同窓会スピンオフ・助演女優賞でいいから

「よく頑張ったな、黛君」
 その言葉を聞くたび、私の心はドキドキと音を立て始める。矢坂先生は、私の好きな人。すっと鼻筋が通っていて、生徒の誰かが面白いギャグを言った時の、くしゃっとした笑顔が好きだった。その落ち着いた声も、まっすぐな立ち姿も、わかりやすい授業も含めて、先生のことが好きだった。
 中学校に入学して、私と吉沢君は学級委員になった。先生はよく目をかけてくれていた。委員の仕事をやり遂げるたび、ほめてくれた。まだ若かった先生は私にとって「頼れる優しいお兄さん」という立ち位置だった。その好意的な思いはいつしか恋愛感情に変わっていき、その年の夏には先生を見るたび「ああ、好きだなあ」と心のどこかで思うようになったのだ。
 秋、私たちは文化祭という一大イベントを経験した。私たちのクラスの出し物は劇。ある国の王子と隣国の姫が恋に落ち、障害を乗り越えて結ばれる話だ。王子と姫が主人公のラブストーリーで、波乱万丈だが最後はハッピーエンド、というところまではクラス全員で決めた。細かい設定は脚本担当に任せられたのだ。担当に名乗りを上げた私は悩んだ。
「恋は障害がある方が燃えるものだろ? そう、まるでロミオとジュリエットのように…」
 当時からちょっとナルシスト気味だった吉沢君は、かっこつけた口調でそう言った。その言葉がヒントになり、王子がいる国と姫がいる国は長年いがみ合っているという設定で、脚本を書いた。
 脚本を書くときは、先生が手伝ってくれた。彼が学生時代に演劇部にいたとその時知った。背筋の伸びた姿勢やよく通る声はそこで鍛えられたものらしい。放課後に残って脚本を書くこともあった。先生を独り占めしているようで、申し訳なさと優越感を覚えたものだ。
「ああ、待って黛君。ここは、ちょっと変えた方がいいんじゃないかな?」
 大きな手、綺麗な指が私のノートを指さす。いつもより近い先生との距離に、高鳴る心臓からそっと目をそらした。
 予定より少し遅れて脚本は完成した。完成した日も私は先生と居残って脚本をパソコンで清書し、印刷と製本作業に打ち込んでいた。一クラス30人分の印刷は時間がかかる。製本も大変だったが、その分先生と一緒にいられる時間が増えたのだから、ラッキーだとすら私は思っていた。
劇中、王子や姫はお互いに愛を伝える言葉を何度も口にする。愛している。好きだ。ドキドキして死んでしまいそう。どうして結婚できないの。こんなにも好きなのに。そんなセリフをノートに書き込むたび、先生は面白そうにのぞき込んできた。言葉のチョイスが中一とは思えない、なんて言われたことも。その都度私の体温は上がった。セリフの中に、私が先生を思う気持ちが、欠片たりともにじんでいませんように。そう願った。
 先生のことは結構本気で好きだったけれど、どうにかなりたいなんて思えなかった。先生に告白するとか、アピールするとか、そもそもそんな選択肢なんてなかった。嫌われたら終わりだと思っていたから、優等生を演じ続けた。誰にも気づかれなくていい、むしろ気づかないでいてほしい。
 脚本の印刷が終わった時、先生はいつもの笑顔を見せた。
「お疲れ様、黛」
「先生も、お疲れ様です」
「いやあ、今回はいつも以上に頑張ったな、黛。これで練習が始められる。頑張る黛、いつも見ててすごいと思ってるよ。お疲れ」
 そう言って先生は、私の頭をポンポンとなでてくれた。
「じゃあもう遅いし、黛は帰りな。また明日」
 なでてもらったのがうれしくて、浮かれながら家に帰る私。
 今思えば、あの事件の前にいじめを止められていれば、きっと同窓会での殺人事件は起こらなかっただろう。今更言ったって仕方がないけれど、殺人事件の責任の一端は私にもあるはずだ。あの同窓会を「マスコット破壊事件」の真相解明の場にしたのは私なのだから。
 好きだった先生も、殺されてしまった。早苗は先生に犯人だと名乗り出てほしいと言われたそうだ。それを知った時、私の中での先生のイメージは静かに崩れていった。会場で先生を問い詰めたときも、心の片隅で嘘であればいい、嘘だったらどんなにいいか、と考えていたのだ。結局、彼は罪を認めずに、逆上した早苗に殺されたのだけれど。
 私は早苗を友達だと思っていたし、彼女が言うことも信じていた。しかし、やはりどこかで「先生が早苗を陥れた」というのが嘘だったら、と考えてしまっていた。
 事件後、学校関係者への事情聴取で、先生の悪行が明るみに出たらしい。もう言い逃れはできないな、と思い、その直後に、彼は死んでいるから言い逃れもなにも、口を利くことすらできないのだと気づいた。私に優しくしてくれた先生は、あの時何を思っていたのだろう。「頑張っていてすごいと思う」という言葉は、本心から出たものではなかったのかもしれない。
 事件のショックの中でも、働かないわけにはいかなかった。仕事に打ち込むことでしばしの間事件を忘れることもできる。そうやって働いていたある日、私は体調を崩した。同僚に連れて行ってもらった病院は、まりえの職場だった。彼女は家で私の看病をすると申し出てくれた。家に向かう車の中で、寝たふりをしている私にまりえは聞いた。
「もしかしてさ、真奈ちゃんが中学の時好きだったのって、矢坂先生じゃないの?ずっと好きだったの?事件で矢坂先生が亡くなったのがショックで、体調を崩したの?」
 私は寝たふりを貫いた。早苗にひどい仕打ちをした人間のことが好きだったなんて、彼女の親友のまりえに知られたくなかったのだ。
 翌朝、一晩寝てある程度回復した私は、まりえにお礼代わりに朝ごはんをつくって、何度も感謝を伝えて、職場へ向かった。その時以来、口紅が一本見当たらない。きっと彼女の家に置き忘れてしまったのだろう。取りに行きたいけれど、今は彼女に会う気にはならない。事件を思い出してしまうから。
 そういえば、熱にうなされながら、長い夢を見ていた気がする。姫に駆け寄る王子と、花束を抱えて迎える姫。二人が笑いあったところで劇は終わる。大きな拍手の中、脇役の生徒だけではなく、小道具、大道具、衣装などの担当も舞台へ上がって礼をする。もちろん脚本を書いた私もだ。劇は二等賞を獲得し、その賞金と少しずつ持ち寄ったお金を使いクラス全員で焼き肉を食べに行った。
 主役二人は、主演男優賞と主演女優賞じゃない?音楽のチョイスもよかったよな。セリフ忘れそうになって焦ったわあ。浮かれた声が飛び交う。食べ終わってみんながばらばらの方向に帰る中、私と先生は帰り道が同じだった。
「二等賞がとれたのは、黛の脚本のおかげだよ」
 先生がぽつりとつぶやいた。私はそう言われて、うれしくて切なくて涙が出そうになってしまった。慌てて笑顔を作り、ありがとうございます、先生が手伝ってくれたおかげです、と丁寧に答えた。つられたのか、先生もくしゃっと笑う。私が好きな、笑い顔。
 涙をこらえたのは、泣いてしまったら先生が好きだという気持ちも流れ出てしまいそうだったから。私にも演技の才能、あるかな…。さようなら、私の好きだった矢坂先生。

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