ラシ⑤

そして
「やっぱり、主な動機は金銭トラブルだったみたいだな」
 事件は終わったものの、私たちは書類作成などの後処理に追われている。昼休憩のときに自分のデスクでおにぎりをほおばる私に、先輩が近づいてきてそう言った。
「須藤さんが無名だったころに、早瀬彩音はかなりの額のお金を貸していたらしい。『俺が売れたら絶対に返すから待ってて』っていうのが須藤さんの口癖だったらしいけど、彼が売れても一向にお金は戻らない。それで最近ずっともめていたみたいだね。とうとう早瀬が我慢できなくなって、あの事件が起こってしまったんだろう」
「もっと穏便に事を解決する方法はなかったんでしょうかね…」
 須藤七生さんの死は、音楽界や芸能界にとってもショックなできごとだったようで、大河ドラマに出演している俳優や、よく一緒に仕事をしたという演奏家も追悼コメントを発表している。その一方、ポスト須藤七生として久間田小夜が注目されるなど、事件を取り巻く環境はどんどん変わっていく。
「そういえば久間田さんからお礼の手紙が届いてるよ」
 先輩が手渡してくれた手紙には、きれいな字が整然と並んでいた。
『琴井風子さま
 先日はどうもありがとうございました。助けていただいただけではなく、私が落ち着くまで話を聞いてくださったおかげで、大分気持ちが楽になりました…』
 手紙を読み終えて、小さくため息を吐く。須藤さんもどうやら久間田さんのことが好きだったようで、その気持ちを友人に打ち明けていたらしい。久間田さんはその友人から須藤さんの思いを聞いたそうだ。
『須藤さんは亡くなってしまいましたが、私の心の中で生きている。そう思って毎日精進しています。もしよかったら、今度のコンサートも聴きにいらしてくださいね。この度は本当にありがとうございました』
 そう手紙は締めくくられていた。
 そういえば、私にも感謝しなければならない人がいる。先輩と父だ。仕事を終え署から出て先輩と歩く。この後は先輩と一緒に父に会う予定になっている。
「先輩。いや、手島健さん。今回はどうもありがとうございました」
「急にどうしたの!?」
「早瀬を久間田さんから引き離してくれたから…。健さんが真っ先に久間田さんの元へ駆けつけてくれたおかげで、なんとか大事にならずに済んだんです。私一人では、久間田さんの命が危なかったと思います」
「礼を言われるほどのことでもないよ。それに、風子こそ今回最大の功労者だよ。ダイイングメッセージを解いて、早瀬に目をつけたのは風子だろ?」
 この人から名前で呼ばれると、日常に戻った気がしてほっとする。私と彼は付き合っていて、近々結婚するつもりでいる。次の休みは、双方の実家に挨拶に行く予定だ。家に帰ると、ほどなくして父が訪ねてきた。捜査から退いた父に事件の詳細を話すわけにはいかないが、昔の父との記憶が解決の手掛かりになったことは伝えておいた。
「そうか。まあ、解決できてよかった」
 父が買ってきてくれたおいしいお惣菜を食べながら、私たちは色々なことを話した。陣中見舞いに持ってきてくれた唐揚げがおいしかったこと、お互いの友人のこと、先輩とのことなどなど。
「そういえば」
 日付が変わるころになって父は言った。
「風子の名前の由来、話したことあった?」
私は首を横に振る。風のように自由に伸びやかな子に育ってほしい、とかそんなところだと思っていたのだが、違うのだろうか。
「風に琴と書いてオルガンと読むんだ。ある大きなコンサートホールのパイプオルガンのコンサートで、俺は母さんと出会ったんだ。二人を繋ぐ大好きな楽器だから、娘にそんな名前を」
「そうだったんだ…」
 確かに、苗字が琴井だから、風子と合わせて「風琴(オルガン)」になる。
「それで風子、父さんの名前はなんだ?」
「え、洋貴(ひろき)でしょ?なに、酔っぱらって忘れちゃった?」
「そうじゃない。洋貴の洋に琴でピアノになるんだ。だから、娘にもなにか楽器を表す名前をつけたい。そんな理由もあったりしてね」
 自分の名前に込められた思いを知るのは、どこか恥ずかしくてこそばゆいが、両親から見守られているような温かさも感じた。
「風子、手島君と結婚するつもりなんだろう?」
「うん。次の休みに、ちゃんとした挨拶に行くから」
 先輩が新人のころの上司が父だ。私たちが付き合い始めたときも、あのまだあどけなかった手島君と娘が付き合うなんて、俺も年を取ったなあなんて笑いながら、喜んでくれた。
「そうか。じゃあ、待ってるな」
 微笑んでそう言った父につられるように、私もにっこり笑ってうなずいた。

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