たかが三十一文字、されど三十一文字


 競技かるた部に入部して一か月、顧問の先生はつんつんしていて苦手だが、先輩たちは優しい。部活で使った畳を片付けて部室に戻ると、先輩がありがと、と手をひらひら振り、そのまま私を手まねきする。彼女の手元をのぞき込むと、競技用の札があった。ほとんどは箱に収まっているが、数枚があたりに散らばっている。
「ねえ、さらちゃんは知ってた? この札、実は二枚ないんだよね。なくても使えなくはないけど」
 先輩はそう言った。九十八人一首ですね、と私が言うと、先輩は笑う。彼女によると、この学校にはかるた札をラブレターの代わりにして告白すると、うまくいくというジンクスがあるらしい。二枚欠けているのはラブレターにされたからだとか。
「恋の歌は多いからねえ。でも、付き合ったカップルは、だいたいそのあと、悲惨な目に遭うんだよ」
 先輩はにやにやしながら私の顔を見た。明らかにからかわれている。悲惨な目に遭う云々はうそなのだろう。でも恋が叶うのは本当なのだ、と先輩は主張した。部に伝わっているという話を彼女は話し出した。
 あるところに引っ込み思案な男の子がいた。彼はかるたが大好きだったが、親や友達に「かるたばかりしてないで勉強しなさい」「かるたや短歌のなにが面白いの?」と言われてばかり。自分の好きなものを認めてもらえず悩んだ。かるたが好きということを隠すようになり、どこにいても馴染めている気がしなかった。
 高校生になり、彼と同じクラスの女の子が国語の授業をきっかけにかるたに興味を持った。彼女のまわりにもかるた好きがいなかったらしく、二人はすぐに仲良くなった。彼女と話すうちに彼も、かるた好きを隠すようなことはなくなり、そのうち彼は彼女を好きになった。だがもともと引っ込み思案だから、告白している自分を想像するだけで声が震える。かっこつけたかった彼は、かるたに自分の想いをたくした。そのときに彼女に渡したのが、この箱に入った札らしい。というのが先輩の話だ。
「二枚欠けてるんですよね? じゃあ、もう一枚はその返事とか?」
 先輩の話が終わると、私は食い気味に聞いた。札で告白されたら、同じように札で返事をしてもおかしくない。かるた好きならなおさらだ。そして同じかるた好きとして、彼の恋を応援したい。先輩はまたにやにやする。これは結末を知っている顔だ。
「うわさによると、その子が送ったのは『筑波嶺の峯より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる』」
 筑波山のわき水が少しずつ集まって川になるように、私の想いも川の深みのようにつのっている。という意味の歌だったように思う。百人一首の中にはもっと激しい恋の歌や失恋の歌もあるため、チョイスとしてはなかなかいいのではないだろうか。
「ちなみにかけているもう一枚は、『君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな』だよ。欠けてることは確認したからほんと」
「前はあなたと付き合うためなら自分はどうなってもいいと思っていた。しかし恋が叶ってからは、あなたと過ごすために長生きしたくなった」という意味だ。この歌は好きだから、頭に残っている。恋が叶った人の歌は、幸せにあふれている。
 これが「筑波嶺の」への返事だとしたら、告白はうまくいったのではないだろうか。彼女も彼のことが好きだったとしたら。そして、どうなってもいい、は言い過ぎにしても、どうすれば恋が叶うのかと思いつめていたら。そんなおりに、彼から告白されたとしたら。あの札を返事にしてもおかしくはないと思う。告白され両思いだとわかったよろこびを、少しオーバーに表したのかもしれない。先輩はこの話の結末はすぐにわかると言って、笑いながら帰っていった。
 先輩の言うことが本当だとわかったのは一週間後だ。かるた部顧問の先生にプリントを届けるため、職員室に行った。先生は不在で、プリントはここに置いといてくれというメモが机にあった。メモの隣に一枚の札が飾ってある。「なかくもかなとおもひけるかな」。私は口角が不自然に上がりだしてしまうのをこらえる。なるほど、あの話の主人公は先生だったのか。やっぱり、欠けていた二枚の札は、告白とその返事なのだろう。先生が札を持っているということは、告白は成功したのだ。あの話を踏まえると、先生のつんつんした態度は引っ込み思案を隠すための防御だったのかもしれない。そう思ったらなんだか先生が可愛く思えてきて、私は足取り軽く職員室を出たのだった。

参考文献
柏野和佳子、市村太郎、平本智弥
『なぜだろう なぜかしら よんだ100人の気持ちがよくわかる! 百人一首』実業之日本社(2013年)

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