同窓会スピンオフ・ひとりごと

 待合室で真奈の姿を見たとき、私は心臓が撥ねるのを感じた。地元で働いていれば、知り合いが来院することなんてよくあるのに、どうしてだろう。思わず看護師の立場を忘れ、駆け寄った。
「真奈ちゃん!」
 彼女の目はとろんとして焦点があっていなかった。とりあえず体温計を渡し、問診票に記入する。名前や生年月日はわかっている。どんな症状があるか、アレルギーがあるかなどを、真奈に聞きながら書いた。
「まりえちゃん」
 真奈が体温計を手渡してきた。39度2分。インフルエンザの疑いもある。
「診察室、行こっか」
 優しく言うと、彼女はこくんとうなずいた。診察室まで真奈を送り届けると、私は診察室を出た。真奈の同僚だという女性の元へ戻る。
「田浦さんでしたよね」
 彼女の方から声をかけてきた。ええ、と頷いて答える。
「田浦まりえです。真奈ちゃん、いや、黛さんとは中学が一緒で」
 慌てて黛さんと言い直すと、彼女は「いいんじゃないですか、真奈ちゃんで」と言った。そして、他に患者さんもいないし、と付け加える。
「中学の同級生ってことは、あの……」
 言い淀む彼女を見て、何を言いたいのか悟った。
「同窓会での事件のことですか」
「ええ、まあ……」
 私は力なく笑う。この人は真奈から聞いて、事件のことを知っているのだろう。
「犯人となった同級生は、私の親友でした」
 自嘲気味に切り出した。私は当日まで何も知らなかった。早苗が見つかったことも、真奈が早苗を同窓会に連れてくることも。
「でも私は何も知りませんでした。あの場は、真奈ちゃんのステージでした」
 いつの間にか、目の前がにじむ。涙をそっとぬぐうと、指先が濡れた。やっぱり私、…泣いているんだ。彼女はただ、うなずいて聞いている。疎外感、という言葉が思い浮かんだ。そうか。私は真奈だけが早苗の安否を知っていたという事実に、疎外感を覚えていたのだ。
「大変でしたね……」
 静かな声が相槌を打つ。慰められないことにほっとした。慰めてくれるのは、同じ経験をした者がいい。
「田浦さーん」
 間延びした声が私を呼ぶ。彼女に会釈し、診察室へ向かった。院長から結果を聞く。
「黛さん、脱水症状みたいです。気分が悪くてここ最近水をあまり飲んでいないそうで。点滴をします」
 真奈は診察室の端のベッドに横たわっていた。
「わかりました」
 私は点滴の準備を始める。真奈の血管は細くなっていたが、全神経を集中させ、何とか一回で針を刺した。
「まりえちゃん……」
「なあに?」
 私を呼ぶ真奈の声は、幼く聞こえる。熱で弱っているからだろう。対する私の声も、小さい子と話す時みたいにトーンが上がる。
「ごめんね、まりえちゃん……」
「仕事だから、大丈夫だよ」
「そうじゃなくて、早苗ちゃんが来ること、黙っててごめんね……」
 あの日、真奈は嘘を吐いた。早苗の出欠を聞いた私に、来ていないと答えたのだ。
「一番仲が良かったのに、早苗ちゃんと一番会いたかったのはまりえちゃんのはずなのに、ごめんね……」
 ごめんね、と繰り返す真奈に、私はそっと語りかけた。
「真奈ちゃん、今は寝ていて」
 真奈はゆっくりと目を閉じた。点滴に含まれている解熱剤の副作用は眠気だ。今はただ眠ってほしかった。
「インフルエンザの検査をしたんだけどね」
 院長が口を開いた。
「反応は出なかった。彼女はインフルエンザではないと思うよ」
「そうですか……。やっぱり」
 院長は「やっぱり」と言ったのを不思議に思ったのか、怪訝そうな顔をしたがまた口を開く。
「あまり眠れていないようだし、疲れも濃く見えた。寝不足と疲労から体調を崩したんだろう」
 私はうなずく。院長に断って、真奈を連れてきた同僚のところへ向かった。
「羽田野さん、真奈ちゃんはインフルエンザではありませんでしたよ」
「そう、よかった」
 彼女は少し笑った。私も微笑む。
「それで羽田野さん、これからどうされますか?」
「どうって?」
 首を傾げた彼女に説明する。
「真奈ちゃんは疲労と寝不足が原因で体調を崩したようです。今は点滴をしていますが……」
 時計は7時を指している。点滴が終わるまではあと40分ほどかかる。そう伝えると、真奈の同僚は困った顔をした。
「ちょっと急用が入ってしまって。でもタクシーで帰ってもらうのも……」
 彼女は悩み始める。
「わかりました。では真奈ちゃんは私が連れて帰ります」
 彼女は顔を上げた。
「ええ、いいんですか……?」
「大丈夫です。私、そろそろ上がりですから」
