんとか自殺衝動を抑えて過呼吸になりながら眠りにつき、浅い眠りを揺蕩っただけで目覚まし時計に叩き起こされ、それでも遅刻しないように家を出て笑顔で元気に「おはようございます!」から1日が始まる、そのどこをとっても私は私なのだ。

それでも、今まで関わってきた人の大半は、私の表の顔か、裏の顔のどちらかしか知らない。

だから、どうせ死んでしまったらもうどうでもいいし、お通夜あたりで“私”の答え合わせをしたい。




部屋の右の壁には、手前から、人生で取ってきた賞状の類や、輝かしい成績表を、幼い頃から順番に貼っていく。

これだけ頑張っても親は認めてくれなかったな、と思いつつ、人生が進むにつれて周囲の大人が褒めてくれるようになって、少しだけ取り戻せたような気がすることを思い出す。

人生で一番最初にもらった賞状は、小学校1年生のときの作文だろうか。
そこからいくつもの作文で賞を取ったし、書道でも結構良い線いって色々な場所に展示されたなぁ。
そろばんもそれなりのレベルの認定証があるはず。
あとは、海外留学のプログラムにも受かったし、学会発表で受賞したこともある。
一流と言われる大学に入って、その中でも学業成績は良い方だった。
世界的企業のプログラム生にもなった。

一つのスポーツをやりこんでトロフィーがいっぱいある人ってよくいるけど、ここまで色んな賞状が揃う人もなかなか珍しいんじゃないかな。

私ね、自分の経歴を人一倍華々しく見せるのが得意なんだ。
多分きっと、優秀な私としての人生が、上手く浮かび上がると思う。



左側の壁には、全て残してある今までの精神科診療明細と、薬の説明書と、大量の向精神薬の殻を。
残してある、というより、同居する家族にばれないようにするために捨てられず今の今まで溜まっているだけだけど。

そして、このnoteの記事たちも、印刷して。
一番最初の記事に書いたように、このnoteは遺書だから。

できれば、精神科とカウンセリングルームにカルテの開示請求を行なって、それも時系列順に。
私が自分の手で書き残すには間に合わなかったものが、そこにあると思う。

あとは、NHKの #8月31日の夜に。という番組の、2021年の放送回。
あそこに出てくる同名の人物は、紛れもない、私だ。
私の表の顔を知る人は、私に裏の側面があることを、知らない。
過去に何があって、今どうなっているのか、そして、それを記した文章がヒャダイン氏によって涙を流して言葉を詰まらせながら読み上げられ、NHKで全国に放送されたことを、知らない。
運の要素が大きかったにしろ、裏の私でも、匿名の文章でここまで辿り着けたことを、知らない。

だから、あの映像を、流してほしい。
それによって、裏で苦しんでいる私と、表で大きなことを成し遂げる私が、統合される。
そう信じている。


生きているうちにこれができたらもう少し生きやすくなるんだろうけど、私にはその勇気がなかった。
表の私も、裏の私も、失いたくない。


だから、死んだ後くらい、私に関わってきた人間に、“私”の答えを発表したい。
驚くかな、泣くかな、何とも思わないかな。

もし死後の世界があったら、私はそこでひとり、もう手遅れだって笑うよ。

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