 相手を安心させるように微笑むと、じゃあお願いしますと彼女は言った。
「あ、黛に伝言お願いできます?無理はするなって」
「わかりました」
 彼女は診察室の方を心配そうに見ながら帰っていった。
「よかったね真奈ちゃん。優しい同僚がいて」
 そう呟くと、私は診察室に戻る。院長に真奈は私が連れて帰る旨を伝え、帰り支度を始めた。健太は会社の研修旅行でいない。真奈は私の家に泊まってもらうことになるだろう。本当は真奈の自宅に帰したかったが、私は彼女の家を知らない。真奈も自宅までのナビができる状況ではない。点滴終了まで、残り約20分。
 しばらく受付に立っていたが新しい患者は来ず、私は真奈を連れて帰ることになった。まだふらつく彼女を支えて助手席に乗せ、私の家に向かうことを告げる。彼女はかすかに頷いた。
「寝てていいよ。いや、病人は寝てなさい」
 そう言って私が笑うと、真奈はほっとしたような笑みを見せた。笑えるなら大丈夫だろう。私は病人に刺激にならない程度に急いだ。街灯や対向車のライトがどんどん流れていく。横に病気の同級生がいることを除けば、いかにも考え事にぴったりな夜のドライブだ。
 私の住むマンションは駅に近く、なかなかの好立地だ。その分家賃も高いが、恋人の健太と折半しているので、負担は大きくはない。駅に近いので家の周りはそこそこ都会だ。街ゆく人の表情は読めないが、それは隣に寝ている同級生も同じことだった。一見するとあどけない寝顔だが、その裏に暗いものを読み取った私の勘は外れているだろうか。家まではまだ時間がかかる。私の意識は中学時代に向いていった。
 黛真奈はあまり自分のことを話さなかった。思い出すのは文化祭に向けての合宿中の出来事だ。当時の私たちは中学一年生。文化祭の出し物は劇だった。私と健太が主役を張り(王子と姫の役だったと記憶している)、早苗が衣装を作り、真奈と矢坂先生が脚本を書いた。
 文化祭は保護者や他校の生徒も来る。何より、クラス別の出し物には教師と一部の生徒によって点がつけられ、上位3クラスには賞金が出るのだ。私たちは「クラス全員で焼き肉を食べに行く!」を合言葉に一生懸命、練習を重ねていた。しかしここで問題が起こる。脚本の完成が予定より少し遅れたため、私含め出演する子たちがセリフを覚えられなかったのだ。そこで本番一週間前に合宿を決行した。
 まず私がすべきだったのは、台本を覚えることだ。セリフを頭に叩き込む。王子の召使い役を担当していた磯田が、プロンプターを担当してくれた。彼は記憶力がずば抜けてよかったからだ。同時にもう一人の主役の健太は、合宿中に集中力を発揮し、一日でセリフを覚えてしまった。真奈は脚本を書いたら仕事は終わりのはずだが、「合宿をすることになったのは、脚本を書いていた自分のせいだ」と言い、合宿に参加していた。彼女は磯田とともにプロンプターをし、本番でも活躍した。
 合宿は土日にしたが、二日間で何回も通しで練習し、見事全員がセリフを覚えられた。私の印象に残っているのは、合宿中の土曜日の夜のことだ。
 練習を終え、みんなで学校近くの銭湯に行き、帰ってスーパーで買ったご飯を食べる。いくつかの教室に寝袋を敷き詰め、何人かに分かれて寝る、はずだった。しかしクラスメイトと宿泊、となると、夜に何もしないほうが不自然だ。夜はおしゃべりの時間である。私たちの教室は、真奈、私、夕華、美咲、志帆の五人だった。最初に話し出したのは美咲だっただろうか。彼女は劇で姫の親友を演じており、主役の二人に次いでセリフが多い。にもかかわらず、美咲に疲れは見えなかった。
「みんな、好きな人いる?」
 その一言がきっかけで、私たちはおしゃべりのために寝袋を放射状に敷きなおした。これなら顔を寄せて話ができるため、小声で済む。
「あたしはいるよ! 高田先輩!」
 言い出しっぺの美咲はさっさと自分の好きな人を告白した。そして他の四人に水を向ける。
「志帆ちゃんは?」
 大人しく読書家の志帆は、図書委員をしていたっけ。
「私は……、早川くん」
 彼女は恥ずかしそうにクラスメイトの早川悟の名をあげた。
「ええ!意外! え? いつから?」
 すかさず夕華が聞く。夕華は恋バナが大好きだった。
「えっと、5月くらいからかな…。私がころんだ時に、手を差し出してくれて…」
 ぽつぽつと話す志帆はかわいかった。
「告白しなよ! 早川くん、実は人気だから取られちゃうかもよ!」
 夕華が発破をかける。そして美咲が私に話を振る。
「まりえちゃんは、やっぱり吉沢くん? っていうか二人、付き合ってんの?」
「違うよ! まだ付き合ってないよ!」
 慌てて返事をしたせいで、墓穴を掘ってしまった。「まだ」なんて、もう両想いだと確信しているみたいだ。まあ実際そうだったわけだが。
「いいよね吉沢くん。ちょっとかっこつけだけど、それが似合って、優しくて、頭もよくて」
 美咲がまくし立てるように話す。私は苦笑いで応えた。視線はおのずと最後の一人に向いた。
「真奈ちゃんは?」
 夕華が聞く。真奈は恥ずかしそうに下を向いたが、顔が赤くなっているのが分かった。
「このクラスの人?」
 真奈は答えなかったが、さらに赤くなった顔が正解だと言っている。
「えっ誰だれ!?」
 美咲と夕華が食いついた。真奈は「えー、言わなきゃダメ?」と小声で言った。
「じゃあ当てるね! えっと、真山くん?」
 真奈は首を振る。
「うーんと、宮島くん? 木下くん? 佐藤先輩?」
 どれも違うようだ。
「佐藤先輩はこのクラスじゃないでしょ。先輩なんだから。あ、吉沢くんはだめだよ? まりえちゃんのだもんね」
 美咲の言葉に私は急いで訂正を入れた。
「私のじゃない!」
 美咲はけらけらと笑う。夕華は当てるのに飽きたようだ。結局、真奈の好きな人はわからず仕舞いだった。
 もう一つ思い出すのは、中二の冬のことだ。あの日、真奈は体調を崩した。朝から体調がおかしいと思っていたのだが、午前中最後の授業で真奈は「保健室に行かせてください」と申告した。
「田浦さん、連れて行ってあげて」
 歴史教師の木戸はそう言うと、すぐに授業に戻った。確かに真奈はボーっとしているようだった。このままでは保健室に行く途中で、階段から転げ落ちかねない。
 私は真奈の手を引いて保健室へと連れて行く。それにしても、どうして真奈はこんなぎりぎりまで我慢するのかわからなかった。
「真奈ちゃん、どうして我慢するの?朝から体調悪かったでしょ。どうして その時にすぐ保健室に行かないの?何か理由があるの?」
 病人に矢継ぎ早に質問するなんて、保健委員としてあるまじき行為なのだが、この時の私はなぜか聞いてしまった。
 真奈は小声で、ごめんなさい、と謝った。でも私が求めているのは謝罪ではない。
「心配かけたくなかったから」
「誰に? 心配かけたくないなら、休み時間にこっそり行けばいいじゃん」
「うん、でも…」
 真奈は歯切れが悪かった。
 私は赤信号でブレーキをかけた。隣の友人の顔が、あの保健室に連れて行ったときの苦し気なものと重なる。ねえ真奈ちゃん、私は真奈ちゃんが大好きだよ。
 友人の死を経験したせいか、時折私の頭にこんな問いがよぎる。
『もし吉沢健太と黛真奈が危篤だとして、私はどちらに寄りそうだろう?』
 何度問いかけても、私の答えは真奈だった。どうしてだろう。健太とは結婚も真剣に考えているような仲なのに、どうして私の頭によぎるのは真奈の顔なんだろう。
 真奈はここまで体調が悪化するまで、誰も頼らなかった。今日病院に来たのだって、同僚に心配されたからだ。もし彼女が体調不良を隠し通せていたら? おそらく来なかっただろう。きっと真奈は、限界になるまで他人を頼れないのだ。「たすけて」と言えずに、何回その苦しみを抑え込んだんだろう。
 隣から声が聞こえてきてびっくりする。真奈が寝言を言っているらしい。
「ごめんね…、許して」
 絞り出すようなその声。誰に言っているの? 真奈が震えているのが目について、ひざ掛けをかけてやった。
「まりえちゃんの匂い…」
 そう聞こえて、私は思わず笑みをこぼした。頼っていいんだよ。
「先生…。行かないで、先生…」
 真奈の声は小さかったけれど、確かに先生と聞こえた。先生と呼ばれる人は矢坂だけではないが、私には矢坂のことを呼んでいるように思えてならない。
「もしかしてさ、真奈ちゃんが中学の時好きだったのって、矢坂先生じゃないの? ずっと好きだったの? 事件で矢坂先生が亡くなったのがショックで、体調を崩したの?」
 真奈を保健室に連れて行ったあの日、彼女は心配をかけたくなかった、と言った。誰に心配をかけたくなかったのか、あの時はわからなかった。でも今は想像がつく。きっと真奈は、矢坂に心配をかけるのが嫌だったんだ。あの時、矢坂は休み時間中ずっと教室にいたから、真奈は体調不良がバレるのが怖くて保健室に行けなかった。そう考えると腑に落ちる気がした。

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